ログイン

ようこそguestさま
ログインする

今日のぼやき
会員ページ



会員専用掲示板



★最新の5件

「1980」 モーセを中心に見た古代世界史 (1) 2017年6月27日

「1979」 今売り出し中の国際政治学者・三浦瑠麗(みうらるり)の評論家としての立ち位置と、安倍政権の仕掛けた改憲論議について 2017年6月20日

「1976」 日本の 「国家秘密警察長官」である 菅義偉・官房長官の正体がわかる二冊の本を紹介する。2017年6月9日

「1975」【トランプ政権通信】トランプ大統領の初外遊の成果と国内で噴出する「ロシアゲート」の真相を考察する。(1)2017年5月31日

「1973」安倍晋三と昭恵夫人の熱い同志愛を副島隆彦が解説する。2017年5月18日



2017年06月のぼやき
2017年05月のぼやき
2017年04月のぼやき
2017年03月のぼやき
2017年02月のぼやき
2017年01月のぼやき
2016年12月のぼやき
2016年11月のぼやき
2016年10月のぼやき
2016年09月のぼやき
2016年08月のぼやき
2016年07月のぼやき
2016年06月のぼやき
2016年05月のぼやき
2016年04月のぼやき
2016年03月のぼやき
2016年02月のぼやき
2016年01月のぼやき
2015年12月のぼやき
2015年11月のぼやき
2015年10月のぼやき
2015年09月のぼやき
2015年08月のぼやき
2015年07月のぼやき
2015年06月のぼやき
2015年05月のぼやき
2015年04月のぼやき
2015年03月のぼやき
2015年02月のぼやき
2015年01月のぼやき
2014年12月のぼやき
2014年11月のぼやき
2014年10月のぼやき
2014年09月のぼやき
2014年08月のぼやき
2014年07月のぼやき
2014年06月のぼやき
2014年05月のぼやき
2014年04月のぼやき
2014年03月のぼやき
2014年02月のぼやき
2014年01月のぼやき
2013年12月のぼやき
2013年11月のぼやき
2013年10月のぼやき
2013年09月のぼやき
2013年08月のぼやき
2013年07月のぼやき
2013年06月のぼやき
2013年05月のぼやき
2013年04月のぼやき
2013年03月のぼやき
2013年02月のぼやき
2013年01月のぼやき
2012年12月のぼやき
2012年11月のぼやき
2012年10月のぼやき
2012年09月のぼやき
2012年08月のぼやき
2012年07月のぼやき
2012年06月のぼやき
2012年05月のぼやき
2012年04月のぼやき
2012年03月のぼやき
2012年02月のぼやき
2012年01月のぼやき
2011年12月のぼやき
2011年11月のぼやき
2011年10月のぼやき
2011年09月のぼやき
2011年08月のぼやき
2011年07月のぼやき
2011年06月のぼやき
2011年05月のぼやき
2011年04月のぼやき
2011年03月のぼやき
2011年02月のぼやき
2011年01月のぼやき
2010年12月のぼやき
2010年11月のぼやき
2010年10月のぼやき
2010年09月のぼやき
2010年08月のぼやき
2010年07月のぼやき
2010年06月のぼやき
2010年05月のぼやき
2010年04月のぼやき
2010年03月のぼやき
2010年02月のぼやき
2010年01月のぼやき
2009年12月のぼやき
2009年11月のぼやき
2009年10月のぼやき
2009年09月のぼやき
2009年08月のぼやき
2009年07月のぼやき
2009年06月のぼやき
2009年05月のぼやき
2009年04月のぼやき
2009年03月のぼやき
2009年02月のぼやき
2009年01月のぼやき
2008年12月のぼやき
2008年11月のぼやき
2008年10月のぼやき
2008年09月のぼやき
2008年08月のぼやき
2008年07月のぼやき
2008年06月のぼやき
2008年05月のぼやき
2008年04月のぼやき
2008年03月のぼやき
2008年02月のぼやき
2008年01月のぼやき
2007年12月のぼやき
2007年11月のぼやき
2007年10月のぼやき
2007年09月のぼやき
2007年08月のぼやき
2007年07月のぼやき
2007年06月のぼやき
2007年05月のぼやき
2007年04月のぼやき
2007年03月のぼやき
2007年02月のぼやき
2007年01月のぼやき
2006年12月のぼやき
2006年11月のぼやき
2006年10月のぼやき
2006年09月のぼやき
2006年08月のぼやき
2006年07月のぼやき
2006年06月のぼやき
2006年05月のぼやき
2006年04月のぼやき
2006年03月のぼやき
2006年02月のぼやき
2006年01月のぼやき
2005年12月のぼやき
2005年11月のぼやき
2005年10月のぼやき
2005年09月のぼやき
2005年08月のぼやき
2005年07月のぼやき
2005年06月のぼやき
2005年05月のぼやき
2005年04月のぼやき
2005年03月のぼやき
2005年02月のぼやき
2005年01月のぼやき
2004年12月のぼやき
2004年11月のぼやき
2004年10月のぼやき
2004年09月のぼやき
2004年08月のぼやき
2004年07月のぼやき
2004年06月のぼやき
2004年05月のぼやき
2004年04月のぼやき
2004年03月のぼやき
2004年02月のぼやき
2004年01月のぼやき
2003年12月のぼやき
2003年11月のぼやき
2003年10月のぼやき
2003年09月のぼやき
2003年08月のぼやき
2003年07月のぼやき
2003年06月のぼやき
2003年05月のぼやき
2003年04月のぼやき
2003年03月のぼやき
2003年02月のぼやき
2003年01月のぼやき
2002年12月のぼやき
2002年11月のぼやき
2002年10月のぼやき
2002年09月のぼやき
2002年08月のぼやき
2002年07月のぼやき
2002年06月のぼやき
2002年05月のぼやき
2002年04月のぼやき
2002年03月のぼやき
2002年02月のぼやき
2002年01月のぼやき
2001年12月のぼやき
2001年11月のぼやき
2001年10月のぼやき
2001年09月のぼやき
2001年08月のぼやき
2001年07月のぼやき
2001年06月のぼやき
2001年05月のぼやき
2001年04月のぼやき
2001年03月のぼやき
2001年02月のぼやき
2001年01月のぼやき
2000年12月のぼやき
2000年11月のぼやき
2000年10月のぼやき
2000年09月のぼやき
2000年08月のぼやき
2000年07月のぼやき
2000年06月のぼやき
2000年05月のぼやき
2000年04月のぼやき
2000年03月のぼやき
2000年02月のぼやき

今日:1403 昨日:16853
合計:56402475
今日のぼやき
広報ページ



★最新の5件

「1978」 『ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ! ―まず知識・思想から』(副島隆彦著、成甲書房、2017年6月18日)が発売されます 2017年6月15日 古村治彦(ふるむらはるひこ)記

「1977」 日本の「国家秘密警察長官」である 菅義偉・官房長官の正体がわかる二冊の本を紹介する。(2) 2017年6月10日

「1974」新刊のお知らせ。『老人一年生-老いるとはどういうことか』(幻冬舎)が発刊されます。「老人とは痛いのだ」ということを思い知らせてくれる一冊です。2017年5月28日

「1972」 『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)という本を読んだ。これが文学だ。副島隆彦 2017年5月15日

「1968」 副島先生の新刊『アメリカに食い潰される日本経済』(徳間書店)の発売が4月28日に決まりました。ぜひお求めください。2017年4月21日

「1966」 第37回 副島隆彦を囲む会主催定例会「ディヴィッド・ロックフェラー死後の世界新秩序“G3”を大予言する」(2017年5月28日(日曜日))のお申込みをお待ちしております。2017年4月12日

「1964」 橋下徹・元大阪市長がアメリカで講演した件、それから売国官僚・高見澤将林(たかみざわのぶしげ)について 2017年4月2日

「1960」相田英男氏の緊急寄稿「東芝=ウェスティングハウス問題」について対話形式で理解する。2017年3月15日

「1957」お知らせ2つ。副島先生の新刊『税金恐怖政治(タックス・テロリズム)』(幻冬舎)の発刊の紹介。 それから、今、国会を揺るがしている、森友学園への「国有地ほとんどタダで払い下げ問題」(=安倍晋三記念小学校問題)を追いかけている作家の菅野完氏との対談の内容を動画と文で載せます。2017年3月1日

「1954」斎川眞(さいかわまこと)『天皇とは北極星のことである』(PHP研究所)の紹介。日本国の 天皇という称号はどのようにして生まれたか。 2017年2月16日

「1953」これは必読の一冊。下條竜夫(げじょうたつお)著『物理学者が解き明かす思考の整理法』(ビジネス社)が発売されます。小保方晴子、星占い、金融工学を理科系の視点で理解するほか、思考の整理法の実践編として好評だった前作に続いての新刊です。2017年2月10日

「1948」天皇陛下の譲位問題。この問題は「ワールドヴァリューズ(世界普遍価値)と民族固有価値(ナショナルヴァリューズ)のどちらを重視するか」という問題であり、天皇陛下と安倍晋三がその2つの価値観を巡って熾烈な争いを繰り広げている、ということなのである。副島隆彦・記 2017年1月16日

「1944」【講演DVD】「鳩山由紀夫元首相が見た『属国・日本』の真実」(2016年11月20日)の講演ビデオについてお知らせします。鳩山元首相が日本の対米従属政策の問題点、今の民進党の問題点、アジア・インフラ投資銀行(AIIB)の実像について語ります。2016年12月26日

