「1496」番 俳優の菅原文太氏が亡くなった。 「1194」番会員ページ に載せた副島隆彦との対談を再掲します。 2014.12.13
 副島隆彦です。 今日は、2014年12月13日です。

俳優の菅原文太(すがわらぶんた)氏が、この11月28日にお亡くなりになった。81歳だった。
私が招かれて3年前に行った彼との対談文 を再掲載する。 どんどん戦争に向かうとする今の
日本を深く憂慮しておられた。

(貼り付けはじめ)

「菅原文太さん81歳=俳優、「仁義なき戦い」」

2014年12月1日 毎日新聞

http://mainichi.jp/select/news/20141201k0000e040196000c.html

 映画「仁義なき戦い」シリーズなどに主演した俳優の菅原文太(すがわら・ぶんた)さんが11月28日、転移性肝がんによる肝不全のため、東京都内の病院で死去した。81歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は妻文子(ふみこ)さん。

 仙台市生まれ。早稲田大中退後、雑誌モデルとして活躍中の1956年「哀愁の街に霧が降る」で映画初出演した。所属した新東宝が売り出すが、61年に同社は倒産。松竹に転じたがそこでも芽が出ず、東映に移籍した。

 任(にん)きょう路線全盛の東映では二線級のスターだったが、71年「懲役太郎 まむしの兄弟」(中島貞夫監督)がヒットして頭角を現し、73年「仁義なき戦い」(深作欣二監督)でトップスターに躍り出た。暴力団の抗争をリアルに描いた実録路線のさきがけでシリーズ5作は大ヒットした。

 一方、75年の「トラック野郎 御意見無用」では、乱暴だが情に厚いトラック運転手をコミカルに演じ、これも人気シリーズに育った。

 また、77年「ボクサー」(寺山修司監督)▽78年「ダイナマイトどんどん」(岡本喜八監督)▽79年「太陽を盗んだ男」(長谷川和彦監督)など異色作にも挑戦。「トラック野郎」シリーズが79年で終了してからは渋い脇役として存在感を示した。2001年「千と千尋の神隠し」の釜爺役で声優として出演。12年、俳優引退を表明していた。

 私生活では98年に岐阜県清見村(現高山市)に移住。2001年に長男で俳優の加織(かおる)さん(当時31歳)を踏切事故で亡くした。07年には膀胱(ぼうこう)がん発症で一時帰京したが、09年に山梨県北杜市で農業生産法人を設立、耕作放棄地でライ麦などの有機農業に取り組んだ。

 11年の東日本大震災の福島原発事故を受けて「命よりカネ優先だ」と憤って脱原発を表明。12年には消費社会を見つめ直す運動体「いのちの党」の発起人となった。同年末の安倍晋三政権誕生後は、特定秘密保護法や集団的自衛権行使容認について「先の戦争の片りんが影絵のように透けて見える」と強く反対した。11月1日には沖縄知事選で翁長雄志(おなが・たけし)氏の応援演説に立つなど最近まで精力的に活動していた。

 妻文子さんは「がん発症以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち『朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり』の心境で日々を過ごし、小さな種をまいて去りました。一つは、先進諸国に比べて生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう声を上げることでした。今も生者と共にあって、これらを願い続けているだろうと思います」との談話を発表した。

(貼り付けおわり)

 私は、2010年暮れに、彼と対談した。その内容を「ぼやき」の「1194」番に載せた。その内容を再掲する。ご冥福をお祈りします。


●今日のぼやき 「1194」番  副島隆彦先生が昨年暮れに行った対談記事を掲載します。 
2011年2月18日

アルルの男・ヒロシです。今日は2011年2月18日です。

 今日は、昨年暮れに副島先生が、日本を代表する俳優の一人である菅原文太(すがわらぶんた)氏とラジオ番組で対談したときの内容を元に小学館の書籍PR雑誌に掲載された対談の模様を皆さんにお届けします。

