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「1996」中国共産党党大会に向けての論点整理 中田安彦 2017年10月17日

「1995」【トランプ政権解剖(1)】ドナルド・トランプ/イヴァンカ・トランプ他 中田安彦 2017.10.3

「1993番」花街(かがい)から歌舞伎の世界について(下)の新派劇や歌舞伎の世界へ 2017.9.22 副島隆彦

「1992番」花街(かがい)から歌舞伎の世界について(中)左翼歌舞伎人から左翼演劇人へ 2017.9.15 副島隆彦

「1989」人類の目指す次なる「フロンティア」について 副島隆彦 2017年9月7日



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「1994」 『東芝はなぜ原発で失敗したのか』(相田英男著、電波社、2017年10月7日)が発売されます 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆 2017年9月26日

「1991」『世界政治 裏側の真実』(副島隆彦・佐藤優著、日本文芸社、2017年)が発売となります。 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆 2017年9月14日

「1989」定例会のお知らせ。今回は国際情勢解説者の田中宇(たなかさかい)氏をゲストに迎え、学問道場一丸になって、世界の今後の行方と大きな枠組みについて解明します。2017年8月19日

「1988番」花街(かがい)から歌舞伎の世界について(上)2017.8.11 副島隆彦

「1984」番 書評 『中国がいつまでたっても崩壊しない7つの理由』  副島隆彦の中国研究、10年の勝利である。 副島隆彦

「1982」 講演会DVD『ディヴィッド・ロックフェラー死後の新世界秩序“G3”を予言する』が完成しました。講演会内容の復習などにぜひご利用ください。2017年7月8日

「1978」 『ニーチェに学ぶ 奴隷をやめて反逆せよ! ―まず知識・思想から』(副島隆彦著、成甲書房、2017年6月18日)が発売されます 2017年6月15日 古村治彦(ふるむらはるひこ)記

「1977」 日本の「国家秘密警察長官」である 菅義偉・官房長官の正体がわかる二冊の本を紹介する。(2) 2017年6月10日

「1974」新刊のお知らせ。『老人一年生-老いるとはどういうことか』(幻冬舎)が発刊されます。「老人とは痛いのだ」ということを思い知らせてくれる一冊です。2017年5月28日

「1972」 『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)という本を読んだ。これが文学だ。副島隆彦 2017年5月15日

「1968」 副島先生の新刊『アメリカに食い潰される日本経済』(徳間書店)の発売が4月28日に決まりました。ぜひお求めください。2017年4月21日

「1966」 第37回 副島隆彦を囲む会主催定例会「ディヴィッド・ロックフェラー死後の世界新秩序“G3”を大予言する」(2017年5月28日(日曜日))のお申込みをお待ちしております。2017年4月12日

「1964」 橋下徹・元大阪市長がアメリカで講演した件、それから売国官僚・高見澤将林(たかみざわのぶしげ)について 2017年4月2日

「1960」相田英男氏の緊急寄稿「東芝=ウェスティングハウス問題」について対話形式で理解する。2017年3月15日

「1957」お知らせ2つ。副島先生の新刊『税金恐怖政治(タックス・テロリズム)』(幻冬舎)の発刊の紹介。 それから、今、国会を揺るがしている、森友学園への「国有地ほとんどタダで払い下げ問題」(=安倍晋三記念小学校問題)を追いかけている作家の菅野完氏との対談の内容を動画と文で載せます。2017年3月1日

「1954」斎川眞(さいかわまこと)『天皇とは北極星のことである』(PHP研究所)の紹介。日本国の 天皇という称号はどのようにして生まれたか。 2017年2月16日

「1953」これは必読の一冊。下條竜夫(げじょうたつお)著『物理学者が解き明かす思考の整理法』(ビジネス社)が発売されます。小保方晴子、星占い、金融工学を理科系の視点で理解するほか、思考の整理法の実践編として好評だった前作に続いての新刊です。2017年2月10日

「1948」天皇陛下の譲位問題。この問題は「ワールドヴァリューズ(世界普遍価値)と民族固有価値(ナショナルヴァリューズ)のどちらを重視するか」という問題であり、天皇陛下と安倍晋三がその2つの価値観を巡って熾烈な争いを繰り広げている、ということなのである。副島隆彦・記 2017年1月16日

「1944」【講演DVD】「鳩山由紀夫元首相が見た『属国・日本』の真実」(2016年11月20日)の講演ビデオについてお知らせします。鳩山元首相が日本の対米従属政策の問題点、今の民進党の問題点、アジア・インフラ投資銀行(AIIB)の実像について語ります。2016年12月26日

「1942」 北方領土まったく返還なし記念。 「自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC ネトサポ)のネット世論誘導 ネトウヨその世界」。自民党によるネット上の言論操作を暴いたNHKの番組を載せる。 2016年12月18日

「1940」先日の鳩山由紀夫元首相をお呼びしての講演会の会場で皆様から頂いたアンケート結果です。2016年12月6日

「1937」  アメリカ大統領でトランプが勝利してから私がアメリカ大統領選挙について書いた、「重たい掲示板」への投稿を載せます。副島隆彦 2016年11月22日 

「1934」副島隆彦の、 最新の金融本 『ユーロ恐慌 欧州壊滅と日本』( 祥伝社)が発売。 恒例のエコノ・グローバリスト・シリーズの第19弾。2016年10月29日

「1931」 副島先生の緊急出版 の 新刊『Lock Her Up! ヒラリーを逮捕、投獄せよ』(光文社)が発売されました。注目の米大統領選挙の真の争点を理解するために是非お読みください。2016年10月10日

「1927」来る11月20日に私達の秋の定例会を特別ゲストを呼んで開催します。今回は、鳩山由紀夫元首相をゲストにお招きして、世界の行方、東アジアの今後、日本の将来についてじっくりお話をうかがいます。2016年9月15日

「1924」番 『明治を創った幕府の天才たち 蕃書調所=ばんしょしらべしょ=の研究』(成甲書房刊)が発売になります。 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆 2016年9月4日

「1920」番  ” Lock Her Up ! ” 「 ヒラリーを逮捕せよ、 投獄せよ !」 の嵐が アメリカ全土でわき起こっている。 2016.8.11  副島隆彦記 

「1916」 最新DVD『アメリカ名物「トランプ・ポピュリズムの嵐」と最新の世界情勢』のお申し込み受付を開始します。9月以降の米大統領本戦本格化を前に是非ご視聴ください。2016年7月20日

「1912」 副島隆彦のアメリカ分析 の最新刊 『トランプ大統領とアメリカの真実』(日本文芸社)が発刊。2016年6月27日

「1910」 橋下徹(はしもととおる)前大阪市長はなぜ危険なのか。 それは国家社会主義(こっかしゃかいしゅぎ)の思想を持っている恐ろしい男だからだ。 副島隆彦 2016年6月16日

「1907」 重たい掲示板 [1938]私たちの定例会は盛況に終わりました。あとは最新の情報。 をこちらにも転載します。 2016年6月3日

「1905」番 あの2年前に突然、行方不明になったマレーシア航空機は、その後どうなったのか? 驚くべき事実が明らかになった。日本国内では初公開の情報である。 2016.5.21 副島隆彦  

「1903」【講演会】5月29日(日)の学問道場主催『ドナルド・J・トランプの<アメリカ名物>ポピュリズム旋風と現在の国際政治・経済情勢を読み解く』(東京・御茶ノ水)を宣伝します。ポピュリズム政治家の分析では日本の第一人者である副島隆彦のトランプ論をご期待ください。2016年5月9日

「1901」 4月28日発売 新刊書のお知らせ 。 日銀・黒田は、自分たちのインフレ目標が遅々として進まないのを居直った。マイナス金利導入で分かった日銀の真の思惑。 副島隆彦新刊『マイナス金利「税」で凍りつく日本経済』(徳間書店)で、日銀の「隠された真意」の謎が明かされた。 2016年4月28日

「1899」【2016年定例会のお知らせ】 5月29日に今年第一回目の学問道場の定例会を開催します。テーマは「アメリカ大統領選挙と最新の国際政治・経済情勢」です。ドナルド・トランプ旋風の原動力 “ポピュリズム”と”アメリカファースト!”とは何か、改めてじっくり語ります2016年4月20日

「1896」 副島隆彦先生の新著『日本が中国の属国にさせられる日』(ベストセラーズ社)が発刊。日本が中国の影響下に呑み込まれるとき、私たちはどのような態度をとるべきか。20世紀の右翼・左翼の両翼思想のタブーを、反権力の思想家である副島隆彦が抉り出す大著です。2016年3月28日

「1894」米大統領選挙、共和党はトランプが躍進し、民主党はヒラリーが候補を指名獲得し、二者の対決になりそうだ。2016年3月18日

「1891」 新刊のご案内『世界連鎖暴落はなぜ再発したか』(祥伝社)のご案内です。海外の金融メディアは軒並み、「黒田は弾切れ」(Kuroda's Bazooka is out of ammunition)と言い始めています。2016年3月2日

「1588」副島隆彦著作、その他の「学問道場」関連書籍を期間限定で割引販売します。この機会に是非ご利用ください。2016年2月21日

「1584」 ドナルド・トランプはどこで失速するか。急浮上してきたマルコ・ルビオ上院議員とはどういう背景を持つ政治家か。2016年アメリカ大統領選挙の予備選挙について。2016年2月4日

「1581」 『BIS(ビーアイエス)国際決済銀行 隠された歴史』(アダム・レボー著、副島隆彦監訳、古村治彦訳、成甲書房、2016年)が発売になります。古村治彦記 2016年1月21日

「1579」 学問道場関連の新刊書籍二冊、『暗殺の近現代史』(洋泉社、中田安彦が参加)と、『天皇家の経済学』(同、吉田祐二・著)が発売されています。ぜひ、お求めください。2016年1月14日

「1577」「副島隆彦の学問道場」から 新年のご挨拶。2016.1.1 /1月3日加筆 「崩れゆくアメリカ」を見てきて。短期留学修了を受けての報告。 中田安彦 2016年1月3日

「1576」 『物理学者が解き明かす重大事件の真相』(下條竜夫著、ビジネス社、2016年1月9日)が発売となります。古村治彦記 2015年12月24日

「1574」 『信長はイエズス会に爆殺され、家康は摩り替えられた』(副島隆彦著、PHP研究所、2015年12月17日)が発売となります。古村治彦筆 2015年12月15日

「1572」番 今の世界の中心の課題である ロシアによる シリアのIS爆撃、殲滅は、プーチンによる「ロシアから愛をこめて」である。最新の映画「OO7/ スペクター」の中にこれからの世界の動きの秘密が隠されている。 副島隆彦 2015・12・9 

「1569」 ダニエル・シュルマン著、古村治彦訳『アメリカの真の支配者 コーク一族』(講談社、2015年)が2015年12月8日に発売になります。 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆 2015年11月30日

「1566」 宗教改革の始まりにおいてルターとローマ法王はどういう言葉の応酬をしたか 2015年11月13日

「1563」 『再発する世界連鎖暴落 貧困に沈む日本』(副島隆彦著、祥伝社、2015年10月30日)が発売となります。古村治彦筆 2015年10月29日

「1560」番  今のアメリカ政治の真の焦点である、「ベンガジ事件」での下院の特別委員会を、ヒラリーはなんとか 乗り切る。そして、シリアでのサリン爆弾の真犯人たちのこと。 2015.10.15 副島隆彦  緊急で冒頭加筆します。 10月16日 副島隆彦  