「1942」 北方領土まったく返還なし記念。 「自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC ネトサポ)のネット世論誘導 ネトウヨその世界」。自民党によるネット上の言論操作を暴いたNHKの番組を載せる。 2016年12月18日

「1940」先日の鳩山由紀夫元首相をお呼びしての講演会の会場で皆様から頂いたアンケート結果です。2016年12月6日

「1937」  アメリカ大統領でトランプが勝利してから私がアメリカ大統領選挙について書いた、「重たい掲示板」への投稿を載せます。副島隆彦 2016年11月22日 

「1934」副島隆彦の、 最新の金融本 『ユーロ恐慌 欧州壊滅と日本』( 祥伝社)が発売。 恒例のエコノ・グローバリスト・シリーズの第19弾。2016年10月29日

「1931」 副島先生の緊急出版 の 新刊『Lock Her Up! ヒラリーを逮捕、投獄せよ』(光文社)が発売されました。注目の米大統領選挙の真の争点を理解するために是非お読みください。2016年10月10日

「1927」来る11月20日に私達の秋の定例会を特別ゲストを呼んで開催します。今回は、鳩山由紀夫元首相をゲストにお招きして、世界の行方、東アジアの今後、日本の将来についてじっくりお話をうかがいます。2016年9月15日

「1924」番 『明治を創った幕府の天才たち 蕃書調所=ばんしょしらべしょ=の研究』(成甲書房刊)が発売になります。 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆 2016年9月4日

「1920」番  ” Lock Her Up ! ” 「 ヒラリーを逮捕せよ、 投獄せよ !」 の嵐が アメリカ全土でわき起こっている。 2016.8.11  副島隆彦記 

「1916」 最新DVD『アメリカ名物「トランプ・ポピュリズムの嵐」と最新の世界情勢』のお申し込み受付を開始します。9月以降の米大統領本戦本格化を前に是非ご視聴ください。2016年7月20日

「1912」 副島隆彦のアメリカ分析 の最新刊 『トランプ大統領とアメリカの真実』(日本文芸社)が発刊。2016年6月27日

「1910」 橋下徹(はしもととおる)前大阪市長はなぜ危険なのか。 それは国家社会主義(こっかしゃかいしゅぎ)の思想を持っている恐ろしい男だからだ。 副島隆彦 2016年6月16日

「1907」 重たい掲示板 [1938]私たちの定例会は盛況に終わりました。あとは最新の情報。 をこちらにも転載します。 2016年6月3日

「1905」番 あの2年前に突然、行方不明になったマレーシア航空機は、その後どうなったのか? 驚くべき事実が明らかになった。日本国内では初公開の情報である。 2016.5.21 副島隆彦  

「1903」【講演会】5月29日(日)の学問道場主催『ドナルド・J・トランプの<アメリカ名物>ポピュリズム旋風と現在の国際政治・経済情勢を読み解く』(東京・御茶ノ水)を宣伝します。ポピュリズム政治家の分析では日本の第一人者である副島隆彦のトランプ論をご期待ください。2016年5月9日

「1901」 4月28日発売 新刊書のお知らせ 。 日銀・黒田は、自分たちのインフレ目標が遅々として進まないのを居直った。マイナス金利導入で分かった日銀の真の思惑。 副島隆彦新刊『マイナス金利「税」で凍りつく日本経済』(徳間書店)で、日銀の「隠された真意」の謎が明かされた。 2016年4月28日

「1899」【2016年定例会のお知らせ】 5月29日に今年第一回目の学問道場の定例会を開催します。テーマは「アメリカ大統領選挙と最新の国際政治・経済情勢」です。ドナルド・トランプ旋風の原動力 “ポピュリズム”と”アメリカファースト!”とは何か、改めてじっくり語ります2016年4月20日

「1896」 副島隆彦先生の新著『日本が中国の属国にさせられる日』(ベストセラーズ社)が発刊。日本が中国の影響下に呑み込まれるとき、私たちはどのような態度をとるべきか。20世紀の右翼・左翼の両翼思想のタブーを、反権力の思想家である副島隆彦が抉り出す大著です。2016年3月28日

「1894」米大統領選挙、共和党はトランプが躍進し、民主党はヒラリーが候補を指名獲得し、二者の対決になりそうだ。2016年3月18日

「1891」 新刊のご案内『世界連鎖暴落はなぜ再発したか』(祥伝社)のご案内です。海外の金融メディアは軒並み、「黒田は弾切れ」(Kuroda's Bazooka is out of ammunition)と言い始めています。2016年3月2日

「1588」副島隆彦著作、その他の「学問道場」関連書籍を期間限定で割引販売します。この機会に是非ご利用ください。2016年2月21日

「1584」 ドナルド・トランプはどこで失速するか。急浮上してきたマルコ・ルビオ上院議員とはどういう背景を持つ政治家か。2016年アメリカ大統領選挙の予備選挙について。2016年2月4日

「1581」 『BIS(ビーアイエス)国際決済銀行 隠された歴史』(アダム・レボー著、副島隆彦監訳、古村治彦訳、成甲書房、2016年)が発売になります。古村治彦記 2016年1月21日

「1579」 学問道場関連の新刊書籍二冊、『暗殺の近現代史』(洋泉社、中田安彦が参加)と、『天皇家の経済学』(同、吉田祐二・著)が発売されています。ぜひ、お求めください。2016年1月14日

「1577」「副島隆彦の学問道場」から 新年のご挨拶。2016.1.1 /1月3日加筆 「崩れゆくアメリカ」を見てきて。短期留学修了を受けての報告。 中田安彦 2016年1月3日

「1576」 『物理学者が解き明かす重大事件の真相』(下條竜夫著、ビジネス社、2016年1月9日)が発売となります。古村治彦記 2015年12月24日

「1574」 『信長はイエズス会に爆殺され、家康は摩り替えられた』(副島隆彦著、PHP研究所、2015年12月17日)が発売となります。古村治彦筆 2015年12月15日

「1572」番 今の世界の中心の課題である ロシアによる シリアのIS爆撃、殲滅は、プーチンによる「ロシアから愛をこめて」である。最新の映画「OO7/ スペクター」の中にこれからの世界の動きの秘密が隠されている。 副島隆彦 2015・12・9 

「1569」 ダニエル・シュルマン著、古村治彦訳『アメリカの真の支配者 コーク一族』(講談社、2015年)が2015年12月8日に発売になります。 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆 2015年11月30日

「1566」 宗教改革の始まりにおいてルターとローマ法王はどういう言葉の応酬をしたか 2015年11月13日

「1563」 『再発する世界連鎖暴落 貧困に沈む日本』(副島隆彦著、祥伝社、2015年10月30日)が発売となります。古村治彦筆 2015年10月29日

「1560」番  今のアメリカ政治の真の焦点である、「ベンガジ事件」での下院の特別委員会を、ヒラリーはなんとか 乗り切る。そして、シリアでのサリン爆弾の真犯人たちのこと。 2015.10.15 副島隆彦  緊急で冒頭加筆します。 10月16日 副島隆彦  

「1557」 安倍晋三は国民がどれだけ「鈍感」かを試して喜んでいる。気付いている敏感な国民とそうではない国民に二極化している。2015年9月25日

「1555」 昨日、2015年9月14日に国会議事堂前で行われた安保法制反対抗議デモに行ってきました 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆2015年9月15日

「1552」 学問道場の定例会DVD『副島隆彦が、今の重要なことを洗いざらい語ります』(2015年5月31日開催、約330分)の予約受付を始めました。ご案内が大変遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。2015年8月25日

「1551」番 栗原康 (くりはらやすし)著 『現代暴力論』 という新刊書 がすばらしいので、私が書評して強く推薦します。 副島隆彦  2015年8月25日 

「1548」 好評連載企画:「思想対立が起こした福島原発事故」 相田英男(あいだひでお) 第3章 福島事故のトリガーがひかれた日(2) 2015年8月13日

「1547」好評連載企画:「思想対立が起こした福島原発事故」 相田英男(あいだひでお) 第3章 福島事故のトリガーがひかれた日(1) ※会員ページに掲載したものを再掲 2015年8月10日

「1544」 副島隆彦先生の新刊・中国研究本の第7弾! 『中国、アラブ、欧州が手を結び ユーラシアの時代 が勃興する』 が先週末に発売。ロンドン金(きん)の値決めに中国の二大民間銀行が参加、人民元決済圏の拡大 から 南沙諸島問題も含めてユーラシア大陸の時代 を余すところなく分析。2015年7月26日

「1542」番 戦後七十周年企画  なぜ日本は戦争に向かわされたのか(1)   日本共産党の戦前最後の委員長 野呂栄太郎(のろえいたろう)の命がけの闘いから昭和史の真実が見えてくる。 津谷侑太(つやゆうた)2015年7月13日

「1539」番  俳優 高倉健(たかくらけん)の生き方 と死に方について考えたこと。 副島隆彦 2015.6.27(転載)

「1536」現下の政治状況を勢力分析する。大阪都構想の住民投票に現れた、若い世代のファシズムへの欲求。それを支える橋下徹・菅義偉の背後にある勢力とは。安倍・菅の野党分断の動きに対し、維新の党の執行部をおさえた旧小沢グループが巻き返しにでている。2015年6月11日

「1535」 佐藤優氏との対談本、『崩れゆく世界 生き延びる知恵』(日本文芸社)が刊行されました。「発売後、即重版」で非常に好評です。副島理論を真っ向から佐藤氏が受け止めている重厚対談です。2015年6月6日

