「1946」 世界史の巨大な真実 『 ヒトラーは英国スパイだった ! 』を評論する(第1回・全2回) 2021年7月14日
 副島隆彦です。今日は2021年7月14日です。

 非常に重要な本が出ました。今日はその話をします。
 英語の原書のタイトルは、”HITLER WAS A BRITISH AGENT ”、「ヒットラー・ワズ・ア・ブリティシュ・エイジエント」で、2010年にイギリスで出された本です。

 日本語で、『ヒトラーは英国スパイだった ! 』 とそのままの書名で、ヒカルランド社から今年1月に出版された。私は、その前から噂を聞いていて、この本が気になっていたが、偶然の出会いで目の前に現れたので、これを貪(むさぼ)るように読み始めて、5月15日に読み終えた。

ヒトラーは英国スパイだった! 上巻 アドルフ洗脳極秘計画を遂行せよ
 この時期、私は、最新刊の金融本『目の前に迫り来る大暴落』(徳間書店)を書かなければいけなかった。組版屋(くみはんや)さんという、印刷屋の一歩手前の会社の校閲室に泊まり込みで行っていたところ、その校閲室に この本があったので、「有った。ようやく出会えた」と、出会いの運命のようなものを感じて、引き込まれて読んでしまった。

 ヒトラーはイギリスが育てたスパイであったというのは衝撃的な本です。

 日本国内では誰もまだ話題にしていない。私の勘が働いて、ものすごくこれは大事なことなんだということで読み始めました。そうしたら、やはり大変な真実がたくさん書かれていた。英語原書で600ページ、日本語訳は上下2巻で合計1000ページ以上にもなる本です。ですから、その中の一番重要なところだけを今日は話します。

 私がこの本から受けた衝撃は何カ所かにわたるんですが、最初からどんどん言います。アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler、1889-1945年、56歳で死)は、1889年生まれで、死んだのは1945年4月30日の午後3時20分、ドイツの首相官邸地下壕でピストル自殺。横にエヴァ・ブラウン(Eva Braun、1912-1945年、33歳で死)という愛人がいた。死んだときに56歳。

ヒトラーとエヴァ・ブラウン
 20世紀の人類の大きな動乱をつくった男で、世界最大の独裁者のように言われている。たくさんのユダヤ人を殺したということになっている。でも、収容所で死なせたユダヤ人の数は、本当は7万5000人ぐらいで、300万人とか600万人というのは嘘です。ドイツあるいはポーランドを合わせても、ユダヤ人がそんなにいたわけがない。ドイツに、戦前にユダヤ人は、50万人ぐらいしかいない。

 別の根拠と真実が、はっきりと書かれる。る。自分もユダヤ人であり、両親がドイツとポーランドの収容所にいた、シカゴのデポール大学の教授のアメリカ人学者ノーマン・フィンケルシュタイン(Norman Finkelstein、1953年-、67歳)が真実を書いた。ホロコーストを主張して、それを商売にしている人々という『ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち(The Holocaust Industry)』(立木勝訳、三交社、2004年)という本を書いた。

ノーマン・フィンケルシュタイン
 この本のことは、ここの今日のばやきの10年ぐいらまえの、「・・・」番で、詳しく私が、この本の内容を解説している。 今からでも、徹底的に、この本の宣伝と 紹介をしなければいけない。

 ヒトラーはオーストリアのリンツのあたりで生まれているんですね。両親が死んだので18歳で家を出て、もう二度と戻らなかったんですが、まずウィーンに出ました。ウィーンが、オーストリア帝国(その前は神聖ローマ帝国だった)の首都です。
 ヒトラーは、浮浪者のようになっていて、妹のパウラ(Paula Hitler、1896-1960年、64歳で死)という11歳の女の子を連れてウイーンにいた。彼女が、戦後も長生きしていて、自分たち兄妹の真実を書いている。この証言が重要だ。

 ホームレス宿泊所とか無料食堂とかでご飯を食べたりした。そのうちおばさんから少しまとまった相続のお金がもらえた。それで、ヒトラーは絵描き、画学生であったと言われているけど、どうもこれが怪しい。絵が下手だったので、画学校にも入学できなかったというのが真実で、ヒトラーが描いたと言われている絵が残っているんだけども、どうも本人が描いているように見えない。

