イエスは、36歳で死んでいるから、布教活動は、たったの6年間だ。ナザレから東のガリラヤ湖の周辺をうろうろして、それから、ヨルダン川を南に下(くだ)って、洗礼者(バプテスマの)ヨハネ John の洗礼(バプタイズ)を受けた。それから、エルサレムに入った。旧市街の中を自由に動き回ったとは思わない。すでに、イエスの布教活動は、ローマ帝国からの現地派遣の軍事総督(ぐんじそうとく。pro consul プロコンサルの ピラト(Pilate ピラトゥス、 パイラト)にとって、危険な扇動者(ゲマゴーグ)と見なされていたようだ。
ナザレは、イスラエルの北の方の、ガリラヤ湖 Sea of Galilee の西の方だ。そして、エイスの真実の奥様であり弟子(使徒、アプストル)でもあった マグダラのマリア Magdalene Maria の生まれ育ったマグラダ Magdala の町が、ガラリア湖のほとりにある。イエスが布教を始めて、1年後ぐらいの 31歳(紀元後25年)にマリアと出会って結婚した。そして、一緒に布教の流浪を続けた。まわりに信者として弟子(使徒)たちが出来た。
イエスは、普通の男で有り、人間で有り、奥さんと、子供もいた。父 ヨセフ Joseph は、 言われているような、ただの貧しい大工ではないだろう。それなりの家の出の人だったようだ。そうでなければ、イエスがそれなりの教養を身につける事は出来ないし、まわりから尊敬されない。
ワンステイト One State に対して、ツーステイト・ポリシー Two Sate というものがある。イスラエルとパレスチナが今のままの状態で、2国家として共存するという政策だ。これしかない、ということです。このツーステイト・ポリシーしか、実際には、現実味ははないと副島隆彦も、上記の対談本で、はっきり言っている。