「1532」番  来たる 6月7日(日)に 横須賀市で私の講演があります。 いらしてください。「軍港 横須賀の150年の歴史」にちなんだ話をします。 副島隆彦 2015年5月27日日

「1529」5月31日に都内で開催する、学問道場自力主催講演会の具体的な講演内容が固まってきまたのでお知らせします。参加者はまだまだ大募集中です。ぜひおいでください。2015年5月11日

「1526」 副島隆彦の最新金融本、『「熱狂なき株高」で踊らされる日本』(徳間書店)が発売されました。第5章、アベノミクス金融緩和など金融政策の理論的支柱となっている「合理的期待(予測)形成学派」の正体を暴いたところが非常に学問的には重要な本です。2015年4月27日

「1523」来る5月31日に講演会『副島隆彦が、今の重要な事を洗いざらい語ります』を開催いたします 2015.4.16

「1520」 AIIB「アジアインフラ投資銀行」の設立をめぐるゴタゴタの真相を載せます。 副島隆彦 2015年4月1日 (重たい掲示板から転載)

「1517」 新刊2冊『余剰の時代』(ベスト新書)と『日本に恐ろしい大きな戦争(ラージ・ウォー)が迫り来る』(講談社)が発売されます。生き延びるための政治思想とアメリカ政治本です。2015年3月13日

「1515」 「思想対立が起こした福島原発事故」相田英男 第2章 「札束で引っぱたかれた科学者達」をシリーズで短期連載します。(第2回)2015年3月5日

「1514」「思想対立が起こした福島原発事故」相田英男 第2章 「札束で引っぱたかれた科学者達」をシリーズで短期連載します。(第1回)2015年2月25日

「1511」カナダの政治。カナダの歴代首相を、隣国の大国アメリカとの「帝国-属国」関係において明快に解説します。2015.2.7

「1508」 新刊本二冊を紹介します。『副島隆彦の政治映画評論 ヨーロッパ映画編』(ビジネス社)と、先生が巻頭文を書いた吉本隆明(よしもとりゅうめい)の評論集『「反原発」異論』(論創社)の二冊です。 2015年1月26日

「1505」 中田安彦です。私の新刊『ネット世論が日本を滅ぼす』(ベスト新書)が発刊されました。数年間「ネット世論」に密着して観察して学んだ結果を一冊の本にまとめました。ネット言論の理想主義はなぜ次々と自滅していくのか?その答えを知りたい人はぜひお読みください。2015年1月12日  

「1501」番 「副島隆彦の学問道場」から 新年のご挨拶。2015.1.1 続けて 「1503」番として、「1495」番の谷崎潤一郎論の第3部(終章)を載せます。副島隆彦 記

「1500」最新講演DVD『2015年、世界は平和か戦争への岐路に立っている』が完成しました。ぜひ御覧ください。2014.12.25

「1497」オーストラリアの歴代首相について。 日本人が知らない、オーストラリア政治の基本骨格を副島隆彦が分かり易く解説します。2014.12.17

「1496」番 俳優の菅原文太氏が亡くなった。 「1194」番会員ページ に載せた副島隆彦との対談を再掲します。 2014.12.13

「1493」 自力主催講演会「2015年、世界は平和か戦争への岐路に立っている」(2014.11.16)のアンケートの回答結果を掲載します。2014.12.4

 「1491」番 ノーベル物理学賞受賞の中村修ニが、なぜ重要であるのか、の本当の理由。10年前のここの、私たちの文を再掲載する。副島隆彦 2014.11.22 

「1487」 『官製相場の暴落が始まる――相場操縦しか脳がない米、欧、日 経済』(副島隆彦・著、祥伝社)発刊のお知らせ。「まえがき」と「あとがき」を掲載します。 2014.10.26

「1485」書評:アメリカの著名ユダヤ人小説家、フィリップ・ロスの小説「プロット・アゲンスト・アメリカ」(集英社)/架空歴史小説を手がかりに「アメリカ国内優先主義」(アメリカ・ファースト)の美名を表と裏で使い分けた米財界人の冷酷な世界戦略が見えてきた (その1) 2014年10月14日

「1481」 来る11月16日に都内・上野で「政治・国際情勢・経済」についての時局講演会を開催します。聴講希望者を現在募集中です!2014年9月29日

「1479」 『英語国民の頭の中の研究』(副島隆彦・著、PHP研究所)発刊のお知らせ。大幅に加筆修正が加えられています。「まえがき」 と 「あとがき」 を掲載します。 2014.9.22

「1476」番   文学とは何か の 2 。 日本文学とは何か 論。 を 載せます。 副島隆彦 2014.9.6

「1472」 『日本の歴史を貫く柱』(副島隆彦・著、PHP文庫) が8/4から発刊されています。「まえがき」 と 「あとがき」 を掲載します。 2014.8.27

「1470」 夏休み特集。アルチュール・ランボー論。パリ・コミューンという政治的事件を書き残そうとした文学について。2014.8.16

「1466」 お知らせ:『税金官僚に痛めつけられた有名人たち』(副島隆彦・著、光文社刊)が8/1に発刊されます。「まえがき」と「あとがき」を掲載します。2014.7.24

 「1460」 7月1日に、SNSI論文集第7弾『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』が出ます。従来の教科書や歴史書では描かれない明治期以降の日本真実の姿を描き出しました。2014年6月25日

「1456」番  村岡素(もと)一郎 著 『史疑(しぎ) 徳川家康事績』(1902年刊)についての 松永知彦氏の長文の歴史論文を載せます。 2014年6月10日 

「1454」 【今読み返す副島本】 米同時多発テロ事件前に発表された、副島隆彦の「集団的自衛権」論をそのまま転載します。 今こそ読み返してほしいと思います。 2014年6月3日

「1451」【中国を理解する】『野望の中国近現代史 帝国は復活する』(ビジネス社・刊)(原題:Wealth And Power:China's Long March to the Twenty-First Century)という本を紹介します。中国の近現代史を正しく理解しなければ、日本は中国の台頭に向き合うことは出来ない。2014年5月25日

「1448」番  私が、今やっている仕事、考えていること、書くべき文章のことなどを、まとめて報告します。 副島隆彦  2014.5.11 

「1443」最新講演DVD『キャロライン・ケネディと安倍晋三』が完成しました。このDVDで米オバマ政権と安倍政権の暗闘の実態が分かります。現在の日本政財界に影響を与えるハーヴァード大学人脈についても解説。ぜひ御覧ください。2014年4月16日

「1441」 副島隆彦先生の最新金融本『金融市場を操られる 絶望国家・日本』(徳間書店・刊)が発売されます。日本は、アベノミクスに浮かれて「成長国家」どころか、「貧乏国家」となってしまった。この現実から逃れることが出来ない。世界の金融も統制されている。2014年4月5日

「1436」 後藤新平―日本の「セシル・ローズ」論(全4回/第1回) 中田安彦・記 2014年3月16日

「1433」『靖国問題と中国包囲網』(副島隆彦・著、ビジネス社刊)が3/7に発刊されます。「まえがき」と「あとがき」を掲載します。2014.2.27

「1429」 【寄稿・偉人伝の裏側を見破る】 自由民権運動の父・板垣退助はフリーメイソンだった!~伊藤博文のフリーメイソンネットワークに加入した板垣退助~津谷侑太(つやゆうた)筆 2014年2月5日

「1426」古村治彦研究員の新刊『ハーヴァード大学の秘密』(PHP研究所)の紹介と、その出版記念を兼ねた「囲む会」主催の2014年初めての主催定例会『キャロライン・ケネディ駐日大使着任が日本政治中枢に与えている衝撃』(仮題)のお申込みのご案内を致します。2014年1月21日

「1423」 明治期の慶応義塾で 最先端の学問を教えたのは ユニテリアン(フリーメイソンリー)だった 石井利明(いしいとしあき)研究員 2014年1月11日

「1421」TPP交渉と平行して、水面下で進む「民法改正」の動き。大新聞は連帯保証人(個人保証)制度の改正部分だけをクローズアップするが、実際はこの民法改正はアメリカによる日本社会改造計画の一つである。2013年12月29日

「1418」孫崎享・副島隆彦講演ビデオ『外務省の正体』のご予約を承ります。日本の国家の行く末を大きく左右する外務省(MOFA)の内部と歴史はどうなっているのか、必見の講演です。2013.12.10

「1414」新刊『説得する文章力』(KKベストセラーズ)と『闇に葬られた歴史』(PHP研究所)をご案内します。2013.11.27

「1411」副島隆彦新刊金融本『帝国の逆襲―金とドル 最後の戦い Empire Strikes Back, Again.』(祥伝社)が発売されました。今年前半から中盤の主な金融ニュース(TPP、シェールガス、金価格の急落についても)を副島隆彦独自視点で分析しています。2013年11月16日

「1409」 腰痛(ようつう)と首、肩の痛みは治るようである。 「トリガーポイント・ブロック注射」という治療法を紹介する。 副島隆彦記 2013年11月6日

「1406」新刊『税金官僚から 逃がせ隠せ個人資産』(2013年10月、幻冬舎刊)発刊のお知らせ。官僚たちはいかにして資産家からお金を奪い取ろうとしているか。「まえがき」と「あとがき」を掲載します。2013.10.18

「1404」【最新版】世界権力者人物図鑑 刊行が発売中です。2010年発刊の第一弾から全面リニューアルのデザイン・内容です。2013年9月30日

「1402」 来月、10月26日(土)開催予定の「囲む会」秋の定例会のお申し込み開始お知らせ。今回は元外務省元国際情報局長の孫崎享先生をお呼びして「過去現在未来の日本外交」を語りつくします。ご期待ください。2013年9月16日