「1557」 安倍晋三は国民がどれだけ「鈍感」かを試して喜んでいる。気付いている敏感な国民とそうではない国民に二極化している。2015年9月25日

「1555」 昨日、2015年9月14日に国会議事堂前で行われた安保法制反対抗議デモに行ってきました 古村治彦(ふるむらはるひこ)筆2015年9月15日

「1552」 学問道場の定例会DVD『副島隆彦が、今の重要なことを洗いざらい語ります』(2015年5月31日開催、約330分)の予約受付を始めました。ご案内が大変遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。2015年8月25日

「1551」番 栗原康 (くりはらやすし)著 『現代暴力論』 という新刊書 がすばらしいので、私が書評して強く推薦します。 副島隆彦  2015年8月25日 

「1548」 好評連載企画:「思想対立が起こした福島原発事故」 相田英男(あいだひでお) 第3章 福島事故のトリガーがひかれた日(2) 2015年8月13日

「1547」好評連載企画:「思想対立が起こした福島原発事故」 相田英男(あいだひでお) 第3章 福島事故のトリガーがひかれた日(1) ※会員ページに掲載したものを再掲 2015年8月10日

「1544」 副島隆彦先生の新刊・中国研究本の第7弾! 『中国、アラブ、欧州が手を結び ユーラシアの時代 が勃興する』 が先週末に発売。ロンドン金(きん)の値決めに中国の二大民間銀行が参加、人民元決済圏の拡大 から 南沙諸島問題も含めてユーラシア大陸の時代 を余すところなく分析。2015年7月26日

「1542」番 戦後七十周年企画  なぜ日本は戦争に向かわされたのか(1)   日本共産党の戦前最後の委員長 野呂栄太郎(のろえいたろう)の命がけの闘いから昭和史の真実が見えてくる。 津谷侑太(つやゆうた)2015年7月13日

「1539」番  俳優 高倉健(たかくらけん)の生き方 と死に方について考えたこと。 副島隆彦 2015.6.27(転載)

「1536」現下の政治状況を勢力分析する。大阪都構想の住民投票に現れた、若い世代のファシズムへの欲求。それを支える橋下徹・菅義偉の背後にある勢力とは。安倍・菅の野党分断の動きに対し、維新の党の執行部をおさえた旧小沢グループが巻き返しにでている。2015年6月11日

「1535」 佐藤優氏との対談本、『崩れゆく世界 生き延びる知恵』(日本文芸社)が刊行されました。「発売後、即重版」で非常に好評です。副島理論を真っ向から佐藤氏が受け止めている重厚対談です。2015年6月6日

「1532」番  来たる 6月7日(日)に 横須賀市で私の講演があります。 いらしてください。「軍港 横須賀の150年の歴史」にちなんだ話をします。 副島隆彦 2015年5月27日日

「1529」5月31日に都内で開催する、学問道場自力主催講演会の具体的な講演内容が固まってきまたのでお知らせします。参加者はまだまだ大募集中です。ぜひおいでください。2015年5月11日

「1526」 副島隆彦の最新金融本、『「熱狂なき株高」で踊らされる日本』(徳間書店)が発売されました。第5章、アベノミクス金融緩和など金融政策の理論的支柱となっている「合理的期待(予測)形成学派」の正体を暴いたところが非常に学問的には重要な本です。2015年4月27日

「1523」来る5月31日に講演会『副島隆彦が、今の重要な事を洗いざらい語ります』を開催いたします 2015.4.16

「1520」 AIIB「アジアインフラ投資銀行」の設立をめぐるゴタゴタの真相を載せます。 副島隆彦 2015年4月1日 (重たい掲示板から転載)

「1517」 新刊2冊『余剰の時代』(ベスト新書)と『日本に恐ろしい大きな戦争(ラージ・ウォー)が迫り来る』(講談社)が発売されます。生き延びるための政治思想とアメリカ政治本です。2015年3月13日

「1515」 「思想対立が起こした福島原発事故」相田英男 第2章 「札束で引っぱたかれた科学者達」をシリーズで短期連載します。(第2回)2015年3月5日

「1514」「思想対立が起こした福島原発事故」相田英男 第2章 「札束で引っぱたかれた科学者達」をシリーズで短期連載します。(第1回)2015年2月25日

「1511」カナダの政治。カナダの歴代首相を、隣国の大国アメリカとの「帝国-属国」関係において明快に解説します。2015.2.7

「1508」 新刊本二冊を紹介します。『副島隆彦の政治映画評論 ヨーロッパ映画編』(ビジネス社)と、先生が巻頭文を書いた吉本隆明(よしもとりゅうめい)の評論集『「反原発」異論』(論創社)の二冊です。 2015年1月26日

「1505」 中田安彦です。私の新刊『ネット世論が日本を滅ぼす』(ベスト新書)が発刊されました。数年間「ネット世論」に密着して観察して学んだ結果を一冊の本にまとめました。ネット言論の理想主義はなぜ次々と自滅していくのか?その答えを知りたい人はぜひお読みください。2015年1月12日  

「1501」番 「副島隆彦の学問道場」から 新年のご挨拶。2015.1.1 続けて 「1503」番として、「1495」番の谷崎潤一郎論の第3部(終章)を載せます。副島隆彦 記

「1500」最新講演DVD『2015年、世界は平和か戦争への岐路に立っている』が完成しました。ぜひ御覧ください。2014.12.25

「1497」オーストラリアの歴代首相について。 日本人が知らない、オーストラリア政治の基本骨格を副島隆彦が分かり易く解説します。2014.12.17

「1496」番 俳優の菅原文太氏が亡くなった。 「1194」番会員ページ に載せた副島隆彦との対談を再掲します。 2014.12.13

「1493」 自力主催講演会「2015年、世界は平和か戦争への岐路に立っている」(2014.11.16)のアンケートの回答結果を掲載します。2014.12.4

 「1491」番 ノーベル物理学賞受賞の中村修ニが、なぜ重要であるのか、の本当の理由。10年前のここの、私たちの文を再掲載する。副島隆彦 2014.11.22 

「1487」 『官製相場の暴落が始まる――相場操縦しか脳がない米、欧、日 経済』(副島隆彦・著、祥伝社)発刊のお知らせ。「まえがき」と「あとがき」を掲載します。 2014.10.26

「1485」書評:アメリカの著名ユダヤ人小説家、フィリップ・ロスの小説「プロット・アゲンスト・アメリカ」(集英社)/架空歴史小説を手がかりに「アメリカ国内優先主義」(アメリカ・ファースト)の美名を表と裏で使い分けた米財界人の冷酷な世界戦略が見えてきた (その1) 2014年10月14日

「1481」 来る11月16日に都内・上野で「政治・国際情勢・経済」についての時局講演会を開催します。聴講希望者を現在募集中です!2014年9月29日

「1479」 『英語国民の頭の中の研究』(副島隆彦・著、PHP研究所)発刊のお知らせ。大幅に加筆修正が加えられています。「まえがき」 と 「あとがき」 を掲載します。 2014.9.22

「1476」番   文学とは何か の 2 。 日本文学とは何か 論。 を 載せます。 副島隆彦 2014.9.6

「1472」 『日本の歴史を貫く柱』(副島隆彦・著、PHP文庫) が8/4から発刊されています。「まえがき」 と 「あとがき」 を掲載します。 2014.8.27

「1470」 夏休み特集。アルチュール・ランボー論。パリ・コミューンという政治的事件を書き残そうとした文学について。2014.8.16

「1466」 お知らせ:『税金官僚に痛めつけられた有名人たち』(副島隆彦・著、光文社刊)が8/1に発刊されます。「まえがき」と「あとがき」を掲載します。2014.7.24

 「1460」 7月1日に、SNSI論文集第7弾『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』が出ます。従来の教科書や歴史書では描かれない明治期以降の日本真実の姿を描き出しました。2014年6月25日

「1456」番  村岡素(もと)一郎 著 『史疑(しぎ) 徳川家康事績』(1902年刊)についての 松永知彦氏の長文の歴史論文を載せます。 2014年6月10日 

「1454」 【今読み返す副島本】 米同時多発テロ事件前に発表された、副島隆彦の「集団的自衛権」論をそのまま転載します。 今こそ読み返してほしいと思います。 2014年6月3日

「1451」【中国を理解する】『野望の中国近現代史 帝国は復活する』(ビジネス社・刊)(原題:Wealth And Power:China's Long March to the Twenty-First Century)という本を紹介します。中国の近現代史を正しく理解しなければ、日本は中国の台頭に向き合うことは出来ない。2014年5月25日

「1448」番  私が、今やっている仕事、考えていること、書くべき文章のことなどを、まとめて報告します。 副島隆彦  2014.5.11 

「1443」最新講演DVD『キャロライン・ケネディと安倍晋三』が完成しました。このDVDで米オバマ政権と安倍政権の暗闘の実態が分かります。現在の日本政財界に影響を与えるハーヴァード大学人脈についても解説。ぜひ御覧ください。2014年4月16日

「1441」 副島隆彦先生の最新金融本『金融市場を操られる 絶望国家・日本』(徳間書店・刊)が発売されます。日本は、アベノミクスに浮かれて「成長国家」どころか、「貧乏国家」となってしまった。この現実から逃れることが出来ない。世界の金融も統制されている。2014年4月5日

「1436」 後藤新平―日本の「セシル・ローズ」論(全4回/第1回) 中田安彦・記 2014年3月16日

「1433」『靖国問題と中国包囲網』(副島隆彦・著、ビジネス社刊)が3/7に発刊されます。「まえがき」と「あとがき」を掲載します。2014.2.27

「1429」 【寄稿・偉人伝の裏側を見破る】 自由民権運動の父・板垣退助はフリーメイソンだった!~伊藤博文のフリーメイソンネットワークに加入した板垣退助~津谷侑太(つやゆうた)筆 2014年2月5日

「1426」古村治彦研究員の新刊『ハーヴァード大学の秘密』(PHP研究所)の紹介と、その出版記念を兼ねた「囲む会」主催の2014年初めての主催定例会『キャロライン・ケネディ駐日大使着任が日本政治中枢に与えている衝撃』(仮題)のお申込みのご案内を致します。2014年1月21日

「1423」 明治期の慶応義塾で 最先端の学問を教えたのは ユニテリアン(フリーメイソンリー)だった 石井利明(いしいとしあき)研究員 2014年1月11日

「1421」TPP交渉と平行して、水面下で進む「民法改正」の動き。大新聞は連帯保証人(個人保証)制度の改正部分だけをクローズアップするが、実際はこの民法改正はアメリカによる日本社会改造計画の一つである。2013年12月29日

「1418」孫崎享・副島隆彦講演ビデオ『外務省の正体』のご予約を承ります。日本の国家の行く末を大きく左右する外務省(MOFA)の内部と歴史はどうなっているのか、必見の講演です。2013.12.10

「1414」新刊『説得する文章力』(KKベストセラーズ)と『闇に葬られた歴史』(PHP研究所)をご案内します。2013.11.27

「1411」副島隆彦新刊金融本『帝国の逆襲―金とドル 最後の戦い Empire Strikes Back, Again.』(祥伝社)が発売されました。今年前半から中盤の主な金融ニュース(TPP、シェールガス、金価格の急落についても)を副島隆彦独自視点で分析しています。2013年11月16日

「1409」 腰痛(ようつう)と首、肩の痛みは治るようである。 「トリガーポイント・ブロック注射」という治療法を紹介する。 副島隆彦記 2013年11月6日

「1406」新刊『税金官僚から 逃がせ隠せ個人資産』(2013年10月、幻冬舎刊)発刊のお知らせ。官僚たちはいかにして資産家からお金を奪い取ろうとしているか。「まえがき」と「あとがき」を掲載します。2013.10.18

「1404」【最新版】世界権力者人物図鑑 刊行が発売中です。2010年発刊の第一弾から全面リニューアルのデザイン・内容です。2013年9月30日

「1402」 来月、10月26日(土)開催予定の「囲む会」秋の定例会のお申し込み開始お知らせ。今回は元外務省元国際情報局長の孫崎享先生をお呼びして「過去現在未来の日本外交」を語りつくします。ご期待ください。2013年9月16日