 菅原文太氏は亀井静香・国民新党代表や、小沢一郎・元民主党代表とも雑誌の企画で対談しています。

===(以下、転載貼りつけ)====



菅原文太×副島隆彦

アジアどうしで戦うな


連載対談 第四回 外野の直言、在野の直感
 
 若者たちの志を阻み、老人たちを遺棄し、子どもたちの悲鳴に耳を貸さなくなった日本。アメリカ追従の官僚機構と、同胞に冷たい政治から、この国を取り戻すことができるのか。外野から問い掛けた菅原文太さんに、在野の畏友(いゆう)たちが集まった。鳥越俊太郎、福岡政行、副島隆彦さんたち。 

 今回は、民間人国家戦略家として活動する副島隆彦さんと、日本とアメリカ、日本とアジアとの関係について語ります。

<真実を表に出さなければ死に切れない>

菅原 副島さんは、日本を常識を覆す分析で暴き出そうとしています。それもかなり過激に(笑)。そのため、「異端」と呼ばれているようだけれども、おれなんかにはそこがほかの識者や学者と違って痛快なんだ。ニッポン放送のラジオ番組でお会いしたとき言っておられましたね。「やっと食えるようになりました」って。

副島 早稲田大学を出て、なんとか銀行に入れてもらったのですが、つまらないので「物書きをやる」といって二十九歳で辞めまして。“百円ライター”(雑文書き)になりました。週刊誌の(記事をまとめる)アンカーの仕事があったのですが、自分の署名入りでなければ書かないと決めていたので、予備校で教えながら書いていました。

 そうして自分の原稿収入で食えるようになったのが四十五歳くらい、なんとか物書きとして認められたときには五十歳になっていました ……。とにかく「嘘はつかない。ほんとうのことしか書かない」と決めていました。

菅原 アメリカや中国、ロシアとの関係から政治、経済、メディアといった諸問題まで、暗部をえぐり出そうという副島さんのエネルギーと情熱はほんとうにものすごい。尊敬してますよ。おれも副島さんの本は、タイトルにつられて(笑)ずい分買ったけど、もうぐらいになりますか?

副島 だいたい百冊ですね。

菅原 問題の上澄みをなでるような本は、本屋にあふれているけど、副島さんほど赤裸々にあぶり出してやろうという人はなかなかいない。そうさせるのは怨念なのか、執念なのか、いったい何ですか?

副島 私には「自分が騙(だま) されている」という意識が小学生くらいのころからありました。中学校の授業で「東ヨーロッパはソ連の衛星国(サテライト・ステイト)だ」と教えられたんで、私が「それじゃあ日本はアメリカの衛星国じゃないのですか」って教師に言ったら、まったく相手にしてくれなかった。

 それで三十年後に『属国・日本論』という本を書いたのですが、とにかくそういう問題意識を私はずっと持っていて、自分では「大きな枠組みの中の真実」といっているのですが、問題意識を大きく設定して、世界史(人類史)のなかで真実を探り当て、表に出さなければ死ぬに死に切れないという気持ちがあるんです。

 私には世の中のたいていの仕組みや物事の裏側がわかる自信がある。なぜなら私は政治思想の研究家ですから。思想というのは恐ろしいものなんです。劇薬といっていい。バイ菌を扱っている学者がバイ菌にやられて死ぬことがあるように、私も扱い方を間違えれば自分がひどい目に遭う。そんな劇薬を毎日扱ってきましたから、大きな枠組みのところでの判断は間違わないという自信があるんです。

 私の先生は小室直樹(こむろなおき)という天才・政治学者で、業績も大変なものですが、あまり認められなかった。ただひとりで田中角栄を擁護しつづけたんです。それを『文藝春秋』なんかがおもしろおかしく取り上げて書かせてはくれたのだけれど、奇人変人扱いされたまま亡くなった。だから私は、先生の弔い合戦をやるんだという気持ちがすごく強いんです。私も小室先生と同じような運命を辿(たど) る覚悟はできている。でも今回は負けないぞという気持ちがあります。

 そのために大事なのは、ウソをつかない、大勢に従わない、権力者に媚を売らない。貧しい民衆のために、どんなに嫌われても嫌がられてもいい。たとえ殺されてもほんとうのことを書く――それが私の信念なんです。

菅原 なるほど。しかし、そうやって副島さんがいくら書いても語っても、世の中というものには、ひとりの人間ではどうにもならない厚い壁があるでしょう。

副島 そうです。ありますね。

菅原 その壁はゲンコツで叩(たた) くくらいのことではまったくビクともしない。さて、どうしたら穴をあけて、真相や真実が見えるようにすることができるんだろうか?