「1399」鬼塚英昭(おにづかひであき)氏の『日本の本当の黒幕』(下)を読む。戦前の日本政治の闇を象徴する田中光顕(たなかみつあき)という怪物を知る。それは現在の日本政治を支配するヤクザたちを知ることでもある。2013年9月1日

「1396」 新刊『中国人の本性』の紹介。私たちはどれだけ中国の思想史について知っているだろうか? そこで副島先生が中国亡命知識人の歴史を中共からの亡命知識人である石平(せきへい)氏に徹底的に質問しました。夏のうちに是非読んで下さい。2013年8月8日

「1394」定例会完全収録のDVD『いい加減にしろ!マイケル・グリーン/恐ろしいヨーロッパの秘密―フランドルからフローレンスへ』が完成しました。2013.7.29

「1392」 参議院選挙が終わって、次の日本国民の課題に向かう。アベノミクスとはA-sset B-ubble E-conomy(資産バブル・エコノミー)のことである。金融緩和派の経済学者のおかしさを理路整然と暴いた野口悠紀雄氏を評価する 副島隆彦 2013年7月25日

「1389」参院選後、日本の各階層(金持ち・サラリーマン・貧乏人)への、安倍政権による国家統制が進む可能性がある。その兆しとして参院選初日に福島県の総理演説会で自民党職員らが行った、一般国民の「表現の自由」への取り締り行為の動画がある。決して貴方の一票は自民党には投票してはなりません。それから先日の講演会のアンケート結果を載せます。 中田安彦(アルルの男・ヒロシ) 2013年7月13日

「1387」 『統制が始まる 急いで金を買いなさい』(祥伝社・刊、2013年6月)の宣伝を載せます。2013.7.4

「1384」再度、6月29日の定例会のお知らせをします。タイトルが「いい加減にしろ!!マイケル・グリーン~米中“新秩序”に取り残される日本」になりました。米日関係その他の政治経済の話題に縦横無尽に切り込みます。2013年6月13日

「1381」 私たちの福島復興活動本部 を 閉じて 撤退式をします。6月23日です。時間のある人は福島の現地まで自力で来てください。 副島隆彦 2013年6月2日

「1379」先週土曜日の会員交流会開催後のお礼の報告と、次の6月29日の講演会のお知らせ。2013年5月20日

「1376」 最新DVD『ますます衰退国家にさせられる策略を見抜く』(2013年3月3日、講師:副島隆彦・藤森かよこ)と、新刊・映画本『アメリカ帝国の滅亡を予言する』(日本文芸社)頒布のお知らせ。お待たせしました!2013.5.4

「1375」黒田金融緩和と金価格急落、そしてBRICS開発銀行の設立。新しい秩序に向けて世界は動いている。副島先生の最近の「重たい掲示板」への書き込みをまとめて載せます。2013年4月20日

「1372」副島先生の新刊『浮かれバブル景気から衰退させられる日本』(徳間書店)ではTPP交渉とアベノミクスの欺瞞について詳しく紹介。今回も豊富な図表・資料付きです。また、新しい試みとして会員同士の交流会(会員交流会 自由におしゃべり)もまだ募集中です。講演会とは別の形で交流(情報交換)いたしましょう。2013年4月4日

「1370」 日米地位協定に続いて、日米原子力協定(1988年)を暴く。中曽根康弘の周辺の「原子力外務官僚」たちが、アメリカに抵抗するカードとして持ちだした「日本の核武装論」には全く意味が無い。六ケ所村の再処理工場を維持してきた日本原電は中曽根派の利権の巣窟であるからすぐに破綻させるべきだ。(苫米地英人『原発洗脳』(日本文芸社)と有馬哲夫『原発と原爆』(文春新書)を書評する。)(その1) 2013年3月27日

「1366」書評:前泊博盛・編著『本当は憲法より大切な 日米地位協定入門』(創元社)を読む。ジャパン・ハンドラーズと外務官僚が威張れるのも日米安保と地位協定があるからだ。2013年3月8日

「1363」新刊『それでも中国は巨大な成長を続ける』(ビジネス社)の刊行のお知らせ。アメリカでは、巨大な中国とどう付き合っていくかは熱心に議論されていても、中国崩壊論など真面目に受け取られていない。2013年2月18日

「1361」 副島隆彦を囲む会・定例会、第29回定例会・自力主催講演会『ますます衰退国家にさせられる策略を見抜く』(講師:副島隆彦・藤森かよこ、開催日:2013年3月3日、日曜日)開催のお知らせ。2013.2.8

「1358」 アダム・ヴァイスハウプト著 『秘密結社・イルミナティ 入会講座<初級篇>』(KKベストセラーズ)が発刊されました。ドイツ啓蒙主義から生まれた「イルミナティ」はフリーメーソンなど秘密結社のルールブックを制定した集団である。2013年1月21日

「1356」番。 年末からの2週間の「産みの苦しみ」のあとで、副島隆彦が全力で書きます。 「ヒラリーの終わり」論文です。 今年もよろしく。 2013年1月8日

「1354」 「副島隆彦の学問道場」から 新年のご挨拶。 2013.1.1

「1351」自民党・公明党・日本維新の会の圧勝と民主党勢力の壊滅大敗北を受けて、「個人の力量によるサバイバル」というものが必須になってくる。そのことを選挙の数カ月前に副島先生の新刊『個人備蓄の時代』(光文社)では予測していた。みなさんも早く手を打ったほうがいい。2012年12月17日

「1349」  選挙が始まっての 直近での動き を読む 副島隆彦・記 2012年12月7日

「1346」 副島隆彦・最新DVD『ミケランジェロ、メディチ家、ルネサンスの真実』(2012年11月3日、講師:副島隆彦・松尾雄治)頒布のお知らせ。「教科書」と本編DVDのお得なセットも、個数限定で実施します。2012.11.29

「1343」緊急情報:アメリカによって崖から突き落とされた野田政権。解散総選挙はアメリカからの司令で行われた。今回もジェラルド・カーティスが根回しをしている。2012年11月15日

「1340」橋下徹(はしもととおる)大阪市長や一部大阪市特別顧問による「週刊朝日」に対する“言論弾圧”問題について考える。言論の自由が死ぬときとは、デモクラシーが死ぬときである。2012年11月5日

「1337」尖閣問題について。橋下徹・大阪市長の言う「国際司法裁判所」における解決の提案を支持します。副島隆彦・記 2012.10.18

「1334」新刊を二冊紹介します。権力者共同謀議という合理的選択で概ね、歴史は動いてきたから、私たちは世界の支配層の行動原理、思想、そして企業活動に現れる彼らの「合利的」な動きを理解しなければならない。2012年10月1日

「1332」 副島隆彦を囲む会・定例会、第28回定例会・自力主催講演会『ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ダンテ、マキアベッリ、メディチ家、ルネサンスとは何だったか』(講師:副島隆彦・松尾雄治、開催日:2012年11月3日、土曜日)をご案内します。2012.9.25

「1330」SNSI・夏季研究報告から 「今こそ3分で読む小室直樹の『新戦争論』」六城雅敦(ろくじょうつねあつ)・記 2012年9月14日

「1327」共和党候補、ロムニーの安全保障政策を知る。最新刊『アメリカが作り上げた“素晴らしき”今の世界』(The World America Made)(ビジネス社刊)の紹介。古村治彦研究員の翻訳で刊行されています。2012年8月27日

「1324」  副島隆彦著の仏教論、『隠された歴史:そもそも仏教とは何ものか?』(PHP研究所)の読みどころを解説します。2012年8月12日

「1322」副島先生の仏教論の集大成『隠された歴史~そもそも仏教とは何ものか?』(PHP研究所)とロン・ポール米下院議員の『連邦準備銀行を廃止せよ(END THE FED)』(佐藤研一朗・訳、成甲書房)が発刊されました。 2012年7月29日

「1319」 副島先生の新刊本2冊。『ロスチャイルド200年の栄光と挫折』(日本文芸社)と石平(せきへい)氏とのケンカ対談『中国 崩壊か 繁栄か!? 殴り合い激論』(李白社)が発刊されました。世界の実像を知るのにおすすめの2冊です。 2012年7月19日

「1317」 副島隆彦・最新DVD『橋下徹の登場 と 政治思想の歴史』(2012年6月2日、講師:副島隆彦・中田安彦・須藤喜直)/最新刊『国家は「有罪(えんざい)」をこうして創る』(副島隆彦・植草一秀・高橋博彦・著、祥伝社刊)ラインナップ追加のお知らせ。2012.7.8

「1314」 「増税談合勢力」 の 野合(やごう)の増税に反対する。2012年6月25日

「1312」 第27回副島隆彦を囲む会主催定例会『橋下徹の登場と政治思想の歴史』に来場された会員の皆様のご意見をご報告します。 2012年6月19日

「1310」 ロマノ・ヴルピッタ『ムッソリーニ』を読む。現在の日本で重要な意味をもつ「ファシズム」とは何かを再考する 2012年6月4日

「1306」 爆弾のような破壊力を持った一冊!! 古村治彦著『アメリカ政治の秘密』(PHP研究所)を強力に推薦する。2012年5月13日

「1304」 副島隆彦を囲む会・定例会、第27回自力主催講演会(講師:副島隆彦・中田安彦・須藤喜直、開催日:2012年6月2日、土曜日)をご案内します。演題は『橋下徹の登場 と 政治思想の歴史』と決定しました!※金融・経済のお話はありません。2012.5.6