「1399」鬼塚英昭(おにづかひであき)氏の『日本の本当の黒幕』(下)を読む。戦前の日本政治の闇を象徴する田中光顕(たなかみつあき)という怪物を知る。それは現在の日本政治を支配するヤクザたちを知ることでもある。2013年9月1日

「1396」 新刊『中国人の本性』の紹介。私たちはどれだけ中国の思想史について知っているだろうか? そこで副島先生が中国亡命知識人の歴史を中共からの亡命知識人である石平(せきへい)氏に徹底的に質問しました。夏のうちに是非読んで下さい。2013年8月8日

「1394」定例会完全収録のDVD『いい加減にしろ!マイケル・グリーン/恐ろしいヨーロッパの秘密―フランドルからフローレンスへ』が完成しました。2013.7.29

「1392」 参議院選挙が終わって、次の日本国民の課題に向かう。アベノミクスとはA-sset B-ubble E-conomy(資産バブル・エコノミー)のことである。金融緩和派の経済学者のおかしさを理路整然と暴いた野口悠紀雄氏を評価する 副島隆彦 2013年7月25日

「1389」参院選後、日本の各階層(金持ち・サラリーマン・貧乏人)への、安倍政権による国家統制が進む可能性がある。その兆しとして参院選初日に福島県の総理演説会で自民党職員らが行った、一般国民の「表現の自由」への取り締り行為の動画がある。決して貴方の一票は自民党には投票してはなりません。それから先日の講演会のアンケート結果を載せます。 中田安彦(アルルの男・ヒロシ) 2013年7月13日

「1387」 『統制が始まる 急いで金を買いなさい』(祥伝社・刊、2013年6月)の宣伝を載せます。2013.7.4

「1384」再度、6月29日の定例会のお知らせをします。タイトルが「いい加減にしろ!!マイケル・グリーン~米中“新秩序”に取り残される日本」になりました。米日関係その他の政治経済の話題に縦横無尽に切り込みます。2013年6月13日

「1381」 私たちの福島復興活動本部 を 閉じて 撤退式をします。6月23日です。時間のある人は福島の現地まで自力で来てください。 副島隆彦 2013年6月2日

「1379」先週土曜日の会員交流会開催後のお礼の報告と、次の6月29日の講演会のお知らせ。2013年5月20日

「1376」 最新DVD『ますます衰退国家にさせられる策略を見抜く』(2013年3月3日、講師:副島隆彦・藤森かよこ)と、新刊・映画本『アメリカ帝国の滅亡を予言する』(日本文芸社)頒布のお知らせ。お待たせしました!2013.5.4

「1375」黒田金融緩和と金価格急落、そしてBRICS開発銀行の設立。新しい秩序に向けて世界は動いている。副島先生の最近の「重たい掲示板」への書き込みをまとめて載せます。2013年4月20日

「1372」副島先生の新刊『浮かれバブル景気から衰退させられる日本』(徳間書店)ではTPP交渉とアベノミクスの欺瞞について詳しく紹介。今回も豊富な図表・資料付きです。また、新しい試みとして会員同士の交流会(会員交流会 自由におしゃべり)もまだ募集中です。講演会とは別の形で交流(情報交換)いたしましょう。2013年4月4日

「1370」 日米地位協定に続いて、日米原子力協定(1988年)を暴く。中曽根康弘の周辺の「原子力外務官僚」たちが、アメリカに抵抗するカードとして持ちだした「日本の核武装論」には全く意味が無い。六ケ所村の再処理工場を維持してきた日本原電は中曽根派の利権の巣窟であるからすぐに破綻させるべきだ。(苫米地英人『原発洗脳』(日本文芸社)と有馬哲夫『原発と原爆』(文春新書)を書評する。)(その1) 2013年3月27日

「1366」書評:前泊博盛・編著『本当は憲法より大切な 日米地位協定入門』(創元社)を読む。ジャパン・ハンドラーズと外務官僚が威張れるのも日米安保と地位協定があるからだ。2013年3月8日

「1363」新刊『それでも中国は巨大な成長を続ける』(ビジネス社)の刊行のお知らせ。アメリカでは、巨大な中国とどう付き合っていくかは熱心に議論されていても、中国崩壊論など真面目に受け取られていない。2013年2月18日

「1361」 副島隆彦を囲む会・定例会、第29回定例会・自力主催講演会『ますます衰退国家にさせられる策略を見抜く』(講師:副島隆彦・藤森かよこ、開催日:2013年3月3日、日曜日)開催のお知らせ。2013.2.8

「1358」 アダム・ヴァイスハウプト著 『秘密結社・イルミナティ 入会講座<初級篇>』(KKベストセラーズ)が発刊されました。ドイツ啓蒙主義から生まれた「イルミナティ」はフリーメーソンなど秘密結社のルールブックを制定した集団である。2013年1月21日

「1356」番。 年末からの2週間の「産みの苦しみ」のあとで、副島隆彦が全力で書きます。 「ヒラリーの終わり」論文です。 今年もよろしく。 2013年1月8日

「1354」 「副島隆彦の学問道場」から 新年のご挨拶。 2013.1.1

「1351」自民党・公明党・日本維新の会の圧勝と民主党勢力の壊滅大敗北を受けて、「個人の力量によるサバイバル」というものが必須になってくる。そのことを選挙の数カ月前に副島先生の新刊『個人備蓄の時代』(光文社)では予測していた。みなさんも早く手を打ったほうがいい。2012年12月17日

「1349」  選挙が始まっての 直近での動き を読む 副島隆彦・記 2012年12月7日

「1346」 副島隆彦・最新DVD『ミケランジェロ、メディチ家、ルネサンスの真実』(2012年11月3日、講師:副島隆彦・松尾雄治)頒布のお知らせ。「教科書」と本編DVDのお得なセットも、個数限定で実施します。2012.11.29

「1343」緊急情報:アメリカによって崖から突き落とされた野田政権。解散総選挙はアメリカからの司令で行われた。今回もジェラルド・カーティスが根回しをしている。2012年11月15日

「1340」橋下徹(はしもととおる)大阪市長や一部大阪市特別顧問による「週刊朝日」に対する“言論弾圧”問題について考える。言論の自由が死ぬときとは、デモクラシーが死ぬときである。2012年11月5日

「1337」尖閣問題について。橋下徹・大阪市長の言う「国際司法裁判所」における解決の提案を支持します。副島隆彦・記 2012.10.18

「1334」新刊を二冊紹介します。権力者共同謀議という合理的選択で概ね、歴史は動いてきたから、私たちは世界の支配層の行動原理、思想、そして企業活動に現れる彼らの「合利的」な動きを理解しなければならない。2012年10月1日

「1332」 副島隆彦を囲む会・定例会、第28回定例会・自力主催講演会『ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ダンテ、マキアベッリ、メディチ家、ルネサンスとは何だったか』(講師:副島隆彦・松尾雄治、開催日:2012年11月3日、土曜日)をご案内します。2012.9.25

「1330」SNSI・夏季研究報告から 「今こそ3分で読む小室直樹の『新戦争論』」六城雅敦(ろくじょうつねあつ)・記 2012年9月14日

「1327」共和党候補、ロムニーの安全保障政策を知る。最新刊『アメリカが作り上げた“素晴らしき”今の世界』(The World America Made)(ビジネス社刊)の紹介。古村治彦研究員の翻訳で刊行されています。2012年8月27日

「1324」  副島隆彦著の仏教論、『隠された歴史:そもそも仏教とは何ものか?』(PHP研究所)の読みどころを解説します。2012年8月12日

「1322」副島先生の仏教論の集大成『隠された歴史~そもそも仏教とは何ものか?』(PHP研究所)とロン・ポール米下院議員の『連邦準備銀行を廃止せよ(END THE FED)』(佐藤研一朗・訳、成甲書房)が発刊されました。 2012年7月29日

「1319」 副島先生の新刊本2冊。『ロスチャイルド200年の栄光と挫折』(日本文芸社)と石平(せきへい)氏とのケンカ対談『中国 崩壊か 繁栄か!? 殴り合い激論』(李白社)が発刊されました。世界の実像を知るのにおすすめの2冊です。 2012年7月19日

「1317」 副島隆彦・最新DVD『橋下徹の登場 と 政治思想の歴史』(2012年6月2日、講師:副島隆彦・中田安彦・須藤喜直)/最新刊『国家は「有罪(えんざい)」をこうして創る』(副島隆彦・植草一秀・高橋博彦・著、祥伝社刊)ラインナップ追加のお知らせ。2012.7.8

「1314」 「増税談合勢力」 の 野合(やごう)の増税に反対する。2012年6月25日

「1312」 第27回副島隆彦を囲む会主催定例会『橋下徹の登場と政治思想の歴史』に来場された会員の皆様のご意見をご報告します。 2012年6月19日

「1310」 ロマノ・ヴルピッタ『ムッソリーニ』を読む。現在の日本で重要な意味をもつ「ファシズム」とは何かを再考する 2012年6月4日

「1306」 爆弾のような破壊力を持った一冊!! 古村治彦著『アメリカ政治の秘密』(PHP研究所)を強力に推薦する。2012年5月13日

「1304」 副島隆彦を囲む会・定例会、第27回自力主催講演会(講師:副島隆彦・中田安彦・須藤喜直、開催日:2012年6月2日、土曜日)をご案内します。演題は『橋下徹の登場 と 政治思想の歴史』と決定しました!※金融・経済のお話はありません。2012.5.6

「1301」 新作DVD『今、世界経済がどう変質しつつあるか』(2012年3月24日、講師:副島隆彦・古村治彦)のアンケートの結果を掲載します。2012.4.25

「1300」 新作DVD『今、世界経済がどう変質しつつあるか』(2012年3月24日、講師:副島隆彦・古村治彦)/『欧米日 やらせの景気回復』(副島隆彦・著、徳間書店刊)のお知らせ。2012.4.19

「1296」橋下首相を誕生させようと目論む、関西財界ネットワークの正体とは 2012年4月3日

「1294」アメリカの共和党予備選で公然と囁かれる不正投票の横行。スーパチューズデーを終えて共和党予備選挙の様子、大統領選挙予備選挙・党員集会の複雑な仕組み、衝撃的な内部事情を現地から緊急報告します。 2012年3月24日 佐藤研一朗・筆

「1292」 (1) 4月28日(土)~30日(月)の「福島原発・難民キャンプツアー」のお知らせ。/(2) 6月2日(土)の「政治思想・日本政治の歴史(1960年代からこっち)講演会」のご案内。/(3) SNSI研究員・崎谷博征(さきたにひろゆき)氏の新刊『医療ビジネスの闇』(学研パブリッシング。2012/2/28刊)が出ました。2012.3.13

「1289」 (1) 3月24日(土)の「学問道場」定例会『今、世界経済がどう変質しつつあるか』(副島隆彦)の再度のお知らせ。/(2) 対談CD『日中殴り合い対談』(石平、副島隆彦。李白社)をご紹介します。2012.3.6

「1288」 日本は、「新・知日派」の台頭でも基地移設問題でアメリカの要求に屈服してはいけない 2012年3月2日

「1285」 「小沢一郎・陸山会裁判」の急展開。小沢一郎側が勝利しそうである。「ぼやき・会員ページ 1284」に掲載された文章の後半部分を、こちらにも転載します。2012.2.19

「1283」 まんが家・イラストレーターのぼうごなつこさんによる、政治漫画「小沢一郎・陸山会事件説明まんが お天道様がみてる」を掲載します。2012.2.10

「1280」 本年度初の副島隆彦を囲む会・定例会、第26回自力主催講演会(講師:副島隆彦先生・古村治彦研究員、開催日:2012年3月24日)をご案内します。2012.1.30