副島 いや、もう諦(あきら)めています。私は暴くだけ暴いて、書いて残す。それだけです。それ以上の欲望はありません。暴きたて、きちんと活字にして、十万部くらい売れていれば後世に残る。そうしたらきっと「副島のここは間違っていたけれど、残りの七、八割はあたっていたな」と後世の人が評価を下してくれるだろうと。

菅原 そういう積み重ねを、黙殺や妨害にめげずに続けてきた副島さんは偉いな。

副島 日本には五百万人くらいの経営者層、資産家層がいるんです。金融資産だけじゃなくて土地と建物を持っている、家賃収入だけで毎月三千万円入ってくるような人たちが。そういう人たちは戦後六十五年間、アメリカのいうことをきいたおかげで財産を築けた、豊かにしてもらったと思っている。

 アメリカ様(さま)のおかげで、彼らは百億円の財産を作らせてもらったけれど、いまはそれが十億円くらいになっている人も多い。金持ちもかなり貧乏になっている。私は彼らがもっと失敗してくれればいいと思っている。人間はしょせん、色と欲ですから、金の問題で痛い目に遭えば少しは勉強する。そうしたら「もう嫌だ」ということで、アメリカ帝国から少し離れるという判断が二、三年後に出てくると踏んでいます。

菅原 このまんまアメリカ帝国の植民地じゃナサケないからねえ。

副島 ほんとですねぇ。

<若者は昔と変わったのか?>

菅原 もう少し身近なところに話を戻したいんだけど、最近盛り場に行くと、どこからあんなに湧(わ) いてくるのか、同じような服装に身を包んだ若者がアリの群れのように ――アリは働く目的があって群れているわけだが、みんなは目的なく歩いているようにジジイのおれには見えるんだ。そういう姿を見ると、おれが昭和二十八年に東京へ出てきたころの若者とはどこか様子が違うんだ。日本人がずい分変ったように見える。

 あの頃は、サラリーマンはサラリーマン、職人は職人、はみ出し者ははみ出し者というようにそれぞれの顔があって街で交錯していた。それがいまはみんな同じように見えて、ちょっと不気味な感じを抱いてしまう。若い俳優たち、とくに女優たちの顔が同じに見えて区別がつかない。トシのせいかな?(笑)

 先日茨城で集まりがあって聞いたのだけど、農業をやらないかと募集をかけるとけっこう若者が集まるんだって。ところが、ほとんどがすぐやめてしまう。

副島 長続きしない。大変ですからね、農業は。

菅原 でも、おれも副島さんもそうだったろうけれど、大変であろうとなかろうと、食うためには我慢してやっていくしかないというのがあったじゃない? 格差社会とは言え、餓死者はさすがに出ない、同質社会を目指して若者たちを教育したこの国はどこに向かっていくのだろう。副島さんはどう思いますか?

副島 オジさんになるとすぐに「個性を失った若者が……」って言いたくなりますが、私は去年まで大学に勤めていて若者の実態を知っています。個人というレベルまで分け入っていくと人間というのはそんなに変わっていないという気持ちのほうが強いですね。 

 私は、出版業界では「煮ても焼いても食えない」といわれていますが、誰とでもお話しするし、はっきり自分の意見をいうけれども、相手の意見も尊重する。合わないところは合わないでいいというのが私のスタンスです。だから絶望しないし、若者を見てだらしないとも思わない。打ちひしがれていると見えるとすれば、それは彼らも敗戦直後の日本人と一緒なんじゃないかって。