パウラ・ヒトラー
 じゃヒトラーは何をしていたかというと、1911年の2月から11月にロンドンに行って(ヒトラー、22歳)、タヴィストック戦争心理研究所 Tavistock Institute というところに8か月、学生として入っている。これは大きなラボラトリー(実験室)でもあって、戦争心理実験所を行っていた。この後ヒトラーは半年ぐらい、イギリスのリバプールに居た腹違いのお兄さんのところで暮らしている。これは証拠が出ていてはっきりしている。

タヴィストック研究所の建物
 その後ヒトラーはウィーンに帰ってきて、1914年に(25歳だ)、現在のボスニア・ヘルツェゴビナ、旧ユーゴスラビアの都サラエボでオーストリア皇太子が暗殺されて、1914年6月28日に第1次世界大戦が始まる。どうもこのあたりの流れも全部でき上がっている。第1次世界大戦も、セルビア人の右翼の民族主義組織のブラックハンド(黒手組)というのが、ウィーンからやってきた次の皇帝になる予定だった人を殺した。すべて仕組まれている。これで第1次世界大戦が勃発した。

 このあとヒトラーは、戦争が始まって3年後、1917年ですから28歳ですが、一等兵で、北フランスのドイツ側のカンブレー塹壕で捕虜になっている。伍長になった。「ヒトラーの軍役は、伍長だ。伍長あがりの男だ」と、ヒトラーを貶(けな)すときに言われる有名なコトバがある。
 このときイギリスのチャーチルはまだ首相になっていません。戦争省とか植民地省の大臣になる前だ。チャーチルは、43歳でまだ軍人として、ヒトラーと同じ北ドイツの戦場にいたようです。

従軍中のヒトラー(右端)
 次の年1918年にはドイツが負けて、パリの郊外のベルサイユ宮殿でベルサイユ条約がつくられて、ドイツが徹底的に非難されて巨額の賠償金を課せられた。レンテンマルクという言葉があって、1兆マルクです。ゼロが10ぐらいついているとんでもないお札が発行されて、それで賠償金を返せばいいんだろうということになって、またヨーロッパはめちゃくちゃになりました。

 ジョン・メイナード・ケインズ( John Maynard Keynes、1883-1946年、62歳で死)という人類最大のすぐれた経済学者は、そういう報復賠償なんかするんじゃない、もっと酷いことになるんだと言って、ベルサイユ会議のイギリス側の財務省を代表していた人物だけど、抗議して辞めた。そして、『平和の経済的帰結 』 ”The Economic Consequences of the Peace ” 「ジ・エコノミック・コンセクエンス・オブ・ピース」(1919年刊)という本を書いた。

 「”戦争の配当”、ではなくて、(人類に)”平和の配当”を与えなければいけない」と書いて、一世を風靡した。ケインズはこの時から有名知識人になった。
 ケインスは、本当に天才学者でした。偉かった。だけど、世の中はそうはいかなくて、そのときの政治家たちが馬鹿だから、結局ドイツ国内に憎しみが沸き上がって、ヒトラーみたいなのが台頭したということになっているんですね。

ジョン・メイナード・ケインズ
 ドイツは軍需産業を中心にして急激な復興を果たすわけです。巨大な復興を遂げて、軍需産業を徹底的にやった。それが1920年代はずっと続いたんですね。1922年のラパッロ条約(Treaty of Rapallo)というのがあって、これに秘密条項があって、ソビエト連邦がドイツを支援するという条約が裏で結ばれていた。

 こういう大きな世界史の歴史の話をどんどんするとみんなが嫌がる。だからヒトラーの話に限定します。 ヒトラーが政治家デビューしたのは1923年のミュンヘン・プッチ(München Putsch)です(34歳)。日本では「一揆」と訳しています。これはビアホール・クーデターともいうんですが、ミュンヘンの一番大きな、数千人も入れた、ビアホールで集会を開いて、もう一回ドイツは戦争をして、ソ連やフランス、イギリスと戦って勝ってやるみたいな動きがここから出た。