「1301」 新作DVD『今、世界経済がどう変質しつつあるか』(2012年3月24日、講師:副島隆彦・古村治彦)のアンケートの結果を掲載します。2012.4.25

「1300」 新作DVD『今、世界経済がどう変質しつつあるか』(2012年3月24日、講師:副島隆彦・古村治彦)/『欧米日 やらせの景気回復』(副島隆彦・著、徳間書店刊)のお知らせ。2012.4.19

「1296」橋下首相を誕生させようと目論む、関西財界ネットワークの正体とは 2012年4月3日

「1294」アメリカの共和党予備選で公然と囁かれる不正投票の横行。スーパチューズデーを終えて共和党予備選挙の様子、大統領選挙予備選挙・党員集会の複雑な仕組み、衝撃的な内部事情を現地から緊急報告します。 2012年3月24日 佐藤研一朗・筆

「1292」 (1) 4月28日(土)~30日(月)の「福島原発・難民キャンプツアー」のお知らせ。/(2) 6月2日(土)の「政治思想・日本政治の歴史(1960年代からこっち)講演会」のご案内。/(3) SNSI研究員・崎谷博征(さきたにひろゆき)氏の新刊『医療ビジネスの闇』(学研パブリッシング。2012/2/28刊)が出ました。2012.3.13

「1289」 (1) 3月24日(土)の「学問道場」定例会『今、世界経済がどう変質しつつあるか』(副島隆彦)の再度のお知らせ。/(2) 対談CD『日中殴り合い対談』(石平、副島隆彦。李白社)をご紹介します。2012.3.6

「1288」 日本は、「新・知日派」の台頭でも基地移設問題でアメリカの要求に屈服してはいけない 2012年3月2日

「1285」 「小沢一郎・陸山会裁判」の急展開。小沢一郎側が勝利しそうである。「ぼやき・会員ページ 1284」に掲載された文章の後半部分を、こちらにも転載します。2012.2.19

「1283」 まんが家・イラストレーターのぼうごなつこさんによる、政治漫画「小沢一郎・陸山会事件説明まんが お天道様がみてる」を掲載します。2012.2.10

「1280」 本年度初の副島隆彦を囲む会・定例会、第26回自力主催講演会(講師:副島隆彦先生・古村治彦研究員、開催日:2012年3月24日)をご案内します。2012.1.30

「1278」書評『父・金正日と私』(五味洋治・著)と『後継者・金正恩』(李永鐘・著)を読む。北朝鮮は改革開放に乗り出せるのか。“属国論”の観点で北朝鮮の対中外交を整理する。2012年1月23日

「1276」 新刊『中国は世界恐慌を乗り越える』(ビジネス社)と『衰退する帝国・アメリカ権力者図鑑』(日本文芸社)が発売されました。中国の発展の姿は100年前のアメリカ帝国そのものである。2012年1月10日

「1273」 「副島隆彦の学問道場」から 新年のご挨拶。 2012.1.1  下に加筆します。1月5日です。副島隆彦です。


「1548」 好評連載企画:「思想対立が起こした福島原発事故」 相田英男(あいだひでお) 第3章 福島事故のトリガーがひかれた日(2) 2015年8月13日
 副島隆彦の学問道場中田安彦です。今日は2015年8月13日です。

 会員の相田英男(あいだひでお)氏の大作論文、「思想対立が起こした福島原発事故」の第3章の「その2」です。日本の原子力産業の黎明期(れいめいき)の出来事を丹念に追った労作です。私も全部は理解できたわけではありませんが、非常に重要な報告だと思います。もうすでに半世紀以上も前、60年前の話を扱っていますが、日本の原子力を語る上で重要なキーマンの名前が多数出てきます。
 
 前回「1547」からの続きです。

(貼り付け開始)

3.3 発足当初の日本原子力研究所

 第2章で触れたように原研の発足は、1955年11月に財団法人原子力研究所として組織されたことに始まる。 翌56年に特殊法人日本原子力研究所として改組されるが、現在では原子力研究所の名前ではなく日本原子力開発機構と改称されている。原研から原子力開発機構に至る経緯は、これからおいおい述べてゆく。

 財団法人時代の研究所の理事長は経団連会長の石川一郎であったが、翌年の特殊法人発足時には安川電機会長の安川第五郎(やすかわだいごろう)に理事長は交代した。この時に副理事長に就任した人物が、元工業技術院長の駒形作次である。いうまでもなく駒形は、武谷、坂田を「極左」と名指しで非難したあの秘密文書の作成者の一人である。安川も駒形も原子力には縁もゆかりも無い人物であったが、理事の一人に、米国ローレンス研究所から呼び戻した嵯峨根遼吉を迎えることで、一応の技術的な体裁を原研は整えていた。

 「原研」が財団法人から特殊法人に組織変えされるまでの数か月の間には、紆余曲折の議論があったらしい。この時期の状況については、朝日新聞取材班による「それでも日本人は原発を選んだ-東海村と原子力ムラの半世紀、朝日新聞出版、2014年」(以下は「原子力ムラの半世紀」と略す)に詳しい。以下に原研設立時の経緯についての記載を引用する。

―引用開始―

 初の原子力予算が成立した一九五四年以降、超党派の国会議員による原子力合同委員会では、英国を参考に原研を「公社」とする主張が主流だった。だが、大蔵省(当時)は予算措置上の理由で「国立」論を唱えていた。

 原子力委員会(委員長=正力松太郎国務相)は一九五六年一月二十日、国立では給与法や定員法に縛られ能率が上がらないとして、「公社」案をいったん内定する。そこへ、経済団体連合会が「国営では弾力性のある運営ができない」として、財界が影響力を持てる「特殊法人」案を提案した。経団連会長は、原子力委員でもある石川一郎だった。

 原子力委員長の正力は二月七日に一万田尚登(いちまだひさと)蔵相と会談。民間出資は認めても株主の発言権を持たせず、役員も政府が任命する、という妥協案で説得し、一万田に特殊法人案をのませた。

―引用終り―

 相田です。原研の体制については国会議員側は「公社」を主張する一方で、「国立」を主張する大蔵省が待ったをかけたという。国立研究所とすることで職員給与を一般公務員レベルに留めることを、大蔵省は主張した。原子力委員会の正力は「公社」案を一旦は決定するが、経団連から「特殊法人」案が持ち出され、最終的にこの路線でまとまることとなった。要するに、通常の公務員よりも給与を上乗せすることで、原研に優秀な人材が集まることを期待したらしい。

 その原研職員の給与はどの程度であったかというと、具体的には、事務系職員では通常の公務員給与の120%、技術系職員では130%と定められていたという。それも、島村武久の国会での説明によると、「通産省、工業技術院、東大などのトップクラスの給与の120%を原研給与の基礎として準則を制定した。つまり、公務員全般に比べて20%増しじゃなくて、トップクラス、しかも中央官庁であり、また技術者、その他、先ほど毛お話がありました学卒者の多いそういうところに比べて120%にきめた」ということらしい。その結果として、「もろもろの(政府の)機関の中で、原研よりいわゆるベースの高いものは、金融機関関係、大蔵省所管、そういうところを除けば、原研はそれに次いで、いわゆる第二グループのトップをいくくらい」のレベルであったという。

 これだけの給与をもらっていたにも関わらず、原研ではどうしてストライキが頻発したのだろうか?という素朴な疑問が誰しも湧く。ここが問題の核心の一つであるのだが、最初に高額な給与レベルを設定したものの、大蔵省からの原研への予算が徐々に減らされ、人件費の総枠が当初の約束に達しなくなったことが、労働争議の理由であった。要するに原研の研究員達は皆、通常の公務員以上の給与はもらっていたのであるが、約束よりもまだ足りないではないか、ということが、組合員には不満であったのである。体制側が安易に高給で研究者を釣ろうとしたことが、組合側にゴネる理由を与えてしまったのである。単純に述べれば、であるが。

「なんだかなぁ」と呆れてしまうのは私だけであろうか?