「1278」書評『父・金正日と私』(五味洋治・著)と『後継者・金正恩』(李永鐘・著)を読む。北朝鮮は改革開放に乗り出せるのか。“属国論”の観点で北朝鮮の対中外交を整理する。2012年1月23日

「1276」 新刊『中国は世界恐慌を乗り越える』(ビジネス社)と『衰退する帝国・アメリカ権力者図鑑』(日本文芸社)が発売されました。中国の発展の姿は100年前のアメリカ帝国そのものである。2012年1月10日

「1273」 「副島隆彦の学問道場」から 新年のご挨拶。 2012.1.1  下に加筆します。1月5日です。副島隆彦です。


「1470」 夏休み特集。アルチュール・ランボー論。パリ・コミューンという政治的事件を書き残そうとした文学について。2014.8.16
副島隆彦です。今日は2014年の8月16日です。

 これから2回連続で、文学とは何かという話をします。大学の文学部、というのは一体、何を勉強するところか、という話から話します。

 今どき大学の文学部なんかに行くやつは、アホに決まっている。昔は女の子が、花嫁修業で嫁入り道具で、「英文学科卒」とか「フランス文学科卒」というのを持っていた。しかし、そんなものはもう消えてしまって、フランス語やドイツ語なんか勉強する人はほとんどいなくなりました。大学の英文科ですら滅んでしまった状況です。嫁入り道具にならない。

文学部に行くということ自体が、この20年ぐらいで非常に何だかわけのわからない状況になりました。昔は、文学部に行く、というのは立派なことだった。40年ぐらい前までは。今はそんなことありません。それじゃあ、法学部や経済学部が、文科系では偉いのか、というと、そういう話ではない。とりあえず大きく、文学とは何かということを私、副島隆彦が話します。

 簡単に言うと、大学の文学部の教授というのは、「文学者」と勝手に名乗るけども、「じゃあ、小説を書けるんですか?」といったら、書けない。「小説家として有名になったんですか?」というと、なってない。ほとんどは、文芸作家ではない。作家を兼ねている、という人もいるけど、大したことはありません。

 小説家、文芸家、文士(ぶんし)というのは、全く別の種類の人間たちです。世の中で大きくウケて、ベストセラー作家になる、という小説家たちは今もいますが、これは大学の文学部の教授たちとは別物だ。

 ただ、一言、「歴史学研究」というのと「諸外国の言語の研究」というのはある。世界中のいろんな言語の研究をする。こういうのは、やはり細かい、緻密な作業です。あと古い文書、古い歴史資料をたくさん読まなきゃいけない。そういことをするうのが「文学部」というところで「教授」という名前で、たくさん巣くっているわけです。それだけのことだ、とまず言っておきます。そんなことは当たり前のことだけれど、誰も言わないから。

 文学部の中でもフランス文学というのが、恐らく一番威張っていた。「じゃあ、フランス文学って何なんだよ」ということになります。あとロシア文学というのがあって、これはもう、トルストイとドストエフスキーを頂点とする、19世紀までのすばらしいロシアの小説家たちの世界のことだ。ドイツ文学や、ドイツ思想の話は、今日はしません。

「フランス文学って何なんだよ」といったら、ランボーという詩人に顕(あらわ)れるんです。アルチュール・ランボー(Jean Nicolas Arthur Rimbaud、1854年~1891年)の名前ぐらいはああ、詩人だね、と皆、知ってる。しかし、何のことだか、もう今では全く忘れ去られている。

・アルチュール・ランボー(1872年。17歳のときの肖像)


 ランボーという男は、37歳で死んでいる。彼がどういう男か、またそれがその当時のヨーロッパの政治状況とどうかかわったか、という話をしていく。

「政治と文学」という言葉が、日本の知識人業界、出版業界に昔からある。「政治と文学」と言うと、何か格好がつく、立派なコトバだった。政治評論というのも、新聞記者の政治部あがりで、政治家たちとつき合ってる、新聞記者上がりの人たちだけが政治評論家になっていった。

 いわゆる保守派でも左翼でも、政治評論家というのは、なかなか簡単には職業としては成り立たない。しかし、たくさんいた。最近はどんどん減っています。商売にならない。それは、今は、経済評論家、金融評論家、というのが商売にならなくなっていて、急激に本が売れなくなってるという現実がある。これが2014年の現実ですから、それと似ている。

 では、フランス文学の最大の花であるところのランボーというのは何者か。彼は、15歳から詩を書き始めて、19歳でもう書くのをやめました。最後の19歳のときに書いたと言われてる小説は、火の中にくべてしまって、『地獄の季節』というんですけど、残っていません。1873年です。 その後、ランボーは商人になって、北アフリカのあたりをあっちこっち行くようになった。15歳というのは、皆さんも考えてみればわかると思いますが、相当早熟です。

 ランボーの作品の中で一番有名なのは、恐らく『酔いどれ船』(酩酊船)という詩だと思う。じゃあこれを、読んで知っているのか、というと、誰も知らない。世界一有名なフランス詩人の詩の中身を誰も知らないし、何ことだかわからない。

以下に『酔いどれ船』(酔っぱらいの船)の全文を載せる。

これを翻訳した詩人の金子光晴(かねこみつはる)の業績については、後のほうで話す。

(引用はじめ:「ランボー詩集」金子光晴・訳)

  酔っぱらいの舟

 ひろびろとして、なんの手ごたえもない大河を僕がくだっていったとき、
船曳(ふなび)きたちにひかれていたことも、いつしかおぼえなくなった。
罵(ののし)りわめく亜米利加インディアンたちが、その船曳きをつかまえて、
裸にし、彩色した柱に釘づけて、弓矢の的にした。

 フラマンの小麦や、イギリスの木綿をはこぶ僕にとっては
乗組員のことなど、なんのかかわりもないことだった。
船曳きたちの騒動がようやく遠ざかったあとで、
河は、はじめて僕のおもい通り、くだるがままに僕をつれ去った。

 ある冬のこと、沸き立つ潮のざわめきのまっただなかに、
あかん坊の頭脳のように思慮分別もわかず、僕は、ただ酔うた。
纜(ともづな)を解いて追ってくるどの半島も、
これ以上勝ちほこった混乱をおぼえたことはなかった。

 嵐が、僕の海のうえのめざめを祝(ことほい)だ。
犠牲(いけにえ)をはてしもしらずまろばす波浪にもてあそばれ、
キルク栓よりもかるがると、僕はおどった。
十夜つづけて、船尾(とも)の檣燈(ともしび)のうるんだ眼をなつかしむひまもなく。

 子供らが丸齧(かじ)りする青林檎よりも新鮮な海水は、
船板の樅(もみ)材にしみとおり、
僕らの酒じみや、嘔吐(おうと)を洗いそそぎ、
小錨や、舵を、もぎとっていった。

 その時以来、僕は、空の星々をとかしこんだ乳のような、
海の詩に身も溺れこみ、むさぼるように、淵(ふち)の碧瑠璃(へきるり)を
ながめていると、血の気も失せて、騒ぐ吃水線近く、時には、
ものおもわしげな水死人の沈んでゆくのを見た。

 蒼茫(そうぼう)たる海上は、見ているうちに、
アルコールよりも強烈に、竪琴の事よりもおおらかに、金紅色に染め出され、
その拍節と、熱狂とが、
愛執のにがい焦色をかもし出す。

 僕は知った。引っ裂かれた稲妻の天を、竜巻を。
よせ返す波と、走る射水(いみず)を。
夕暮れを、また、青鳩の群れのように胸ふくらませる曙を。
時にはまた、あるとは信じられないものを、この眼が見た。

 菫色(すみれいろ)に凝(こ)る雲々の峰を輝かせて、
神秘な怖れを身に浴びた落日や、
ギリシア古劇の悲劇俳優たちのように、
はるかに、裾襞(すそひだ)をふるわせて、舞台をめぐる立つ波を僕は見た。

 目もくらむ光の雪と降る良夜。
ものやさしくも、海の睫(まぶた)をふさぐ接吻(くちづけ)や、
水液のわき立ちかえるありさまや、
唄いつれる夜行虫の大群が、黄に青に変わるのを夢に見た。

 それから、まる幾月も、僕は、ヒステリックな牛舎さながら、
暗礁に突っかける大波のあとを追う。
聖マリヤのまばゆい御足が、あばれまわる大洋の、
鼻づらを曲げて飼い馴らしたもうことも忘れはて。

 漂着したそこは、この世にあるとも信ぜられないフロリダ州。
知っているかい? あそここそは、
はるか水平線のした、青緑に群れなす波の背の、手づなとかかる虹の水しぶきが、
人々の肌や、豹(ひょう)の眼の花々といりまじるところ。

 怪物レビアタンの群れが燈心草のあいだ腐臭を放つ大簗(やなぐい)の
瘴癘(しょうれい)の泥海もながめて過ぎ、
大凪(おおなぎ)の中心で逆流する水が
はては、瀑布となって、深淵にきって落とされるのも見た。

 氷河、銀の太陽、真珠色の波、燠(おき)のような、かじかんだ陽ざし。
とごった入り江の奥ふかくに、ばらばらにこわれた坐礁船。
床虫に喰いちらされた大蛇どもが、陰惨な、へんな臭気を放って、
よじれ曲がった木の股からこ墜っこちてくるところ。

 この金色の魚、歌いながら青波をくぐってあそぶ真鯛(まだい)の群れを、
ふるさとの子供たちに見せてやりたいな。
花と咲く波の泡は、僕の漂流を祝福し、
えもいわれぬ涼風に乗って僕は、飛びたくなった、羽がほしくなった。

 時にはまた、両極や、赤道地帯を、殉教者のように倦みつかれて、海は、
すすり泣きで、やさしく僕をゆすぶる。
一日の血を吸い取った吸い玉のように黄色い夕陽が、萎(しお)れ衰えてゆくとき、
僕は、小娘のようにじっとひざまずく……。

 そのとき、黄金(きん)の眼をした誹謗者、島に巣食う海鳥の群れが、
舷(ふなばた)を訪れ、喧噪(けんそう)と糞(ふん)を上からふらす。
もろい細索(ほそづな)を越えて航海に疲れたものらが、永遠のやすらいをとりに入水する時刻、
僕らは、侘(わび)しくもまた、舟旅をつづける。

 だが内湾の藻草の髪にからまれて、ゆくえもしらずなったとき、
颶風(ぐふう)の腕にさらわれて、鳥もおられぬエーテルに、この身が投げすてられたときは、
巡海船も、ハンザの帆船も、
酔いどれた水のあくどい愛撫から救い出してくれるあてがない。

 おもうがままに煙をふかしつつ、うす紫の霧靄(きりもや)に乗り、
赤ちゃけた空を、壁のようにくりぬいてすすむ僕。
よい詩人にとっては、無上の糖菓(ジャム)。
太陽のかさぶたや、空の洟汁(はなじる)を身につけてる僕。

 火花と閃(ひら)めく衛星どもを伴い、黒々とした海馬に護(まも)られて、
革命月の七月が、燃ゆる漏斗の紺碧ふかい晴天を
丸太ん棒でたたきこわした豪雨のなか、
一枚の板子のようにおろかにも、翻弄されてゆられる僕。

 五十海里のむこう、発情した海のベヘモとくらい渦潮とが
抱きあってうめき叫ぶのをきいて身の毛もよだった僕。
どこまで行っても青い海を手繰(たぐ)りながら、ゆきつくあてをもたぬ僕は、
古い胸壁めぐらしたヨーロッパをつねになつかしんだ。

 僕は見た。空にふりまかれた星の群島を!
有頂天な空が、航海者たちをまねいているその島々を。
百万の黄金(きん)の鳥よ。未来の力よ。この底ふかい夜のいずくに、
おお。どこに、おまえは眠っているか。どこにかくれているか?