 このときにワイマール憲法体制だったドイツ政府の警察と、銃撃戦になって、ヒトラーは死にかかったけど、なぜか死ななかった。ランツベルク要塞というところに9カ月間収容されただけで、民族的英雄としてデビューしたんです。この時、ヒトラーの人気が、ドイツ国民の間に熱狂的に巻き起こった。これが、タビストック研究所の戦争心理研究(サイコロジカル・ウオーフェア・スタディ)の真の恐ろしさだ。こういう、国民的な熱狂(ユーフォリア)、狂騒(きょうそう)状態を、人為的に、計画的に作り出すのだ。この戦争心理研究なるものも実例を、私たち今の人間は分からなければいけない。なぜなら、今のコロナウイルス騒ぎによる、コロナワクチンも含めた、世界中での、上手に作られた、集団発狂状態、人類への洗脳(せんのう)、扇動(せんどう)攻撃を、私たちは、自覚して、ゾッとしなければいけないのだ。

 ヒトラーは、このドイツ南部の大都市ミュンヘンのランツベルク要塞の刑務所で『我が闘争』 ”Mein Kampf ”「マイン・カンプ」(1925年刊、36歳のとき)という本を書いた。しかし本当は横にいた、ルドルフ・ヘス(Rudolf Hess、1894-1987年、93歳で死)という同志の男が書いた。このへスは、インテリで文章が書けた。

ヒトラー(左)とルドルフ・ヘス
 このルドルフ・ヘスは、ナチス党の副総統だったのに、単身、イギリスに飛んで、パラシュートで降下して、イギリス政府に、「ドイツは、英米とは戦争しない。共に、ソビエト・ロシアとだけ、戦争をするべきだ」と、言いに行った。ヘスも、イギリスが育てたスパイだった。そのように、この本に詳しく書いている。ヘスは、前後もずっとイギリスで長いこと刑務所にいて死んだ。すべては仕組まれていたのだ。

 有名な電撃作戦(ブリッツクリーク Blitzkrieg )、別名、バルバロッサ作戦(Operation Barbarossa)ともいう。ドイツの有名な赤髭王(バルバロッサ)という戦争に強かった大王(デア・ヴァイゼ)から取った作戦名だけれども、ドイツは、なぜか、一気に、1941年6月22日にロシアに攻め込んだ。ここに奇妙な戦争開始の策略があった。既にその前から、ポーランドをロシアと半分ずつ分けっこしていた(ブレスト・リトフスク条約。1919年)。この電撃作戦で、本格的に第2次世界大戦が始まる。

 第2次世界大戦は、すでに、2年前の、1939年9月1日に始まっていた。ドイツとロシアがポーランドを秘密条約で、山分けするために、ドイツ軍がポーランドに侵攻したときだ。イギリスが激しく躊躇(ちゅうちょ)したあと宣戦布告した。1938年に、英チェンバレン首相が、「こらこら、ドイツ。暴走するな」と抑え込もうとしたが、ドイツを抑え込むことが出来なかった。と、通常の世界史の本ではなっている。真実は、このチェンバレンの外交の大失敗、ということにして、このあとチャーチルが、猛然と、首相になって登場する。すべては計画通りだ。初めから大(だい)戦争を起こさせる気だったのだ。

 だから、2年後にドイツが、突如、ソ連を攻めて本格的に大戦争になったんですね。
その前の、すでに1933年に、パウル・フォン・ヒンデンブルク(Paul von Hindenburg、1847-1934年、86歳で死)という元帥の大統領から、Chancellorというんですけど、ヒトラーは首相に任命されていた。だからヒトラー政権になった。そののの10年間かけてナチス党がどんどん議席をふやしていたわけです。合法的にドイツ議会で一番、議員の数が多い政党になった(議会第一党)。

ヒトラー(左)とヒンデンブルク
 この後、授権法(じゅけんほう。 Ermächtigungsgesetz、エアメヒティーグングスゲゼッツ、英語ではEnabling Act エンネイブリング・アクト)と言うんですが、議会(国会)をなくしてしまった。本来、議会が法律を作る。その国民議会(国会)の権力、制度を廃止してしまった。「首相が法律をつくることが出来るという法律」をつくったのだ。