 原子力研究所の設置場所も大きな騒動となった55年の末から56年初頭にかけて、原子力研究所の誘致運動が盛り上がった。その詳細は前述の「原子力ムラの半世紀」に詳しいが、有力な候補地として横須賀市の米軍駐留地の武山と、群馬県高崎市が挙げられ、前者は社会党の志村茂治、後者は自民党の中曽根康弘の地元であることから、政治活動の色合いも加えた誘致合戦が繰り広げられたという。

 66年2月に発足したばかりの原子力委員会は、横須賀市武山を第一候補として選定したことを発表する。研究者の間からも東京に近い武山を歓迎する声が上がっていたが、政府内では武山の候補地を自衛隊が使用するべき等の異論が出されて、議論は迷走する。4月初めの閣議で政府は、原子力委員会が決定した武山の候補地を覆すことを決定し、この段階になって第3の候補地として挙げられた茨城県水戸の郊外が注目されるようになる。土地選定委員長を務めていた駒形作次からは、「水戸郊外にという場合、原研の計画は半年遅れ、研究も不便になる」との不便さが強調されたものの、原子力委員長の正力松太郎が水戸への設置を容認する姿勢を見せたことで流れは変わる。4月6日の原子力委員会で水戸北部の東海村への原研設置が正式に決定された。

 茨城県は誘致活動を全く行わなかったにもかかわらず、原研の設置が決まってしまう。成り行きで漁夫の利を得た形になった東海村であったが、正力は当初から東海村への設置を想定して、水面下で活動を行っていたらしい。日本初の発電用原子炉の導入を目論んでいた正力は、発電設備とその技術支援組織としての原研を併せて建設できる広さの場所は、当時は寂しい寒村であった東海村しかないと判断していたようある。

 原研の発足時においては、通常の公務員よりも割増しの給与を掲げたにも係らず、研究員の採用はスムーズにはいかなかった。「原子力ムラの半世紀」から一部を引用する。

―引用開始―

 日本で初めての原子力研究機関の要員は注目を集め、一九五六年度前期は採用予定四十六人に対して三百人以上の応募者があった。ところが、二月七日の理事会で、財界出身で理事の久布白兼致(くぶしろかねよし)が、「優秀な人材なので書類選考で採用した」と、二十七人をすでに確定したことを報告する。

 「公開・民主・自主」の原則に基づく公正な選考を求めていた学会からは、批判が巻き起こった。日本学術会議の茅誠司会長は採用確定の無効を求め、朝永振一郎は原研に抗議の意を表した。批判を受けた原研側は二月末、二十七人のうち主任研究員などの十七人だけを正式採用とし、他は一般の応募者と同じように選考することを決めた。

―引用終り―

 相田です。第2章で触れたように財団法人原子力研究所の目的は、「まずはアメリカから原子力実験装置を買うための組織を作らなくてはならない」という、刹那(せつな)的な理由であった。地道な研究に取り組むことは最初から二の次であった。そのような状況にあって伏見康治は、原研を形だけの研究組織ではなく、優秀な原子核物理学者を揃えることが出来るように、学術会議の原子核特別委員会で訴えたものの、会議が物別れに終わってしまったことは前に触れた通りである。当時の素粒子論グループを始めとする学術会議の学者達は、原子力研究所に対して極めて冷淡であった。坂田昌一は発足当初のこの研究所について、「ただ「原子炉のある研究所」であって、原子力発電の研究を行うところとはならないであろう」と述べたという(西谷正「坂田昌一の生涯」鳥影社、2011年より)。

 設立当時の原子力研究所の様子について、初期の採用メンバーの一人である古橋晃(ふるはしあきら)氏が「原研創立の頃」という文章をネットで公開されており、一部を以下に引用する。

―引用開始―

 この原子力研究所と、その後身としての日本原子力研究所の少なくとも初期は、「原研(げんけん)」という名で呼ばれておらず、自ら名乗ったわけではないが、「力研(りょくけん)」と呼ばれることが多かった。これは当時既存機関として東京大学原子核研究所があり、それが「核研(かくけん)」として著名であった為、 同じ原子の名を有する後発の研究所が「原研」という名を唱えるのはおこがましく、分かりづらくもあった故である。また原子力研究の開始に批判的であった日本学術会議が、「核研」こそ原子の本家であり、原子力研究所は、それと併存のレベルとしてなら認めるという感じで「力研」という名を敢て頻発していたこと にもよると思われる。

 所でその力研であるが、その設立の前から当時では止むを得なかったとはいえ、時の有力者が自然にメンバーになって行き、 その人達の出身組織からの引きや、めぼしい研究者の1本釣りなどによって、設立後も増員して行く情勢にあった。これが学術会議等から縁故採用であるとして攻撃された。1956年になってから漸く公募試験を行うことになり、私も受験が叶った。

 私は1月21日に書類と写真を提出したが、なかなか連絡が来ずやきもきした。3月28日に急に4月2日に入所試験をする との通知があった。(中略)私は幸い試験に通り、5月17日に採用通知を受け、6月1日付で財団法人原子力研究所に入所した。何人受け何人通ったのかは私には分からなかったが、同日入所した研究者は約20人であった。この人達とは以後長いつき合いをするわけであるが、受験日には互に未知であった。(中略)同日入所した私達は、我々が正規の所員であり、それ以前に入っていた人は、学術会議のいう所謂縁故採用者ではないかと虚勢を張ったものである。もっとも新卒者を直接公募採用した1957年4月入所者こそ真の一期生であると、その人達には今でも誇られているが。

―引用終り―

 相田です。古橋氏によると、設立当初の原子力研究所は研究者達の間では、原研(げんけん)でなく力研(りょくけん)と略称されていた。これは同時期に学術会議の提言で東大に設立された、原子核研究所と区別する意味合いがあった。原子核研究所は核研(かくけん)と略称されていた。当時の科学者達の中には、学術会議の政府への提案により設立にこぎつけた核研の方が、学者達の「正当な」研究所であり、原子力研究所の方は政府と財界がでっち上げた体裁だけのものであると、見下すような風潮があった。核研を差し置いて「原研」と呼ぶことに、研究者達の間で抵抗があったということらしい。

 学術会議側から「縁故採用」との批判が浴びされたものの、アメリカからの実験装置の購入が既に決められていた「力研」では、即戦力となる技術者が必須であり、「三原則」に則った厳密な採用ルールに従って人を探す余裕が無かったことも事実なのだろう。先の古橋氏の引用では、56年6月の特殊法人発足時に入所したメンバーは自らを、縁故ではない最初の正式採用であると思っていたそうである。しかし一般には、翌57年4月に新卒者を直接公募して採用した57名が、正式な第一期生とみなされているらしい。

 この57年に採用された「原研第一期生」は、西村肇(にしむらはじめ)先生と同年であるが、西村先生によると同期の東大工学部の中の、最優秀の5人が入所したという。その一人に、後に原子力安全委員長として高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故や、JCO臨界事故の対応に当たった佐藤一男(さとうかずお)氏がいる。第2章の初めに学術会議成立に関する文章を引用した、大阪大学出身の物理学者の中井浩二氏も、「第一期生」のメンバーである。中井も初期の原研の様子について「モラルとモラール - 科学技術と「こころ」、(2005年)」というエッセイの中で書かれている。以下に中井氏の文章を引用する。

―引用始め―

 原子力研究の始まりには、いろいろないきさつがあり、いろいろなつまずきがあったが、それを乗り越えて発足した。一九五六年に、それまでは財団法人であった日本原子力研究所が、特殊法人という形をとって国家的規模で本格的に発足した。次の年に大学を卒業した私は、原子力研究の将来に大きな夢を抱いて原子力研究所に入った。一緒に入った五十名近くの同僚は、皆希望に満ちていた。

 しかし、私達の希望に満ちた気持ちは、大学にいる先輩や旧友の複雑な視線にあって、とまどうことが多かった。原子核研究者である諸先輩の間には、中曽根発言に反発し、大型予算を背景に急速に進む原子力行政に批判的な雰囲気が満ちていた。 世界の先進国では、原子力開発に原子核研究者の多くが活躍し、いろいろな面で指導力を発揮していたのに、わが国では、残念ながら実力者がそっぽを向いてしまった。
(中略)

 私が原研に入ったのは、一九五七年、原研が五十人近い大人数を初めて公募により集めた年であった。大学院終了者や、もっと上の人も居られたが、大部分は、私も含めて学部の新卒者であった。この年から数年の間、原研の職員数は急に膨張した。私たち新卒の若者は、みな夢をもち将来への期待に燃えていた。周囲の人々からも大きく期待されていた。或は、少なくともそういう誇りをもっていた。

 急に集まった若手の集団は自立の精神を高く掲げ、誰いうとなくセミナーや輪講を始めた。大学院進学者に対する対抗意識も多少はあったような気がする。実用の熱中性子炉は四十才以上、高速中性子炉は三十才代、われわれ二十才代の若手は核融合の可能性を勉強しようと言って、当時バイブルのような存在であったポストの論文や、スピッツアーの本などを、むさぼるように輪講した。みんな夢を描いていた。しかし、若手の共同の夢は、現実の忙しさに次々と崩れた。研究を経験していない大学学部新卒者のもろさであった。

 先ず、原子炉運転グループに配された仲間は、日本で最初の原子炉JRR-1の臨界にむけて、立ち上げ作業に忙しく、輪講どころではなくなった。核物理グループの仲間もヴァンデグラーフ型加速器の建設に忙しく、彼らは、彼らの目標に向かっていった。新しい装置の購入、建設、検収、と、巨額の予算の消化にみんなが振り回された。若手のエネルギーを中心に組織しようとしたグループ活動はもろくも崩れた。研究を経験したことのない新卒者の集団には無理だったのであろう。強いリーダシップが全く欠けていた。

 当時、この若手を導く室長クラスの中堅研究者は、民間会社の第一線で活躍した人や、国公立研究機関で原子力研究にいちはやく手をつけた人などが多かった。皆さんが優れた方であった。しかし、大学の教官と違って、威勢のよい若手の導きかたはうまくなかった。その理由は近ごろにになって解ってきたような気がする。問題処理の能力は抜群であって、原子力技術の導入を第一の目標に設定されていた当時の原研には、最も有用な人材の集まりであったと思う。しかし、大学を出たばかりの若手が、基礎研究とは何か?学問とは何か?と問うた時、答えられる人たちではなかった。

 日本の原子力研究の曙、幕開きのときに燃え上がる勢いのあった若手のエネルギーは、現実の作業に蹴散らされた。「基礎研究を大切に」という若手の声はしばらく続いたが、やがて若手のエネルギーは、強烈な労働組合運動の波の中に吸収されていった。残念であった。私自身も、順番がきて立候補させられ、選挙で選ばれて労働組合の執行委員となり、原研創立以来最初のストライキに情報宣伝部長として「活躍」した。不愉快な一年であった。特に、後年になって、このストライキに不純な仕掛があったことを知って、ますます不愉快な思い出となっている。