 正直言えば、僕には、かなしいことがたくさんすぎた。夜明けになるごとに、この胸ははり裂ける。
月の光はいやらしく、日の光は、にがにがしい。
この身を噛みとる愛情は、ただ、喪失したような麻酔で、僕を脹(ふくら)ませるだけだ。
おお。僕の竜骨よ。めりめりと砕けよ! おお、この身よ。海にさらわれてしまえ!

 どれほどヨーロッパの海をなつかしんでみても、
匂わしい薄暮のころ、子供がひざまずいて、憂わしげな様子をして、
五月の蝶の羽のように、こわれやすい玩具の帆舟を放つ
くらい、冷たい、森の潴(たま)り水に、それはすぎないのだ。

 おお、波よ! その倦怠をこの身に浴びてからは、
木綿をはこぶ荷舟の船脚をさまたげることも興がなく、
旗や、焔(ほのお)の誇りと張りあうのも、
門橋の怖ろしい眼をくぐって泳ぎつき、巨利をむさぼることも、僕にはできなくなった。

(引用おわり:「ランボー詩集」金子光晴・訳)

副島隆彦です。
以上が、アルチュール・ランボーの『酔いどれ船』(酔っぱらいの船)の全文です。
これが、文学、というものです。 これらの文字とコトバを味合うことだ。

 この人の他にフランス詩人で有名なのは誰かというと、(シャルル・)ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire、1821年~1867年)がいます。あと(ポール・)ヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine、1844年~1896年)がいます。ヴェルレーヌは、「(パリの)都に雨の降る如く、私がこころにも雨が降る・・・・」
と書いた。彼らが頂点です。ランボーも、彼らと同時代の人です。会って、つきあっている。

・シャルル・ボードレール


・ポール・ヴェルレーヌ


 ランボーはパリの北のほう、ベルギーに近いアルデンヌ地方の、シャルルヴィルという町で生まれました。父親は職業軍人だった。お母さんは、真面目な人だったんでしょうが、5人の子供を産んだけれども別居して、実家に帰った。

10歳ぐらいで、シャルルヴィル高等中学校で飛び級をするぐらい、ランボーは言葉ができた。作文とか、すらすらと教師たちもびっくりするぐらいのすばらしいのを書いた。そうするともう時代が ―― 彼が生まれたのは1854年です。

 彼が15歳のときが1870年ですが、フランスは普仏戦争(ふふつせんそう、1870年~1871年)という戦争をした。これは「普」はプロシアで、プロイセン(王国)のヴィルヘルム3世(Friedrich Wilhelm III.、1770年~1840年)という皇帝がいて、横にビスマルク(Otto Eduard Leopold Furst von Bismarck-Schonhausen、1815年~1898年)という宰相(チャンセラー)がいてものすごく強かった。フランス側は、このとき、ルイ・ボナパルトと言いますが、ナポレオン3世(Napoleon III、1808年~1873年)とも名乗った、勝手に皇帝と名乗った男です。これはナポレオン1世の甥っ子だということを看板にして、20年間、フランスの政治を握った男です。こいつがこの普仏戦争でぼろ負けに負けます、たった数カ月で。捕虜になってしまう。

 そして、すでにヨーロッパ一の大都会であり、最もすばらしく華やかで豪華絢爛であったパリは、包囲されるんです。132日包囲されて敗北する。パリの郊外の、ロスチャイルドが持っていたすばらしい豪華な、お屋敷というか、もうお屋敷なんてものではない、お城級のすばらしい館で、ピース・トークスと言いますが、講和条約の話し合いが持たれた。

 そしてルイ・ボナパルトは失脚します。そのときにパリ市内で暴動が起きる。貧しい不満分子mal-contents たちが暴動を起こすんです。それもただ単に略奪してお店とかを襲撃するのでなくて、何万人かでパリの主要な街路のほとんど全てにバリケードをつくる。そこらじゅうの荷馬車とかをひっくり返したり、家具とか建物を壊してれんがをずっと積み上げてバリケードをつくって、軍隊や警察と市街戦を始めたわけです。

 フランス政府はもうプロシア軍に負けているから軍隊もぼろぼろで、パリで労働者と呼ばれるような人たちが暴れ出したのを、とめられなかった。それがパリ・コミューン(la Commune de Paris 1871)と呼ばれる革命です。1871年の3月18日に始まって、2カ月後の5月28日には鎮圧されて、崩壊しています。そのとき恐らく600人ぐらいの、パリ・コミューンと呼ばれる、立派そうに言えば、彼らは自治政府設立を宣言したのですが、保守派の体制派の人たちから見れば、ただの反乱、民衆暴動です。

 これは、その前のフランス大革命(Le Grande Revolution de la Francaise )、これが1789年から92年までですが、ここから数えて79年目です。つまりフランス大革命から80年もたってる。それがパリ・コミューンです。
 
 この暴動があったさなかに、15歳だったランボーは自分で歩いてパリまでいくんです。だいたい200キロぐらいあったのですけれども、パリまで一生懸命、少年が出かけていく。早熟で多感で感覚がすぐれた人間というのは、大きな、大騒ぎがあると、必ずそこへ寄っていくものです。

 私、副島隆彦もそういう人間ですから、この16歳のころというのは日本でいえば高校1年生ですが、そのころ大体、世界とはどういうふうになっているというのが、私にはもうわかっていました。私が高校1年のころが1970年で、東京あたりで学生運動というのがあって、ベトナム反戦運動の世界的な動きと一緒で、それにつられて日本でも全国のほとんど全ての大学で活動家というのが生まれて、わあわあ大騒ぎをやっていました。

 大学闘争とも学園紛争とも言いますが、過激派の学生たち、一つの大学あたりで数百人だから、全体から見れば一部の学生たちが暴れていた、というだけのことですが、日本全体で見れば、数万人の学生が騒いだ。そういう運動があった。そのときに私は、大体もう世界というのはどういうふうになってるというのがわかりました。だから、私はランボーの脳の中というのがよくわかる。 大体16歳のときにずば抜けてすぐれた人間たちというのは、もう世界を理解してしまうんです。

 私は、高校2年で中退して、東京やら京都やらの学生運動を見て回りました。知り合った大学生の活動家たちと、全国の、その当時の 光害反対運動や、原子力発電所建設反対運動を見に行ったというか現地の活動に参加していました。実情は浮浪者のようなものです。 今は、原発(げんぱつ)なんか、ちっとも危険ではない。危険だ、危ない、と言って、世界民衆を恐怖に陥れて、それで、反対運動とかをさせることで、上手に、権力者たちがあやつる道具にしているのだ、と見抜いっています。 私の、この普通を超絶した考えは、今は、まだなかなか理解されないでしょう。 核廃棄物の処理が大変だ、というものウソだ、すべては洗脳だ、恐怖による民衆支配だと、私は、自分のずば抜けた頭で理解しています。 頭の悪い人間たちは、どうせ、歴史の藻屑(もくず)となって消えてゆく。 

 それでランボーは、パリに行って、浮浪者取り締まりで捕まって、浮浪者をためておく施設、拘置所みたいなところにいて、釈放されて故郷に連れ戻される。それが1870年の9月27日でした。

 ところが、また10月には、今度は反対方向のベルギーのブリュッセルに行っています。そのときに、詩を三つ書いている。まだ16歳になっていません。詩を三つ書いて、その詩はあんまり知られてないけれども、タイトルを言うと。これは『ランボー詩集』の中の「拾遺」という、後で拾い集められた詩の中にある「太陽と肉体」「オフェリヤ」という詩です。もう一つは一番最初に書いた「Sensation」、フランス語ならサンサシオン、「神の啓示」という意味で、そういう三つです。これをランボーは当時、既にパリで有名だった詩人の文学者に手紙で送る。そして認められた。

 『パルナシアン』という、文学月刊誌みたいな雑誌に載った。それでちょっと注目された。ところがその当時のパリは、敗戦して、暴動を起こして大騒ぎしてるような状況ですから、何でそんな詩集や文学雑誌が出せるのかとも思うけれども、世の中は、大きいからそういうものなんです。

 そして、次の年の2月に、つまり1871年の2月に、ランボーはまたパリに出てきてます。この大暴動のさなかで、3月18日から労働者権力というのが成り立って、これがパリ・コミューンと呼ばれる自治政府です。このあと、たった2カ月で潰されましたが。

 だから、このころちょうどパリでウロウロしてたはずです。飲まず食わずでさまよっていたでしょう。それでも時代の大事件の目撃者だ。それで、へとへとになって、また田舎のシャルルヴィルに帰ります。そのパリで民衆反乱の形で、無職の人間や労働者たちが暴れしてたころの様子を描いたのが、それがランボーの詩集なのです。それは「ジャンヌ・マリの掌(てのひら)」という有名な詩です。

(引用はじめ:「ランボー詩集」金子光晴・訳)

  ジャンヌ・マリの掌(てのひら)

 ジャンヌ・マリの掌は、いかつい掌。
くすぶった日焦(ひや)けの掌、
死人のようにつやのない、その掌は、
魔女(ジュアナ)の掌にそっくりだよ。

 みだらな沼のおもてに浮く
くろいぬるぬるが甲に染みついたか。
また手のひらは、清朗な池水に
さし入る月光にでもひたしていたか。

 やさしい膝のうえで、その掌に、
夜天のしずけさを受けて飲んだのか?
葉巻を巻いていたか。その掌は
ダイヤモンドの取引きをしていたか。

 聖母をしたい、御足のもとに
金色に、花と萎(しお)れて置いた掌か。
掌の窪(くぼ)にたぎり、まどろむのは、
はしりどころの毒の黒地(くろち)か。

 まだほのぐらい暁がた、
花蜜をさがしに飛び立ってゆく、
昆虫どもを追う女猟人ディアナの手か。
毒薬の調剤になれた掌か。

 にぎったり、ひらいたりするごとに、
つかんだ夢は、どんな夢だ?
荒唐無稽なアジアの夢、
ケンガバルの夢か。シオンの夢か?

 その手は蜜柑(みかん)を売ってた手でもないし、
神々の恩寵で焦げた掌でもない。
目のあかぬ肥(ふと)ったあかん坊たちの
おむつを洗った掌では、なおさらない。

 背骨をへしまげる手力はあっても、
わるいことは決してしない。
機械のように逃げ路なく、
一頭の馬よりつよい力だ!

 るつぼのように燃えさかり、
興奮でわななき、わなないて
掌の肉はマルセイエーズをうたう。
夢々、怨訴(えんそ)嘆願ではない。

 賤民のよごれで、その掌は、
くろずんで、しなびた乳房のようだ。
その掌の甲こそ、血迷う反乱の徒が、
みんな来て唇をつける場所だ!

 戦乱の巴里をくぐりぬけて
機銃の銃身を焼く
灼熱の炎天下に
たぐいない、この掌が蒼ざめた!

 ああ神聖な掌よ。時として、
さめることのない熱狂で僕らの唇をふるわせるその掌よ。
その掌がつくる拳に煽動されて、
溌剌(はつらつ)とした僕らのからだでできた鎖の環(わ)が、絶叫をあげる!

 天使の掌よ。君が血の気うせるまで、
指の血をながしたとき、
そのときこそ、僕らの一生のうちの
すばらしい飛躍の時なのである。

(引用おわり:「ランボー詩集」金子光晴・訳)

副島隆彦です。 この詩の中の

 賤民のよごれで、その掌は、
くろずんで、しなびた乳房のようだ。
その掌の甲こそ、血迷う反乱の徒が、
みんな来て唇をつける場所だ!