 つまり、これが、独裁体制で、議会は解散させられた。 日本も全く同じ動きがあって、翼賛体制(よくさんたいせい)というんだけど、国会を翼賛議会というのにした。大政翼賛会(たいせいよくさんかい)で、議会の各政党が自主的に解散して、軍部独裁、昭和天皇を中心にした軍事的な指導部、政府が法律をつくるようになった。

 ここから恐ろしい時代に入っていったのですが、私がびっくりしたのは、さっき言ったタヴィストック戦争心理研究所で、何をやっていたか、ということです。前述した「サイコロジカル・ウォーフェア」psychological warfareと言うんですが、これが恐ろしい言葉なんです。 
 戦争心理研究、心理戦争(サイコロジカル・ウォーフェア)というのは実に恐ろしい言葉で、はっきり言うと、今のコロナウイルスやワクチン騒ぎも実は意識的、計画的に心理戦争という形でずっと研究されていて、これが具体的に、今の世界で実行されているのです。だから、あたりに妙な感じがする、と、みんな感じていると思うんですね。

 巨大な戦争は核戦争ということになっていて、2つ目が生物・化学兵器製造による戦争ですね。3つ目が、最新式の、サイバー(電脳空間)戦争のようです。
 2つめの生物化学戦争は、エピデミック、疫病が世界に広がるとパンデミック、これで1億人とかの人間を殺す。それで恐怖に陥れて世界がめちゃくちゃになるという生物・化学兵器戦争でもあるのだ。だけど、今度のコロナは、世界中で大した数の人は死んでいません。インドも、ブラジルも、コロナで死んだ、と騒いでいるけど、ほとんどウソで、いつもの貧困と高齢者の、いつもの例年の死だ。

 日本の「コロナでの死者 1万5千人(去年、2020年2月からの通算)」というのは、例年のインフルエンザによる死者の数と、まったく同じだ。この事実を、ちょっと頭のいい人は、皆、知っている。知っているけど、言わない。口にしない。引きつったような顔をして、ぼそぼそと、自分一人に向かって、「ホントは、コロナなんかで死んでいる人はいないよ」と、うつむいて言っている。でも、自分の家族にも、この真実は、言わない。ギャーギャー、家庭内で喧嘩(ケンカ)になるから。

 このコロナウイルスは、2019年10月に、中国の武漢で撒(ま)かれて、米軍がやったんだけど、4カ月後の4月18日のロックダウン解除のところまでで、武漢で、3000人の中国人が死んだ。それを1.5倍に水増しして4800に中国政府はしたんですね。これは恐らく正しい数字で、中国の場合は、60過ぎの老人は集中治療室に入れません。30代、40代の若い人だけを助けようとして助かった人がたくさんいる。それでも死んだのはたったの、4800人だ。これ以外には、もう、いません !

 日本は、去年の2月3日のダイヤモンド・プリンセス号から大騒ぎになって集団発狂状態に入って、今年の4月までで1万5千人がコロナウイルスで死んだということになっていますが、恐らく、私は本当のコロナウイルスの死者は50人以下だと思います。初めに外国から持ち込まれたときに死んだ人たちだけであって、それ以外は、重症者と言われている人もほとんど死んでいません。死んだのは、糖尿病とかの持病を持っている50代ぐらいから上の人たちと、98%は通常の肺炎で、80代、90代の老人が死んだ。だからコロナウイルスで死んだというのは嘘です。この話ももうしません。

 ただ、心理戦争というのがどれぐらい怖いかということを私はこの本から学んだ。やっぱりタヴィストック研究所だと。昔私がロンドンに住んでいたとき、カムデン・タウンという都市があって、ロンドンの北のほうに地下鉄が伸びていまして、あの辺なんです。カムデンタウンのさらに郊外の、大きな立派な敷地のところにある。東京から北に延びた埼玉県のようなところです。 

 これが、戦前はタヴィストック米軍心理作戦学校だった。研究所でもある。昨日調べたら、現在は、タヴィストック人間関係研究所になっていて、建物は一緒ですけど、タヴィストック医療研究所と、2つに分かれている。危ない話は全部隠してしまっている。それでも心理戦争研究は今も続けているようだ。

(ここに、現在の 立派な タビストック研究所の建物、高層ビルがいくつかから成る、の写真を、ウィキペディアから取って、ここに、貼り付けてください。)