菅原 いやあ、敗戦直後はもっと活力があったよ。闇(やみ) 市(いち) なんてもう、怒号が飛び交ってすごかったから。そういうエネルギーがその後の経済発展に――それがよかったのか悪かったのかわからないけれど、つながっているのは間違いない。

 ただ、そういうエネルギーや活力が、官僚や政治家や経済人の金儲けばかりを指向した、理念や理想の無い戦略に呑(の) みこまれてしまって、民族としても、人としても大切なものを失った。有効には働かなかった。その果てにいまの日本がある。だからいまの若者にエネルギーや活力が見えてこない。

副島 私の息子もぼーっとしてますからね(笑)。でも、彼らだって自己実現のためにそれなりにもがき苦しんでいます。その姿が見えます。

 私も、5坪くらいの畑で野菜を作っていまして、最近、果樹園づくりもはじめたんです。

菅原 ほう。どこでやっているの?

副島 熱海の仕事場の下の崖(がけ)の土地を市から買いましてね。で、実際に農業をやってみてわかったのは、大事なのは太陽と水だということでした。

 最初の二か月間、毎日水をまかないと苗木が育たないことがよくわかった。若者を育てるのも苗木を育てるのも一緒だなと気づいたんです。水と光と必要最小限の栄養分はやらなければいけない。ただし、甘やかしちゃいけない。ですから、私には弟子が五十人くらいいるのですが、「私のところに寄ってきた以上、本はなんとか出させてやる、あとは自分でがんばれ、それでも伸びない奴は自分のせいだ」と、わりと冷酷にほったらかしますね。

<アメリカが日本の権力を操っている>

副島 ですから、私は若者に絶望はしていなくて、これくらいでいいんだって考えている。先ほど菅原さんが「敗戦後のエネルギーや活力が本当に有効には働かなかった」とおっしゃったように、日本はもっと豊かで立派ないい国になるはずだったのにならなかった。それは、やっぱりアメリカが悪いと私は思っています。アメリカが富を奪い取ったんですよ。

菅原 そうだね。それは間違いない。いまだって簒奪(さんだつ) され続けているじゃないですか。

副島 そうですね。すべて隠してしまっている。それが表に出るまで二、三年じっと待っていようと思っているんです。

菅原 簒奪されながらも日本は、「経済、経済」といって馬車馬のように追いたてられて富を蓄積したでしょう。その富はまだ国の側には残っているよね。

 このあいだ、麹町(こうじまち)をふらふら歩いていたら、官僚や金持ち連中の建てたビルとか、独立行政法人という名前をうたっているビルが多くて、個人の家なんかほとんどない。事業仕分けなんて――、

副島 インチキですよ、あれ。仕分けた分を減税すべきだ。

菅原 そうだよ。何層もの上の紙一枚ぺらっと剥(は) がしたくらいじゃダメだ。とても深い底まではいきそうもない。

副島 やっぱり官僚たちって悪いんですよ、ほんとうに。「世の中は貧乏人と金持ちでできている。その上におれたちがいる。東大に入って、いちばん上にいるおれたちがいい思いしてあたりまえだ」と思っている。

 人類の歴史というのは、上のほうでいい思いをする人間と下のほうで一日十六時間働かなければならないような人たちとでできあがるようになっている。この仕組みは壊せないのだと思う。そこは私は、絶望しています。ですから、キレイごとは言いたくない。平等社会など、できません。このことをはっきりと言わないとキレイごとの世の中になる。ただし、わけのわからない支配と管理で上のほうだけがいい思いをする社会は認めない。

菅原 うん。

副島 なぜなら、彼ら官僚は経営者として能力があって金持ちになったわけではない。組織・団体のなかで上手に生きてきたという人です。だから彼らから権力を奪い取らないとダメですね。官僚なんか偉くもなんともない。本当に国民のために尽くしたいのなら、国会議員になるべきです。そして、組織・団体をバックにしないで、国民全体の幸せを考えなきゃいけない。