 戦乱の巴里をくぐりぬけて
機銃の銃身を焼く
灼熱の炎天下に
たぐいない、この掌が蒼ざめた!

の個所に、革命の暴動の様子が描き出されている。

 私は角川文庫の『ランボー詩集』というのを、金子光晴(かねこみつはる)の訳なんですが、これは初版は、1951年に日本で出ている。戦争が終わって6年目。私がこれを買ったのは昭和45年、1970年です。そのとき私は16歳です。そのころに買って読んでいる。これをほこりだらけの古い書棚から、引っ張り出してきて、昨日読んでいまして、いろいろ思い出して、ふっと非常に気になった。

 この中に、「巴里の軍歌」というのと「巴里蕃息」(ぱりばんそく)という詩と、それに「ジャンヌ・マリの掌(てのひら)」という有名な詩があります。あとは「教会にあつまる貧しい人々」。この詩の情景自身も、パリの暴動が起きている様子そのものがちらちらと文章の中に出てくる。

「巴里の軍歌」はランボーが15歳から16歳のに作った詩です。

(引用はじめ:「ランボー詩集」金子光晴・訳)

  巴里の軍歌

 すてきな春だ。それというのも、
緑かがやく巴里をまんなかに、
チエールやピカールの業績が
光栄、かくれもないからだ!

 おお、五月。臀(しり)まであらわな大うかれ!
セーブル、ムードン、バニュー、アスニエールの森々よ。
(※副島注:これは実際の公園で、パリにあるんです。)
到来の春の景物が
まきちらされる騒ぎをきくんだ!

 蝋燭(ろうそく)入れの古箱こそないが、
軍帽も、サーベルもある。太鼓(タムタム)もある。
なんにも、なんにも乗らない小舟が
緋(ひ)染めの池水を截(き)って、進む。

 類のないこの朝ぼらけ、
僕らの住んでる陋屋(ろうおく)まで、
黄玉を砕いた光がさし入るとき、
浮かれ回らずにいられようか。

 チエールとピカールは、いわばエロスの神様だ。
ヘリオトロープの略奪者だ。
石油で、コロー筆を作り出す
あの連中の寓話のねたはあがってる。

 つまり、大きな詐欺の一味さ。
花菖蒲のなかにねころがってるファブルは
眼鏡越しに目ばたき、
胡椒に鼻をむずつかせる。

 どれほど石油を浴びせても、
都大路の敷石の火照(ほてり)はさめないよ。
そこで、僕は、なんとしても、
諸君を正気に返さねばなるまい。

 いつまでもしゃがんだまま、
のほほんとしている田舎者は、
夢中になった押しあいうちに、
小枝のべしべし折れるのをきくだろう。

(引用おわり:「ランボー詩集」金子光晴・訳)

副島隆彦です。
 この中に出てくる チエールやピカールというのは、このあと、第三共和制の大統領や政治家になった。ルイ・ナポレオン時代の亡命先の外国から逃げて帰ってきて、政界復帰した、第三共和制の偉い文学者兼(けん)の政治家たちです。しかし、彼らだって、裏のある狡猾な人間です。

次の「巴里蕃息(ばんそく)」は、これはもうパリ・コミューンが崩壊した後の詩ですが。

(引用はじめ:「ランボー詩集」金子光晴・訳)

  巴里蕃息(ばんそく)

 臆病者よ。さぁ。ここだ。停車場に吐き出されろ!
太陽が火照の息で、吐き浄める並木道(ブルバール)には、暮れがたから、
蛮人どもがひしめきあう、
西方世界(オクシダン)に君臨する聖なる街とは、ここのこと(※副島注:パリのこと)だ!

 見ろ! 退潮(ひきしお)のように陽は沈んでゆき、
残照のなかの並木、掘割、さては、
いつぞやの夜、砲火のまっ赤な炸裂でわなないていた家々は、
輝きまさるかろやかな夕空にそびえ立つ。

 廃(すた)れた宮殿は、板小屋で蔽(おお)いかくせ!
大革命の震撼の日が、人々の眼を一新した。
そして、今は、赤豚のような女どもが、腰をひねって横行するにまかせた
恥しらずになれ。馬鹿になるんだ。野獣であれ!

 さかりのついたその牝犬(めすいぬ)どもは、膏薬までもがつがつ喰う
灯のついた家々から、君らを呼ぶ。盗むがいい。たらふくつめこむんだ!
夜が更けゆけば、ふかい麻痺の快楽が街じゅうにひろがる、
おお、心すさんだ飲んだくれども。

 飲め! くらくらとまぶしい燈火がともるころ、
汲(く)めども汲めども溢れる豪勢(リュックス)をさがしもとめて、
手足しびれ、言葉もつれ、かすんで見えなくなったた眼を
酒盃(さかずき)に溺れこませに、君らは出かけてゆかないのか。

 でっかいお尻の女王のために、一息にぐっと乾(ほ)せ!
胸もはり裂ける、おろかな業(わざ)、しゃっくりに似たまぐわいごとや、、
息はずませる馬鹿者ども、年寄り、からくり人形、鉄面皮などが、
業楽(ぎょうらく)の夜、夜、とび跳ねるさまをごろうじろ。

 けがれはてた心と、恐気(おぞけ)のはしる、悪臭芬々(ふんぷん)とした口と、
それくらいにはへこたれまいぞ。
麻痺して、それもわからなくなるため、机にもう一本置いてあるよ。
君らの腹は、恥辱で溶けてしまったね。おお。勝利者よ!

 君らの鼻腔をおっぴらいて、誰はばからず嘔(は)いてしまえ。
君らの首の綱を、劇毒でびしょびしょに濡らすんだ。
襟首のあたりへ、そろそろ絞める手をおろしながら、
詩人は、君らに言う。「臆病者よ。もっと馬鹿になれ!」

 女の腹を君らが求めるなら、
息もできぬほど、その胸のうえにのしかかり、
君らのけがされた雛鳥(ひなどり)を窒息させて、呻(うめ)きながら痙攣(けいれん)することを
いまさら、どうしてためらうのだ?

 黴毒菌(ばいどくきん)、狂人、王様、あやつり人形、腹話術者など、
君らの魂や、からだ、毒や、ぼろくずが、
この夜鷹の「巴里」を、どうすることができるというのだ?
彼女は、君らのほうへつんとして、卑猥なそぶりでからだをゆするだけだ。

 君らがへたばったとき、ぐったりしたからだのうえにのりかかって、苦情を並ならべ立て、
夢中になって君らの金を催促し、
争論でまっ赤になった、もりもりとした娼婦は、
君らの仰天などおかまいなく、険呑(けんのん)な拳固をひねくりまわすだろう。

 巴里よ。おまえが腹立ちのあまり、じたんだをふんだとき、
その身に幾多の瘡痕(そうこん)を受けたとき、
おまえのあかるい瞳のなかに、ふたたびめぐりくる春のよろこびの、
かすかな兆(きざし)でも感じたとき、

 おお。苦悩の都よ。おおかた死にかけていた街よ。
『未来』にむかって立ち直った頭と、両の乳房とは、
まだ明けきらぬうすあかりに、千万の扉を押しひらいた。
くらい『過去』をぬけてきたればこそ祝福されようとするこの大邑(たいゆう)よ。

 大きな苦しみの数々ゆえに人をひきつける肉体よ。
お前はもう一度波瀾の人生をのみ、
その血管に、青ざめた詩をあふれさせ、
お前のまごころも萎(しお)れるほどな、凍った指にふれられるおもいを味わうことだろう。

 だがそれもわるくはない。詩は、蒼ざめた詩は、
お前の進歩の息吹(いぶき)を妨げるようなことがあるまい。
青い階段に、星なす金の涙をふるいおとす人像柱の不死の眼は、
三途の河水さえ溺らせることができなかったのだ。

 たとえ、ふたをとってなかを見るのが恐ろしいにせよ、
あるいは、清新な、みどりしたたる大自然にとって、都会が、
くさい《おでき》にすぎないにせよ。
詩人は、あえて言うだろう。「まったく、おまえはすばらしいぜ!」

 嵐が崇高な詩でおまえを祝い、
凄まじい動乱の力がおまえをゆすぶった。
おまえのいっさいは湧き返り、死がうなる。おお、選ばれた都よ!
鳴らない喇叭(ラッパ)のまんなかに、甲高い叫びをかきあつめろ。

 詩人は、賤業婦(せんぎょうふ)のしのび泣きや、
徒刑囚の怨(うら)み、無頼漢の絶叫を身近にききとり、
愛の光速で、女たちを笞(むち)打ち、
詩句はまた、おどりあがって叫ぶだろう。「ほら、ほら、そこに悪漢どもがいるぞ!」

 ――社会よ。すべては立ち直った。
どんちゃん騒ぎは昔の狼祭りのように息を喘(あえ)いで泣いているようだ。
赤い壁に添うて、うなされているような瓦斯(ガス)燈が、
あけがた、空がうすあかるむまで、不吉に燃えつづけている。

(引用おわり:「ランボー詩集」金子光晴・訳)

副島隆彦です。
 こういう感じです。日本語訳では、この金子光晴(かねこみつはる)以上に良い訳はありません。小林秀雄(こばやしひでお)の訳なんて、大したことはない。

これが文学です。文学というのは革命の嵐、激情、情熱のさなかで、その現場を目撃した人間たちが書くものです。それをリテラチャア(literature)と言うんです。このことを皆、わかってない。

 だから、私は映画評論本も書いていて、これからも出版しますが、これからは、もっと、どんどんオペラ(歌劇)という、ヨーロッパの、モーツァルトの頃からもうあるのだけれども、このあと19世紀中に、ヨーロッパのすべての国の貴族や大金持ちたちが死ぬほど熱狂し、大好きだった、王侯貴族が大好きだった歌劇というものの、有名な作品が100ぐらいあるけども、それらもほとんど全て背景は、政治問題なのです。

 政治の動乱や革命や戦争の中にあらわれた男と女の三角関係やら、引き裂かれる運命とか、殺される話とか、そういうのばっかりです。イスラエルの古代史ものの、「アイーダ」とか、「ナブッコ」とかだけでなく、「ドン・カルロ」「清教徒」とか、モーツァルトの「セビリアの理髪師」 から、何だかんだ、全て、背後は戦争か革命の話です。「カルメン」にしても何しても実はそうなんだ。そういうことで、今から私は政治から見るオペラ論 というのも、人生の終わりにかけて書いていきます。

 ランボーはパリ・コミューンのさ中に、誰からも相手にされない田舎者の、浮浪者の餓鬼みたいにしてパリの中をさまよっている。そして、人びとの描写を詩(ポエム)という表現形式で、正確にやっている。それが文学だ。優れた文学作品というものだ。 

 ランボーは写実主義というか、正確なリアリズムで書いています。しかし文学史の分類では、ロマン派の芸術運動の一部ということになっています。

 そして、「象徴主義」という言葉で語られます。サンボリズム、シンボリズム(symbolisme)ですけども、そういうふうに今も文学部では教えることになっている。象徴主義というのは、言葉の意味をずらしながら使うんです。パリの民衆たちの暴動の様子を、新聞記者が書くようにはっきりと書くのではなく、韻文ですから。韻を踏む。ライム(rhyme)というのを踏んだ、言葉の散らばりの中に、ぱっぱっぱっと、きれいに埋め込んでいって、シラブル(syllable)というか、情景の流れ、それを、ソネットという 14行詩 の形の中に閉じ込めていくわけです。それが文学です。 日本語には、残念ながら、韻(ライム)と言うものがない。だから、「5、7、5」の 頭音表拍で、韻に代替するしかない。