タヴィストック洗脳研究所
 ここでヒトラーが育てられたというのはものすごく重要なことだ。タヴィストック研究所と言うと、欧米の知識人でも鼻白んで白けて、もうその話はするなというふうに言われ続けてきた。これは現実にウィキペディアにも載っていますし、コンスピラシー・セオリストがここで危ない研究をずっとしているということを書いたジョン・コールマン(John Coleman、1935年-、86歳)の本が、成甲書房から2006年ぐらいに出ています。

 専門家レベルでは、ヒトラーがイギリスが育てたスパイだったというのは、否定する人が恐らくいなくなっていると思う。ただ、大きなタブーなんですね。それじゃ一体、第2次世界大戦というのは何だったんだという話に必ずなるんですよ。普通の人は 大きな脳をしていないので、とてもそんなところまで考える余裕がないんですね。目の前の自分の生活のことで手一杯だ。それが悲しいところで、ヒトラーがどの程度、英米の超財界人たち(グローバリスト、ディープ・ステイト)が育てたスパイだったとか、本当かよ、みたいなことになるんです。

 ドイツとソ連あるいはフランス、イギリスの戦争の話をずっとしていくと大変なことになるので、全部省略しますが、最初は電撃作戦で勝ったわけですね。1941年6月22日にドイツ軍がロシアに攻め込んだわけです。その直前に松岡洋右(まつおかようすけ、1880-1946年、66歳で死)という日本の外務大臣が、ムッソリーニとローマで会って、大喜びされて、その3日後には、ドイツに飛んで、ベルリンでヒトラーに会って、さらに大歓迎されている。そこから、すぐにスターリンに会いに行った。この3人の世界最大独裁者に抱きかかえられるようにして、松岡は大歓迎されているんです。ここに世界史の重要な事実が有る。

ヒトラー、スターリン、松岡洋右
 この秘密について、私はすでに一冊の本に書いた。昭和天皇と松岡はものすごく仲がいい。松岡が、世界に向かって昭和天皇の意思を代弁しているわけですね。そのときの近衛文麿(このえふみまろ、1891-1945年、54歳で死)首相なんていうのはお坊ちゃまで上品で、悪いことが何もできないような人です。人格に何の歪(ゆが)みもない立派な人だった。近衛家という、藤原摂関家(ふじわらせっかんけ)の筆頭の、「氏(うじ)の長者」と、室町、戦国時代は呼ばれた、名家で、どうかすると、天皇家よりも血筋(血統)が、はっきり、しっかりしている。

近衛文麿(左)と松岡洋右
 だから本当の日本の代表は、昭和天皇及びその耳と目だった松岡洋右なんです。松岡は、3人の独裁者に、はっきり言ったんですよ。「日本(軍)がシンガポール、香港を攻撃して、一気にイギリス軍を攻め落とす。そして中国とインドまで自力で攻め取る。だからアジアは日本にくれ」と松岡は言った。

 そうしたら、ムッソリーニとヒトラーと、さらにはスターリンが大喜びした。この事実を日本の歴史学者は誰も言わない。戦争研究者やら政治学者たちもね。私、副島隆彦の歴史研究の大きな業績だ。

 このことは、『副島隆彦の歴史再(さい)発見』(ビジネス社、2019年刊)という本に書いた。
(ここに、アマゾンのURLを貼ってください)

副島隆彦の歴史再発掘
 私はこの本に、巨大な真実をはっきりと書いた。この本は、自分で言うのもなんだが、大変な、世界史の大真実を発見し、公然と暴き立てた、大変な本だ。今から、みんな、読んでください。

 枢軸(すうじく)というのは、 the Axis 「ジ・アクシス」 と言いますが、ベルリン、ローマ、東京という枢軸」という。数学の関数のデカルトが作った直角座標の、縦横(たてよこ)の、x軸(じく)とy軸とかの軸も軸です。これが、日独伊三国軍事同盟のことだ。
 本当はそれに何とロシアまで入っていた。四国同盟。その案を松岡が自分だけでつくったわけじゃないけど、日本側からの対応だったんですね。大きな意味では馬鹿だったということです。スターリンはわざわざモスクワ駅に見送りに来て、シベリア経由でシベリア鉄道でハルピンまで帰ってきて、飛行機で立川の陸軍の飛行場におりた。近衛首相が出迎えに来ていた。