菅原 だけど、松下政経塾で洗脳された代議士たちがまた、頼りにならないのばっかりで。副島塾から出たニューフェースが政界に出てこないとね(笑)。

副島 やっぱり現実の政治は、いろいろな団体・組織を代表しますから、身動きが取れないんですよ。

菅原 副島さんもおれも支持している小沢一郎は、そういうものを突破していこうと思ったのかな。

副島 そうでしょう。彼は革命家ですね。

菅原 ただ、歴史を振り返ると、そういう人たちはたいがいその寸前で――、

副島 やられちゃう。検察(法務官僚)なんて、偉い人間たちのはずがないのに、自分たちの方が政治家(国民の代表)より上だと思い込んでいる。政治家は汚らしい生き物で、いちばん頭のいいおれたちが成敗してやるくらいに考えている。いちばん大事なのは国民を代表している者たちだ。小室先生がいっていたのはまさにそれで、「国民の代表が国民のために一所懸命やることを、そこらの小さな犯罪でひっかけることをするな」と。

菅原 だけど、そういう権力ですら操り人形のように使う人形師がいるわけでしょう。それがアメリカなの?

副島 そうです。アメリカの金融財界ですね。別に闇の組織があるということではない。彼らは優秀な人材に目をつけて大学院生のころから面倒を見る。「おまえは裁判官になれ、おまえは政治家、おまえは大企業の幹部になれ」といって育てるわけです。すると、お金を出してもらっている恩義があるから上院議員や学者になっても逆らえない。それがネットワークというものなんです。

菅原 日本も同じなんだろうね。何しろ植民地だから(笑)。

副島 そうです。アメリカ留学させてもらって教育されると、やっぱりいいくるめられるんですね。帰ってきて「日本国民の利益のために規制を撤廃すべき」とかいって、ハゲタカ外資が乗っ取っていったわけですよ。自覚しているかどうかはともかく、アメリカの手先になっている。

 明治維新だって、イギリスに軍事力と資金をもらわなければあれだけのことはできなかった。伊藤博文(いとうひろぶみ)も山県有朋(やまがたありとも)もイギリスの手先だった。

菅原 西郷隆盛(さいごうたかもり)はどうなの?

副島 西郷さんは最後はイギリスのいうことをきかなかった。だから、反乱を起こすように仕組まれて殺されたのです。

<日米同盟から東アジア共同体へ>

菅原 日本は戦争でアメリカに負けたからしかたがなかったとはいえ、六十五年たってもまだアメリカのくびきから脱出できない。アメリカから離れるわけにいかないというのがあたりまえになっているでしょう。

副島 アメリカがいてくれないと中国が攻めてくる。アメリカに守ってもらっているんだと。日本の金持ち、支配層がそう信じ込んでいる。

菅原 オレはそういう謀略にはめられたくないね。日米中は正三角形論者だよ。オレも。

副島 そう言うと、「おまえは中国に騙されている」と言われる。ついこのあいだまで中国をバカにしていたのに、いまは怖くてしかたがない。「日米同盟だけが日本が生きていく道なんだ」と、アメリカにしがみつく。

 でも、大きな歴史の流れのなかでものを見ればわかりますよ、徐々に日本は(アメリカのくびきから)脱出していきます。

菅原 できる?

副島 できます。あと2,3年すればもう少し(アメリカから)自由に動けるようになるはずです。

菅原 副島さんがそう言いきってくれるのは大いなる希望だな。アメリカのくびきから遠のいて、東アジア共同体という方向にいってほしいという願望を持っているのだけれど、それはどうだろう。

副島 できるでしょう。アメリカが再び金融爆発して、自己破産を起こしますから。そうすると(基地は)撤退せざるをえない。帝国軍というのは六十五年も外国にいたら撤退していく運命にあるんです。

 だから、静かに撤退させればいい。そのとき日本人が「自分たちのことは自分たちでする。自分の国は自分で守る」という考えを持てばいいのです。大事なのは、同じ東アジア人どうしで戦争をしないことです。口(くち)喧嘩(議論)は、いくらしてもいいけど、絶対に戦争だけはしてはいけない。