 文学部教授たち、というのは、大体、政治問題がわからないアホがそろってます。特に一番ひどいのが英文学者になった人間たちだ。 非政治的人間で、日本には保守派の文学者は、まず英文科から起こった。国文学よりもはっきりしている。その他のドイツ思想やフランス思想を勉強している連中は、どうしても少し政治的にならざるを得なかった。まあ、そういうことは、それでいいのですが。

 ですからランボーはパリ・コミューンを目撃している。それが大事なことだ。そのことを誰も言おうとしないから、私が「文学とは何か」ということで、今、説明をしている。

 そのパリ・コミューンが2カ月で鎮圧されて、600人ぐらい、指導者だったような連中が縛り首か、銃殺刑になるわけです。その銃殺刑もパリのど真ん中で公開でやったわけですが、何と面白いことに、そのころパリのシャンゼリゼ通りの――パリの立派な建物は、当時から4階建てと決まってるんですが、 その高級住宅街の上のほうから、その夜の銃殺刑の音に対して、「やかましい」「うるさい」という声があったというのです。

 すなわち、世の中というのは大きくて、パリの労働者の自治政府ができました、とかいったって、そんなものはただの暴動で、そんなの関係ないよ、という形で、金持ちや豊かな人たちはそれなりの生活をずっと続けている。

 それは今のウクライナの内戦 の様子を見ていても、中東の戦争でも、爆弾や鉄砲の弾が直接飛んでこないところでは、人はふらふらと平気で歩いています。つまり戦場になっているところ以外では、普通の人は、何のこともなく、10キロ先で戦争があっても普通の生活をしている。ただ、普通の生活といったって、お店とかは、もうほとんど閉まってて、逃げる人はもうみんな逃げちゃってるわけですけれども。

 直接、爆弾や鉄砲の弾が当たらないところでは、人間というのは当たり前のように生きている。だからパリも大きな都市、ヨーロッパ最大の華やかな都市ですから、政治運動があろうがなかろうが、多くの人はそのまま当たり前に生きている。人間が生きている事実は、政治問題とあまり関係ありません。

 おもしろいことに、このパリ・コミューンで、非常に政情不安でありながらも、フランス人というのは非常に政治的な国民で、文化、芸術、教養を大事にする国民でもあるから、何だか知りませんけど、ランボーの詩をみんなでもてはやす、ということを一方でしている。

 だから、不思議なことに1871年に、彼が17歳になったころ、8月の終わりに『酩酊船』、酔っぱらい船を書き上げている。そして、それは雑誌に載った。そしてテオドール・ド・バンヴィル(Etienne Jean Baptiste Claude Theodore Faullain de Banville,、1823年~1891年)という、当時有名だった詩人の作家が、ランボーを連れて回るんです。有名な人たちのところを。

 それがまさにヴィクトル・ユゴー(Victor-Marie Hugo、1802年~1885年)や、あとボードレールにも会ってるんじゃないか。ランボーは14~15歳でボードレールの詩を一生懸命読んでいました。ボードレールの『悪の華』の話は、今日はしませんが、フランスの詩人で最高の作品と言われています。

 このバンヴィルの紹介で、ヴェルレーヌの家に呼ばれます。呼ばれてそのあと、そこに居着いています、1871年に。そしてヴェルレーヌとランボーは同性愛、ホモセクシュアル関係なんです。それはまだ当時は社会的には許されないことで、カトリックの坊主たちから見たら、目くじら立てて叱られるどころか、犯罪者扱いされて牢屋に入れられそうな時代です。 イギリスで、言えば、オスカー・ワイルドが、この同性愛の文学者としてスキャンダルを背負った同時、一世を風靡(ふうび)した人だ。日本で言えば、やっぱり三島由紀夫だ。

 感覚が最もすぐれていた人々ですから。彼らは、あとデカダンスというのをやります。お酒や本当は、すでに麻薬でしょうが、これらを飲んだくれてわあわあ大騒ぎして、どんちゃん騒ぎをやるんです。

 ヴェルレーヌとランボーはそれから放浪の旅か何かに出る。1872年です。ふたりは喧嘩をするんだけど、もう1回、ランボーはヴェルレールにパリに呼ばれて、2人でベルギー旅行にも行ってます。それから10月に、みすぼらしい浮浪者の格好をしてロンドンにたどり着いています。

 ロンドンで暮らして、一体、何で暮らしているかわかりません。が、やっぱり文学者仲間みたいなネットワークがあったんでしょう。それは日本の江戸時代だって、連歌とか俳句とかを詠(よ)んだ人たちは、文学好きの金持ちの豪商、豪農たちがいますから、各地方の彼らの家を渡り歩くわけです。松尾芭蕉(まつおばしょう)やその子分たちは。あれは、皆、正体は公儀隠密(こうぎおんみつ)だったと私は思います。

 世界中、同じような感じで、そういう文学好きのネットワークがあったんでしょう。そこで詩か何かをみんなの前で朗読したりするわけです。サロンとか、文藝サークルと、言うのですけど、そこで生活が何とか成り立つんですよ。

 ヴェルレーヌとの愛情関係が嫌になって、大げんかして縁を切ろうとする。そして、ここからがおもしろいんですけど、ランボーという人は畑仕事をしにゆく。出稼ぎ労働者のような、畑で働く農業労働者をやりに行きます。季節労働者です。また田舎に帰ると、それからまたロンドンに渡って、それからブリュッセルに戻ったら、またヴェルレーヌたちがランボーの家まで追いかけてきたようです。

 そこでヴェルレーヌがパリで、ピストルを発射して、ランボーの左の手首に当たってけがをした。で、ヴェルレーヌは2年間の懲役になるんです。ヴェルレーヌは2年後、刑務所から出てきて、何でしょうかね、また2人は喧嘩なんです。会って喧嘩している。それから、またシャルルヴィルに戻っています。

 それから1876年には、今度は石切場(いしきりば)の現場で肉体労働者をやっています。イタリアのミラノでも暮らしています。旅行者というか放浪者というか、ふらふらして生きている人間です。その前に、19歳で詩を書くのをきっぱりとやめてしまってますから、もうヴェルレーヌとも縁が切れている。

 その後、オランダの植民地、今のインドネシアですが、ジャワ島やスマトラ島ですね、ここはずっと500年間、オランダが植民地にしてますから、志願兵で行きたい人を募集していた。その募集に応じてジャワまで行っています。ここも1年もいないで帰ってきて、このあとは、フランスの南のほうのマルセイユに行きます。このマルセイユというところはフランスの地中海の最大の港で、ここから100キロぐらいのところがツーロンというところで、こっちは軍港です。海軍の港。そのマルセイユで波止場(はとば)人足(にんそく)をやってます。それでまた病気して、田舎に帰る。それで今度はキプロスに行っています。

 何か、東方のほうに行きたい、という気持ちがあった。それで、決定的に26歳でアデン・アラビアというところに行ってしまいました。今のイエメンです。 キプロス経由で。地図を見たらわかるけれど、アラビア半島の南の端っこですね。ここにはすでにフランス人たちがいて、フランスの植民地みたいになっている。今で言えば、香港とか上海みたいな感じだったんでしょう。そこのコーヒー仲買人の会社で、帳簿つけの事務員をやっています。

 そしてこのときアフリカで戦争がありました。エジプトと、アビシニアの。アビシニアというのは、今のエチオピアですけど、戦争をしている。そこに抜け目なく、経営者から命令されて鉄砲を何百丁か積んで、船じゃ行けないので内陸部に向かってラクダか馬の隊列に鉄砲や銃弾を載せて売りに行ったんです。このとき、儲かった。このようにして、ヨーロッパ人としてはランボーが初めてエチオピアの内陸部に行ったというんです。ハラルというところからブバサというところまで旅行している。それで当時、4万フランぐらいのお金を現金で、金貨でランボーは持っていたそうです。

 次の年、1885年には、恐らく同じアデン・アラビアだと思いますが、ここに自分のお店を持つぐらいに金儲けしてます。ここから6年間は、恐らく豊かな暮らしをアデン・アラビアで彼はしていたんだと私は思います。武器商人もやっていた。

 ところが、37歳になった1891年に、右の膝の関節に腫瘍ができた。恐らく風土病の伝染病にかかったのでしょう。今のエボラ出血熱のような現地の病気でしょう。 5月にマルセイユに自力で何とか帰ってきて、そこで入院して、もう動けなくなりました。そして11月には死にました。お母さんも1回、看病に来たみたいだけど、妹のイザベルという人が最期まで看取ったようです。

 文学的生き方というのは、ハチャメチャ、滅茶苦茶の、精神病者みたいなおかしな生き方をしてもいい、というふうに、世の中では何となく思われています。でもランボーの場合、本当は最後の6年間は、商人になりきって、真面目に暮らしいてたんじゃないか、と私は思います。

 最後までめちゃくちゃな人生をやって、飲んだくれて死んだのではなく、ランボーという男は天才ですから、世界の果てみたいなところに行ってしまって、もうヨーロッパ白人文明を嫌いになっていたでしょう。しかし、やっぱり死ぬ間際には自分の国、フランスで死んでいる、ということです。

 このランボーに顕れる生き方というのは、特殊といったら特殊だけど、私はそんなに悲劇的な人生とは思わない。なぜなら、詩 などというものは、50本ぐらい書けばもう十分なのであって、それ以上のたくさんのものを、職業として、詩人が何十巻も詩集を出しました、なんてばかな話はない。世の中に対して迷惑です。

 皆、何か勘違いしてる。優れた詩を15歳から18歳まで書いたらそれでもう十分じゃないか。あとはやることがなければ、商売人をやるか、肉体労働者をやれば、それでいいんです。

 私も今から石切場というところに働きに行こうかな、と思う。伊豆半島の南のほうに伊豆石(いずいし)という緑の色をしている軽石がありまして、温泉場で使われる高級なな石です。その石切場があるようですから、そこへ行こうかなと思ってます。だけど、もう肉体労働が自分にできるか。

 大きく、当時のフランスの政治問題に関していうと、ヴィクトル・ユゴーという男がいます。恐らく当時、フランス最大の国民文学者と呼ばれていた。

・ヴィクトル・ユゴー


 ランボーはヴィクトル・ユゴーに会っています。恐らく1872~1873年に。ユゴーはもう、そのころ70歳ぐらいです。爺さんで大家で国民的大作家なんですが。このヴィクトル・ユゴーとカール・マルクス(Karl Heinrich Marx、1818年~1883年)の関係が、実はヨーロッパ政治、文学を語るときに非常に大事です。

・カール・マルクス


 日本で左翼と呼ばれた人たちが、もう今はほとんど消えていなくなりましたが、まだ70、80歳で生きてます。60代でも山ほどいると思うけど、もう何もしゃべらなくなった。本も書けるような人たちじゃないから、ぼさっと生きてます。

 私が今61歳です。私は日本の左翼文学とか左翼政治思想運動の一番下の年齢の人間なんです。坂本龍一(さかもとりゅういち)が、私より二つ上ですからね。糸井重里(いといしげさと)も三つか四つ上でしょう。この辺が実は、一応のほんの少しだけの新左翼=過激派活動家あがりなんです。こいつらの一覧表を全部、今から作って、出してやろうかと私は思っている。私は彼らより若いんです。

 まあ600人か800人のリストをつくって、「彼らは学生のころ、どこの新左翼の派閥にいて、どのセクトにいて何をしていた」ということまで全部、今から、書いて本にしてやろうと思っています。

 ヴィクトル・ユゴーというのは非常に大事な作家だけど、あまり皆さん読んでないと思う。一番有名なのはやはり『レ・ミゼラブル』です。『噫(ああ)無情』と言う書名で、日本では黒岩涙香(くろいわるいこう)が訳した。涙香は、他に『巌窟王』(がんくつおう)という、アレクサンドル・デュマ、大デュマの小説も翻訳して、これらは大人気となった。