 ところが、そのたった2カ月後の、1941年6月22日に、ドイツが電撃作戦でロシアに攻め込んだ。これで松岡が死ぬほど慌てて皇居に走り込んで、天皇に直訴した。「お上(かみ)。このままでは、日本はアメリカ、イギリスと戦争をさせられる、これでは、日本は滅ぶ。今こそソビエトを攻めましょうと言った」そうしたら、昭和天皇が怒った。まだ40歳ぐらいですからね。松岡が55歳ぐらいかな。

 昭和天皇は、顔色を変えて激怒して、「ばか、松岡。 おまえがロシアと相互不可侵条約を結んで帰ってきたばかりじゃないか(本の2ヶ月前の4月に)。それが、何ということを言うんだ、もうアメリカと戦争する体制に入っているんだ」と言った。このとき、昭和天皇が大きく、騙(だま)されたわけですね。この時期の世界史の大きな動きの中で、日本が果たした役割は大きい。だが、このとき日本は、英と米に、まんまと謀(はか)られて、大きく騙された。そして、英米側にソビエト・ロシアが付いて、連合国(ユナイテッド・ネイションズ)となって、ドイツ、イタリア、日本の枢軸国(すうじくこく)を打ち破った。
 だから松岡と昭和天皇の外交での失敗は、は、日本国の20世紀の最大の、大失敗だ。

 この後、松岡は激しく苦しんで、絶対に外相をやめないと騒いだ。「私が交渉をする」と。だが、結局、近衛内閣が総辞職する形で、松岡は首を切られた。あとは、もう茫然自失だ。松岡は、昭和天皇にこのあとヒドく嫌われた、ということに日本史の本ではなっている。
 この後は、日本は、もう「坂道を転がるように」という言葉で言われるのだが、12月の真珠湾攻撃を、これも騙されて敢行して、この後、がらがらと日本は崩れ落ちていった。この年(1941年)の6月と9月に御前会議(ごぜんかいぎ)を開いている。天皇が臨席してところで、戦争の開始と遂行のための、日本国の最高の意思決定の会議が開かれた。
だからこの事実が、連合(諸)国(the UN ザ・ユー・エヌ)から見たら、「昭和天皇ヒロヒトには、戦争開始責任がある」となる。

 ドイツに攻められたから、スターリンはびっくり仰天、真っ青になって(証言がある)慌てて英米側に付いた。このあと、アルハンゲリスク(Arkhangel'sk)やムルマンスクという、スカンジナビア半島の北のほうをぐるりと回って、ロシアに、アメリカから大量の軍事物資の大(だい)輸送が始まった。ということは、ロシア、スターリンを、まんまと英米側に取られてしまった、ということである。
 ここで世界史の軸が、グググと大きく動いた。これらは全て計画的に行われている。

 松岡洋右と昭和天皇、そしてスターリン、ヒトラーをはめたのは、ドイツの外相をしていたドイツのヨアヒム・フォン・リッベントロップ(Joachim von Ribbentrop、1893-1946年、53歳で死)という男です。それから、スターリンのすぐ横にいた、外務人民委員(外相)、外務長官のヴャチェスラフ・モロトフ(Vyacheslav Molotov、1890-1986年、96歳で死)、この2人もイギリスのスパイです。

 こうやって嵌(はめ)られているんです。20世紀の人類の歴史は恐ろしいことです。要するにまんまと戦争をさせられたということです。でも、最高指導者たちは、そんなのことはみっともないから言わない。

(左から)リッベントロップ、スターリン、モロトフ
 一番の悪はやっぱりウィンストン・チャーチル(Winston Churchill、1874-1965年、90歳で死)です。チャーチルは10代のころから、イートン校の高校生の頃から、育てられて、そのまま軍の情報部員でもあり、大学時代もイギリスのMI6、国家情報部で働いていた男で、ヒトラーを遠隔操作で、操っていたのもチャーチルだ。