 尖閣(せんかく)諸島の問題にしても、日本から見たら中国と日本が争っているふうに見えるけれど、それは嘘。本当は、米中の激突なんです。中国はすでに日本なんか相手にしていません。たくさん抱えている領土紛争のひとつとしか考えていない。日本はアメリカに騙されているんです。

 アジア人どうし戦争だけは絶対にしないことが大事です。何があっても話し合いで解決する。それが大人の態度です。案外インドネシアやマレーシアはよくわかっていて、「日本よ、こっちに来い」っていっているんですよ。

菅原 アジアというのは何百年も白人に侵略されて支配されて、それはひどい目に遭って ……。日本はその片棒をかついだところもあるけれど、やっぱりアジアが一つにならないとね。中国が台頭してきた、インドも台頭してきた。そのあいだにはさまれている国々が、まさしく協同してことにあたればこんなに強い――、

副島 連帯はない。

 ただ、朝鮮戦争とベトナム戦争があったから日本の高度成長があった。戦争をするとその国は焼け野原になるけれど、周りの国々は豊かになる。これも冷酷な事実です。だから、保守思想のなかに「やっぱり戦争しなければいけない。せざるをえないのだ」という考え方がある。それが怖いですね。その恐ろしさと私は、これから正面から思想的に戦わなければならないと思っている。

菅原 戦争が環境破壊の最大の原因だよ。それ以外はちっちゃいよ。戦争をやめれば、兵器を作らなければ、京都議定書なんかいらないんだよ。まったく世界のリーダーは劇画調だね。

副島 最大の抵抗は、気づくこと、国民がわかることです。大きな真実を、わかること。私の本を読んでもらって、「なるほど、もしかしたらこいつのいっているとおりかもしれない」と思ってくれる人々を増やすしかないのです。

菅原 このあいだチリでは地下七百メーターに閉じ込められた人たちが、あれだけの厚い岩盤を打ち破って助かったんだからね。

副島 そうですよね。希望はありますよね。

菅原 あと百冊くらいは書いてくださいよ。

副島 いやあ、三十冊くらいじゃないですか(笑)。

構成・藤田健児

すがわら・ぶんた
俳優。一九三三年、宮城県仙台市生まれ。仙台第一高校卒、早稲田大学中退後、新東宝にスカウトされ、五ハ年に本格的に映画デビュー。
のち東映に移り、「人斬り与太」(七二年)でスターの仲間入り。七三年から始まる「仁義なき戦い」シリーズ、七五年から始まる「トラック野郎」シリーズがともに大ヒット、映画界を代表する大スターとなる。七五年、ブルーリボン主演男優賞受賞。NHK大河ドラマ「獅士の時代」(八〇年)の主役を務めるなどTVでも活躍。二〇〇七年膀胱がんを発症し、温存療法で克服。
〇九年農業生産法人「株式会社竜土自然農園」を設立し、山梨県で本格的に野菜作りを始める。

そえじま・たかひこ
民間人国家戦略家。一九五三年、福岡市生まれ。早稲田大学法学部卒業。
外資系銀行員、予備校講師、常葉学園大学教授などを歴任。
副島国家戦略研究所(SNSI)を主宰し、日本人初の「民間人国家戦略家」として、金融経済からアメリカ政治思想、法制度論、英語学、歴史まで幅広いジャンルで執筆、講演活動を続けている。主な著書に、(五月書房)『属国・日本論』
『英文法の謎を解く』(筑摩書房)『世界権力者 人物図鑑』(日本文芸社)
『お金で騙される人、騙されない人』(幻冬舎)『ドル亡き後の世界』(祥伝社)
『新たなる金融危機に向かう世界』(以上、徳間書店)など。

以上


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<参考動画(音声のみ)>

菅原文太 ラジオ・ニッポン放送「日本人の底力」(2011年1月7日)小沢一郎出演





週刊朝日 DAN 動画 菅原文太×小沢一郎



(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

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