―引用終り―

 抑えた筆致ではあるものの中井氏の文章からは、初期の原研における若手研究者達の置かれた複雑な状況と、彼らの抱える葛藤が伝わってくる。当時の学術会議等の「良識派」の科学者達からの冷ややかな視線はあったものの、原子力の明るい未来を信じて原研に集まった若手のメンバーは、大きな夢と志を抱いていた。彼らの多くは大学学部卒業者であり、大学院進学者達に負けるものかと、自らで勉強会を行っていた。

しかし、発足当時の原研のミッションは基礎研究ではなく、アメリカからの多数の実験設備の導入と立上げであった。新人所員達は十分な研究指導のないままで、いきなり実務に投入されることとなった。装置メーカーとの交渉、装置仕様の確認、大型機械の据付作業などに振り回されて、地道な勉強を続ける余裕は彼らには与えられなかった。また年長の所員達も、理研やメーカーからの中途採用者や出向者の寄せ集めであり、研究指導者として若手を導くスキルには欠けていた。

 志を失った彼ら第一期生のかなりの人数が、時を置かずに原研を離れることとなる。中井氏もその一人である。中井氏が原研を離れた理由は、59年に原研労組が第1回ストライキを行う際の実行委員の一人に選ばれて、「活躍」させられたためであったという。原研で巻き起こる壮絶な組合運動については、これから触れることになる。


3.4 原子の火、灯る

 ここで、第2章での説明を省略した一連の原研の実験装置について簡単に触れる。東海村に最初に造られた原子炉であるJRR-1(Japan Research Reactor-1)は、湯沸し型(Water Boiler)と呼ばれる形式で、熱出力が50kW(キロワット)という小型の装置である。燃料には濃縮ウランを用いるが、固体ではなく硫酸ウラニル水溶液という液体燃料を用いることが特徴である。発注されたのは財団法人時代の56年3月であり、57年8月に東海村で臨界に達するという、1年余りの突貫工事で作られた装置である。装置の製造元はノースアメリカン社という、当時は戦闘機(F-86,F-100等)の有名メーカーである。

 JRR-2はそれに続いて1960年にアメリカから導入された原子炉で、燃料に濃縮ウラン、減速材に重水を用いる。この装置はCP-5型と呼ばれるタイプであり、1942年にシカゴ大学でE.フェルミが作った世界最初の原子炉であるシカゴパイル1(CP-1)を源流とする、由緒正しい原子炉である。CPシリーズの原子炉は、米国アルゴンヌ研究所で改良が進められ、熱出力1000kWまで増加したCP-5型が原研に導入された。

 形式は正統派であったものの、JRR-2の立上げはトラブルの連続であった。原研では当初は10,000kWの出力を予定していたが、臨界後の運転は1,000kW程度の低出力を余儀なくされた。本来CP-5型はウラン燃料に濃度90%の高濃縮ウランを用いる設計であったものが、当時の日本ではアメリカとの協定で濃度20%のウラン燃料しか提供されなかったため、予定の出力に達しないという、お粗末な経緯であった。試行錯誤の末に3,000kWまで出力を上げた後に、アメリカとの協定が改訂されて90%濃縮ウランの使用が可能となり、10,000kW運転を達成したのは2年後の1962年10月であった。

 このCP-5型原子炉を作ったメーカーは、アメリカン・マシン・アンド・ファウンダリー(AMF)という、タバコ製造やボウリングの機械を販売する会社であったという(NHK「原発メルトダウンの道」より)。当時の原子力装置製造には、GEやWH(ウエスティングハウス)のような名門以外にも、一獲千金を狙って様々な分野の企業が参入する、群雄割拠の状況にあったらしい。57年にJPDRの一次入札を行った際には13社からの応募があったという。JRR-2の入札時にAMFが提示した価格は、GEの半分という破格値であり、10000kWの出力も保証したことからAMFからの購入が決まったものの、「安物買いの銭失い」を地で行く結果となってしまったようである。

 それに続くJRR-3は別名「国産1号炉」と呼ばれており、米国産ではなく国内装置メーカーの協力で作られた初めての原子炉である。このJRR-3の熱出力はJRR-2はと同じ10000kWであり、燃料に天然ウラン、減速材に重水を用いることが特徴である。即ち、アメリカとの原子力協定が持ち上がる前の最初に計画された、国産技術のみで作り上げる原子炉が、3台目にようやく実現したのである。JRR-3が臨界に達したのは1962年9月であり、1年後の「日本の原子力の日」の前日に、原研労組が運転中の抜き打ちストを決行したのが、このJRR-3である。

 翌年のJPDRの臨界と発電試験実証を経た後の1965年には、JRR-4と呼ばれる熱出力3500kWの原子炉も臨界を迎えている。JRR-4はスイミングプール型と呼ばれるタイプで、濃縮ウランを燃料とする炉心を、水深10メートルの水槽の底に置いたものである。原子力船「むつ」の原子炉における放射線の遮蔽実験が、このJRR-4を用いて行われた。

 JRR-1及び2の原子炉は現在は解体されて存在していない。JRR-3は同名の装置が今も実験で使われているが、原子炉が濃縮ウラン燃料を用いるタイプに換装されており、本来の原子炉は既に無い。

 本論考の主要テーマとなるJPDRはさておくとして、これらの原研初期の原子炉の中で最も注目されたのが、JRR-1であった。57年8月27日にJRR-1が臨界に達した時には、「日本に初めての原子の火が灯る」として、新聞等でも大きな話題となった。しかし実際には、原子炉装置はアメリカで組立を終えており、東海村に基礎工事と建屋を作った後に、搬入して組立を行っただけであった。原研では炉心設計等の技術開発は一切行っていない。このJRR-1導入について、武谷三男(たけたにみつお)は次のようにコメントしている。

―引用始め―

 57年8月に第1号炉のウォーターボイラー原子炉の連鎖反応が鳴り物入りで行われた。この連資力研究所の建設についてはまえまえからいろいろの問題があったのである。第一にその工事がはなはだ粗雑な調査の上に行われた。そして非常に急いで行われたために、いろいろな欠陥を持っていた。(中略)しかしこのように急がれたにもかかわらず、米国から送られてきたものに欠陥があったり、送ってくるのが遅れたりして、なかなか始動しなかった。

 この原子炉を買うにしても、杉本(杉本朝雄、すぎもとあさお、理研仁科研出身、伏見康治の東大同級生)や神原(神原豊三、かみはらとよぞう、日立製作所出身)とかいう責任者は、それが動き出すまで、全然確実なことは何もわからなかったようである。計算もろくにせずに、ただ向こうから送ってきたものを据えつけるというだけで、こんなことばかりだったので、物理学者やエンジニアは必要ではなく、みな土建屋になって東海土建研究所とあだながついたりした。
(中略)

 わたくしたちとしては、ただ向こうから持ってきた原子炉、しかも一番簡単な原子炉が連鎖反応するということは当然の事であって、なんの不思議もなく、別になんの功績でもない。それが記念切手まで出す大騒ぎになったということは、やはり日本が未開発国であるという印象を禁じ得なかったのである。こんな切手が外国に行ったら全く日本の物理学者の恥である。
(原子力と科学者、武谷三男作品集2、勁草書房、1968年)

―引用始め―

 相田です。武谷に言わせると、「こんな装置は、アメリカで十分に下準備されて組み上げられたものだから、臨界が起きるのは当たり前だろう。装置をただ日本に持ってきて、据えつけるだけでは、単なる土建屋だ。原子力研究者などだれもいないし、必要ないではないか」ということになる。身も蓋もない言い方であるが、実情は武谷の言うとおりの状況であったといえる。そこまでけなすことも無いだろう、と自分には思えるが、「日本の物理学者の恥」とまで書いてしまうのが、やはり武谷である。

 東海村でのJRR-1立上げの状況については、朝日新聞の科学記者の木村繁氏の著作の「原子の火燃ゆ」(プレジデント社、1982年)に詳しい。1956年当時の東海村は、北関東のうらさびれた寒村であり、道路は舗装されておらず、ガスも水道も引かれていなかった。鉄道(常磐線)も電化されていなかった。原子力研究所の建設事務所は空き家となった旧村役場が使われて、2階が宿舎に当てられた。先遣隊として作業に携わった所員達は他にも、空き家となった小学校の校長住宅や、借り上げの農家等を宿舎として使っていたという。

 1年後のJRR-1の組立が終了しつつある段階でも、所員達の生活インフラはあまり改善されなかった。57年の7月には鉄筋コンクリート製の4階建ての独身寮が完成したものの、間取りは畳が3畳に1畳分の板張り付という狭小であった。当初は水道も使えず、階段の踊り場に置かれた木桶の井戸水を汲んで、生活水として使っていたが、茨城県の衛生研究所の水質検査では度々不合格となる代物だったらしい。

 臨界達成後の9月18日にはJRR-1の完成披露式典が東海村で開催された。当日は原子力委員長の正力も出席し、日本テレビによる中継も予定されていたが、原研労組は所員の待遇改善を訴えるため、式典当日のストライキによるボイコットを決定した。労組が掲げた要求の中には、上下水道の完備、放射能の危険に備えて内科、外科の医師の常置、生活物資を買い求めるための売店の設置、等の他に「所内食堂の食事は、労働に必要なカロリーと栄養素を含み、しかも常食にたえうるだけの風味を有すること…」というものまであったらしい。給与については一人平均7%の賃上げと、現場手当、単身赴任者への別居手当の支給を要求していた。