チャーチル
 この本には書いていないけど、ヒトラーとイギリス王室の関係もありました。今のイギリス王室はウィンザー朝です。1917年まではザクセン=コーブルク=ゴータ家(House of Saxe-Coburg and Gotha)というんだけど、ドイツ人の王子様アルバート・オブ・サクス=コバーグ=ゴータ(Prince Albert of Saxe-Coburg-Gotha、1819-1861年 、42歳で死)がヴィクトリア女王(Victoria、1819-1901年[在位:1837-1901年]、81歳で死、ハノーヴァー朝最後の王様)と結婚した。

 ヴィクトリア女王の息子のエドワード7世(Edward VII、1841-在位1901-1910年。ボンボンでアホ。68歳で死)が国王になった。ザクセン=コーブルク=ゴータ朝が始まったとする。エドワード7世の息子のジョージ5世(George V、1865-1936年[在位:1910-1936年]、70歳で死 )の時、第一次世界大戦が起きて、ドイツの名前じゃまずいというので名前を変えてウィンザー朝(House of Windsor)になった。

ヴィクトリア女王からの家系図
 このジョージ5世の長男坊で、エドワード8世(Edward VIII、在位:1936年)として即位して、すぐにスキャンダルで退位したウィンザー公(Duke of Windsor、1894-1972年、77歳)はヒトラーは
とものすごく仲がよかった。これは事実で、チャーチルもそこに絡んでいるわけね。育てられている。エドワード8世(ウィンザー公)はドイツに近いということで、首になった。

 シンプソン夫人(Wallis Simpson、1896-1986年、89歳で死)というアメリカ人の離婚歴のある女と結婚したということが、醜聞(スキャンダル)になったということにして、これを理由でやめさせられて、ジョージ6世にかわった。このジョージ6世は、どもり症で、対人恐怖症だった。最近、映画になった。このジョージ6世の長女が、今の、エリザベス2世だ。
 エドワード8世はドイツとかなり深くつながっていて、かつ彼自身も育てられている国王なんですね。何とは今言わないけれども、もっと大きな力が、世界を支配しているんでしょう。

ウィンザー公とシンプソン夫人、ヒトラー
 大本営といってもいいけど、ドイツ参謀本部の動きは全てイギリスに筒抜けだったんです。本にまだはなっていないけれども、これは私がずっと研究して、キム・フィルビー(Kim" Philby、1912-1988年、86歳で死)という男が007のモデルであろうと書いた。その親の世代で、ドイツの国防軍防諜(ぼうちょう)部長(長官)をしていたヴィルヘルム・カナーリス(Wilhelm Canaris、1887-1945年、58歳で死)提督が実はイギリスのスパイだった。イギリス側がMI6のスチュワート・メンジーズ(Stewart Menzies、1890-1968年、78歳で死)という長官です。メンジースのMが007に命令を出していたMなんですね。

キム・フィルビー

スチュワート・メンジーズ
 このメンジースとチャーチルは、第2次世界大戦中1500回会っている。1日3回会っている。だから、ドイツの動きは全部、ドイツの 防諜部長官の、カナーリス提督からイギリス側に伝わっているんですね。ということは戦争に勝てる訳がないんですよ。作戦指令で軍隊の動きが全部ばれている。

 このカナーリス提督も1945年3月に絞首刑ですね。何でだといったら口封じです。なぜなら4月30日にはヒトラーは自殺ですから、イギリス側とつながっていたドイツの軍人や外交官の連中はみんな、口封じ、証拠隠滅で、戦争が終わる前にヒトラーの命令で処刑されている。全部証拠が残らないようにした。

ヴィルヘルム・カナーリス提督(海軍大将)
 私はかなりそれは怪しいことであると思っていたら、『ヒトラーは英国スパイだった!』の本の中に恐ろしいことが書いてあって、今日私が話すことの最大の問題は、ヒトラー暗殺計画が実行されたけれどもヒトラーは死ななかった。これは1944年7月20日に実行されたんです。ヴォルフスシャンツェ(狼の巣)というんだけど、これはポーランド側にある。

 飛行機でベルリンまで2時間かかるところで、ベルリンから1000キロも先にあって、そこで最高軍人たちの会議が開かれていた。ヒトラーは、ベルリンにいるか、ずっと南のミュンヘンの山のほうにいるか、あるいは狼の巣(Wolfsschanze、ヴォルフスシャンツェ)にいるんです。

ヒトラーのいたバンカー

ヒトラーの司令部の地図(赤い点)

(つづく)

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