 安川第五郎理事長を代表とする原研理事者側は、労組の要求をほぼ認めることでストライキは回避され、式典は無事に開催された。しかし、晴れの式典の日に大規模ストライキをぶつけるという攻撃的なスタイルは、原研労組の悪しき伝統となってその後も繰り返され、最終的に原研を窮地に追い込むこととなる。


3.5 嵯峨根遼吉、原研を去る

 JRR–1の完成式典が終わった後に、理事長の安川第五郎は退任し、副理事長の駒形作次が二代目理事長に就任した。駒形の後の副理事長には嵯峨根遼吉(さがねりょうきち)が昇格し、東海研究所の所長も嵯峨根が兼務した。嵯峨根所長時代の東海原研は、主な研究棟の建設がほぼ終了し、JRR–1の運転も順調に時間を重ねるなどの、研究組織の活動が軌道に乗り始めた時期であった。JRR-2のアメリカへの発注も終えて57年末にはその建屋も完成した。国産1号炉のJRR–3の設計作業も順調に進んでいた。

 翌58年には、動力試験炉(JPDR)の原研への導入に向けての準備が開始される。設立当初の原研は、英国製のコールダーホール型原発の受入れも想定されていたという。しかし、英国製発電炉の導入には(株)日本原子力発電が別途に設立されたため、発電技術開発への原研の寄与が低下する事態が懸念された。これに対する回答として出された提案が、アメリカ製の小型軽水炉の導入である。

 政治家としての功を焦る正力により、英国製の発電炉導入が強行されたものの、発電装置としての優位性は、米国製軽水炉の方に分があることは、関係者の間では明らかであった。英国炉に続き、電力会社が導入する発電炉のタイプの多くは軽水炉になることが、当初から予想されていた。そのためのパイロットプラントとなる装置を、アメリカから購入して、原子力発電を実証することが原研の重要なミッションの一つとされた。

 先に記したようにJPDRの一時入札の際には、13社が応募する盛況ぶりであったが、その後には実績のあるWH(ウエスティングハウス)GE(ゼネラル・エレクトリック)の2社に絞られた。米国での留学経験が長い嵯峨根は、この時に米国側との交渉の中心として活動し、最終的にはGEのBWR型装置の選択に至る道筋を作った。

 しかし、嵯峨根の足元の東海研究所では、不穏な空気がくすぶり続けていた。財団法人時代には、理事長の石川一郎から、一流民間企業を上回る待遇がほのめかされていたものの、特殊法人発足後には大蔵省からの指導もあり、公務員給与に準じた給与に減額される事態となった。JRR-1完成式典前の交渉では7%の賃上げでなんとか合意できたものの、その後のベースアップは頭打ちになりがちであった。労組の強いベースアップ要求に対しても、駒形理事長は「予算措置が必要で、大蔵省の承認を得なければならないので・・・・・」と言葉を濁したまま、回答は出されずじまいであった。(日本原子力産業会議編「日本の原子力 一五年史」1971年、三秀社、より)

 59年6月に、原研では創設3周年の記念式典が開催されたが、約束した給与水準の維持を求める労組側は式典参加をボイコットし、原研初の24時間ストライキを決行した。7月に入ると労組はスト権を解除するが、対立は中央労働委員会の調整に持ち込まれ、翌年に事務系職員では通常の公務員給与の120%、技術系職員では130%の基準を遵守するという、所謂「中山あっせん」による合意に達することとなった。この労働問題の責任を取る形で、駒形2代目理事長と嵯峨根副理事長の二人が同時に辞任することとなってしまう。

 しかし、この時の嵯峨根の辞任の裏には、労働問題以外の別の理由があったらしい。終戦直後に東大の嵯峨根研究室で学んだ後に、嵯峨根の推薦でアメリカのアイオワ州立大学に留学し、その後に東北大、東大等で研究を続けた原子核物理学者の森永晴彦氏という方が、1997年に「原子炉を眠らせ、太陽を呼び覚ませ(草思社)」という本を出版されている。この本の中に、嵯峨根に関する興味深い記述がある。

 57年9月に留学から帰国して、東北大で研究を始めた森永氏は、東大の核研や嵯峨根が指揮を取っていた東海原研の設備を使って、度々実験を行っていた。その際に知り合いとなった、東海原研の同年齢の一人の研究者から、嵯峨根についての意外な話を聞かされる。以下に森永氏の本から引用する。

―引用始め―

 あるとき、彼が「お前の先生、東海村をクビになるぞ」という。まさか世界的にも大活躍している、日本唯一の本物の原子力通(げんしりょくつう)の先生がと、私は耳を疑ったのだが、彼は「多少の噂は聞いていたが、もう決まっているらしい。原研の組合新聞にこんな記事が載っていたぞ」というのである。

空ではグラマン・ロッキード
陸ではGE・ウェスティングハウス
チャンチャンバラバラ結局は
サガネが撃ち落とされるらしい

 グラマン・ロッキードというのは、自衛隊用主力戦闘機の売り込みで、当時火花を散らしていたアメリカの二大航空機産業のことである。(中略)この問題と先生のかかわり合いは次のようなものだと言われていた。先生は両社(ウェスティングハウスとGE)の売りたがっているPWRとBWRを、それぞれ詳しく勉強されたが、いったん一方に傾かれてから、のちに他社の方式の利を認めて、意見を変えられた。これが原子力開発の上層部の逆鱗に触れたとのことであった。

―引用終り―

 相田です。笑うところではないのだが、上の組合新聞に掲載されたという戯れ歌は、きちんと韻(いん)を踏んで作ってあるので、繰返して読むと結構可笑しい。この歌はJPDRの原研への導入を巡って、GE派(三井グループ)とWH派(三菱グループ)の間で起こった熾烈な売り込み合戦について揶揄している。初期の原研の活動を総括した「原研十年史」という報告書には、JPDR契約時の状況について以下のように記されている。

―引用始め―

 BWRかPWRかの選定は、国内の下請け業者を自動的に決めることになる上、そのころたまたま、防衛庁の導入戦闘機の機種選定をめぐって、グラマンかロッキードかの論争が世間をにぎわせていたので、理事会の最終検討は慎重をきわめた。価格表の開封の際には、各理事が双方の技術的内容に基づいて、あらかじめ価額を評価したものを持ち寄り、開封と同時にその評価を行うというやり方も取られた。その結果同年(1959年)三月に至り、理事会は技術的検討、経済性比較のいずれの面からも、全員一致でGEのBWR型を選び、ただちに契約のための細部交渉に入った。

―引用終り―

 相田です。さて森永氏は著書において、嵯峨根を辞任に追い込んだ張本人の名前を明かさず、「ジイサン」としか書いていない。しかしネットに書かれている情報によると、この人物は日本原産の橋本誠之助であったらしい。森永氏は橋本へのアポを取ることに成功し、嵯峨根の辞任を止めさせるため原産まで抗議に出向くことになる。以下に森永氏と「ジイサン」とのやり取りを引用する。

―引用始め―

 ジイサンは「故郷はどこじゃ」「何でサガネのところで働かないのか」というような質問のあと、私の話を聞いてくれた。こんなかけがえのない、唯一の専門知識とアメリカの指導者たちとのコンタクトまで持った学者を下ろそうとするなど、とんでもない。世界のどの先進国を見たって、その国の原子力研究所の所長は、みな自力でこの道を切り開いた人がやっていると言うと、ジイサンは、
「お前は将棋を指すか」
と聞いてきた。

「ルールくらいは知っています」
と答えると、
「王は先に出ていくか」
「イヤ、歩が先に出ます」
「サガネは先に出よる。サガネが日本にとってかけがえのない男だということはよくわかっている。心配するな。お前の言うことはよくわかっている」

と、丸められてしまい、当時としては、貧乏な大学の先生の入るところではなかった隣の第一ホテルでごちそうになった。

 いったい、どうわかってくれたのかと思っていると、一週間ほどして、新聞に「日本原子力研究所東海研究所長 嵯峨根遼吉博士辞任 後任は東大原子核研究所長 菊池正士教授」という記事が出た。これにはまったくギャフンであった。

―引用終り―

 相田です。「ジイサン」のコメントから考えると、JPDRの導入交渉の際に嵯峨根が張り切り過ぎたことが災いしたらしい。嵯峨根がGEとWHのどちらを選ぼうとしたのかは、私には定かではないが、優秀な研究者であった嵯峨根は、純粋な技術的観点から検討を重ねて、炉の形式を選ぼうとしたのだと私は思う。しかし周囲の関係者達は皆、それでは済まされない事情を抱えていたのだろう。

 嵯峨根は原研を去る際のあいさつの中で「自分は二塁打を打ったつもりであったが、グラウンドルールが違っていたと見えて、アウトになってしまった」と述べたという。名家の出である嵯峨根は、友人である叩き上げの茅誠司に比べると、ドロドロした世界に生きる政治家・財界人達と渡り合うには、隙が多すぎたのだろう。そして嵯峨根の次に登板した菊池正士は、嵯峨根に輪をかけた育ちの良さと純朴さの持ち主であった。その菊池の人柄が災いを招く結果となる。

(つづく)


「この「今日のぼやき 広報ページ」記事を印刷する」


※「今日のぼやき」について、「副島隆彦を囲む会」の許可のない、複写、複製、転載、再配信、等の二次利用することを固く禁じます。