 黒岩涙香、”マムシの周六(しゅうろく)“の話は今日はしませんが、『萬朝報』(よろずちょうほう)という新聞を出して、当時、えらく受けました。これが日本でのスキャンダル新聞の始まりです。赤い字で、華族や権力者の男たちの素行、非行、蓄妾(ちくしょう)を暴いたので「赤新聞」と呼ばれて恐れられていた。私は、マムシの周六、黒岩涙香を尊敬しています。 できれば、もっともっと、たくさんの本当のことを書いて残したい。
今の、NHKの 朝のおばさんたち向けの学芸会ドラマ(連ドラ)の、柳原白蓮(やなぎはらびゃくれん)事件のような、女たち向けの上品な、浮気、スケベ話よりも、もっともっと多くの話があります。皆、忘れ去ったのだ。

 この自由民権運動上がりの黒岩涙香の『萬朝報』で新聞記者をやって育った、連中が、黒岩涙香に逆らって、「自分たちは日露戦争には反対だ」ということで暴れ出して出ていって、今の大塚というところで平民社(へいみんしゃ)というのをつくって、印刷機を新しく買ってつくったのが『平民新聞』という新しい新聞です。

 ここに堺利彦(さかいとしひこ)とか幸徳秋水(こうとくしゅうすい)とか、荒畑寒村(あらはたかんそん)もいた。それが日本の社会主義運動の最初の人たちだ。堺利彦は日本共産党の創立メンバーの筆頭でもある。それから他にも、もっと有名な人がたくさんそこにいます。

 その話も今はできませんが、ヴィクトル・ユゴーは『ノートルダム・ド・パリ』というのを1831年に書いた。これで文壇での地位は確立したと言われてる。ユゴーという人は、エミール・ゾラ(Emile Francois Zola、1840年~1902年)やギ・ド・モーパッサン(Henri Rene Albert Guy de Maupassant、1850年~1893年)らと同じ扱いで、今は、フランス文学の中の作家、と言えばそれだけのことですが。

 しかし シャトーブリアン(Francois-Rene de Chateaubriand、1768年~1848年)という、保守派の大御所の貴族上がりの文学者がいて、ユゴーは彼に認められた人です。

 ユゴーは1802年生まれで、お父さんはナポレオン1世のときの軍隊の将軍だった。いいところのお坊ちゃまです。15歳でアカデミー・フランセーズの懸賞論文に入選している。

 だからユゴーも早熟型です。20歳で、もうどんどん作品を発表するようになって、ロマン派の文芸運動、ロマン主義と言われます。

『セナークル』という雑誌を出して、フランスというよりもヨーロッパ全体の文学運動の中の代表になるわけです。それで、もうフランス革命が終わった形になっていた。ナポレオン1世がヨーロッパ中に軍隊を出して勝ち続けて、「革命と人間の自由と 人権 」 を輸出して回るんだけど、もう1815年にはぼろ負けする。イギリスとのトラファルガーの海戦に負け、最後は、ワーテルローの戦い(The Battle of Waterloo、1815年6月18日)でイギリス軍に負けてしまって、セントヘレナ島に閉じ込められて死んでいった。

 大事なことは、フランス人というのは、とにかく威張ってるんです。今でも。このことを、皆がよくわかるべきだ。

 フランス(の)料理というのは、無いんです。フランス料理というのは、フランスの地元料理のことじゃない。イギリス料理、ドイツ料理、スペイン料理は、その国の人がつくってる地元の料理ですが。フランス料理は「王侯貴族が食べる料理」のことなんです。大金持ちまで含めて。だから、このことを知らなきゃいけない。

 今のアメリカのニューヨークやワシントンの大金持ちや高学歴のインテリたちは、フランス語の勉強をする。フランス語がしゃべれないとかっこ悪い、みたいな感じがあります。特に女たちは。それでアメリカ人というのはフランスに対する劣等感がある。フランス人のほうもアメリカ人を莫迦にしていまして、大嫌いなんです。

私が『属国・日本論』(五月書房刊)ではっきりさせたように、1960年代までは、フランス文学やフランスの映画などが素晴らしかった。私の少年時代の映画では「白い恋人たち」(原題:13 Jours en France、1968年製作)とか。これはフランスのグルノーブル大会の冬のオリンピックの映画ですが。他にも俳優のアラン・ドロンとか、日本にも何回も来てる、少し威張ってるカトリーヌ・ドヌーヴとか。あの女優たちは、アメリカが嫌いなんです。

 フランス人というのは、もうとにかくお高くとまっていて、逆に言うと、黒人のこととかアジア人種のことなんか人間だと思ってないと思います。それがフランス人。ほかのヨーロッパ諸国の人々のことさえばかにしてるんだから、アジア人や黒人に対してはほとんどもう無視みたいな世界です。でも、今は、そんなことは言っていられなくて、フランス人でも、ものすごい数で、日本のマンガ、アニメの オタク文化で育っている。 まんだらけ という マンガ屋にゆくと、フランス人のオタクの女たちが、たくさん来ている。

 アメリカ合衆国は世界帝国なのに、フランス人は、アメリカ人やアメリカユダヤ人のことをばかにしている。なのにもう力がないですから、やっぱりフランスも、アメリカの言うことを聞かないと、なかなかやっていけない。

 フランス文学は、「文人で知識人で高級な知能を持った優れた人間が、社会の上に立って指導者になる」という思想で動いています。だから、ユゴーというのもそういう男です。彼は、1845年に上院議員になっている。「上院議員」と訳すけど、本当は「貴族院議員」です。ユゴーは 下級貴族の一番下っ端のほうだから、普通、貴族院議員なんかになれないはずなのになっている。小説家としての名前が非常に有名だったので、尊敬されていたからです。

 この後、1848年に「パリ二月革命」(Revolution francaise de 1848)というのが起きるんです。これは非常に大事で、1848年というのは、日本ではまだ幕末のころです。ペリーの黒船が現れるのが1853年、54年ですから、それよりちょっと前です。

 パリの二月革命、それからウィーンの三月革命(Revolutions of 1848 in the Austrian Empire)というのは非常に重要な時期で、ヨーロッパじゅうが、すべてが動乱状況になったというか、まさしく革命の時代です。

 この時には、もう社会主義革命の雰囲気があった。労働者たちが騒ぎ出して、地位改善要求運動をやるんですね。それで、王様や貴族階級、坊主たちの階級が、非常に動揺するわけです。それでもまあ、10カ月ぐらいで鎮圧されてしまう。

 このとき既に、フランス大革命から30年ぐらいたっています。でもこのときに、例えばプロシアのフリードリヒ大王と呼ばれたフリードリヒ2世(Friedrich II., 1712年~1786年)なんていう男は、「自分たち国王というのは、民衆のしもべである」とか、「民衆の召使いである」とか、本当はそんなこと思ってもいないくせに、そういうパブリック・サーバント理論、公役務(こうえきむ)理論というのをつくって、何だか非常に民衆にこびへつらう理論が当たり前のように、ヨーロッパの雰囲気は、もうなっていた。

 ですから、時代としては「デモクラシー」(democracy)なんていう言葉はまだ誰も言わない。だけれども、共和政、リパブリック(Republic)の時代にはなっていた。リパブリックというのは、副島隆彦の本をしっかり読んで来た人は、もうそろそろ分かっただろうが、「共和制とは、王様、国王たちの首をちょん切ってしまえ。もう要らないんだ」という政治思想です。同時に政治体制のことだ。これよりもさらに進んだのが、デモクラシーで、これは、貧乏人である民衆の代表に政治権力を握らせろ、という政治体制論である。デモクラシーは、アメリカ独立革命(1776年)で、地球上に初めて出現し、実現した。このことを、もう、分かりなさい。 私、副島隆彦は、こういうことをしっかりと日本国民に教えるために ようやく出現した 政治思想家なのです。「 

 もうフランスは、共和政の政治体制でいい、という考えで、ユゴーたちは動いていた。
 この共和主義者、リパブリカン(Republican)と、王侯貴族、国王、ローマ教会たちとの闘いの時代だ。
そして、国王たちでも啓蒙専制君主と言われている連中は、民衆や国民の主張を少しは受け入れなきゃいかんと思っていたわけだ。その頃は周期的に、民衆暴動が起きている。

 1848年のヨーロッパ革命のとき、カール・マルクスは28歳です。やっぱり彼もパリに出てきている。ただ、これは暴動ですから。革命、と偉そうなことを言うけど、軍隊が出てくると負けてしまう。ここが、これまでの左翼思想家や知識人たちが書こうといないことで、副島隆彦が初めて大きく明らかにしなければならないことなのですが、革命というのはただの暴動でして、負けてしまうんだ、ということが非常に大事なことです。多くの人がその辺でわあわあ大騒ぎしながら、うろうろしているだけなんです。

 人間はご飯を食べなきゃいけないから、やっぱり商売をやるんです。職人は自分の、洋服つくり業なら洋服つくり業、パン屋ならパンつくり業、道路舗装業者は舗装するし、荷物運び屋は荷物を運ぶし、百姓は百姓をやるわけです。やはり地主がいて、貴族様みたいな地主たちが、年貢を取り立てるわけです。この体制=秩序そのものは絶対に変わらない。ここが大事なところです。「政治と文学」とは、その辺を人間がどう描いたか、ということが大事です。

 カール・マルクスを中心に政治を語ろうとするから、「社会主義という運動がありまして、それが敗れていきました」という話になる。しかし敗れていったという、その理由を誰も大きくはっきりと説明しない。

 さっきのアルチュール・ランボーの話に戻ると、ランボーが16歳でパリをうろうろ浮浪者みたいにうろついていたときが、1848年の、パリ二月革命から22~23年後の話です。そのとき作った詩が本当の革命の歌であり、それが『ランボー詩集』なんです。

 マルクスという人は、一応みんな、彼は社会主義という思想を大成した大変な思想家だと知っている。それ以上は知らない。右翼の人たちから見たら大きく嫌われてる。しかし、あまりにも偉大だから、誰も相手にしない、とも言えます。今、マルクスと言われても、名前を知ってるだけで、リベラル派自体がマルクスの本を読みません。もう、何と言っていいやら、私もあきれ返りますが。私は15~16歳からずっとマルクスとかレーニンの本を読んでる人間ですから、不思議な感じがする。

 マルクスも早熟型です。20歳少々で大論文を書いた学者を目指した政治活動家です。しかし政治活動家といっても、1844年に『神聖家族』という評論文を書いているんだけど、それ以外は『独仏年誌』といって一応、学術誌のようなものを友人たちと出してます。しかし、すぐに潰れてしまう。学術誌といっても、配って歩くような言論雑誌です。その雑誌を1万部ぐらい刷って、売って回るし、買って読んでくれる人たちが当時のヨーロッパには既にたくさんいた。 知識人階級(インテレクチュアル・クラス)が、層として出現していた。彼は、同時に、都市の有閑階級の不満分子でもある。

 それから、『フォールヴェルツ(前進)』という雑誌も出して、また潰れてます。さらにはパリで『新ライン新聞』という雑誌を出してます。すぐ潰れる。これが22~23、24~30歳。パリに出て、パリでフリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels、1820年~1895年)と出会っています。生涯の友人同士なんですが、それが1844年です。

・フリードリヒ・エンゲルス


 そういう政治雑誌を出すものだから、フランス政府の官憲から目をつけられて追放処分になります。それでブリュッセルに行く。そのとき27歳です。そのあたりで『ドイツ・イデオロギー』というのを書いて、『哲学の貧困』というのも書いてます。

 それから共産主義者同盟、コミュニス・トリーグ(Communist League)というのが生まれまして、それに参加しています。第2回のロンドン大会というのがあって、そこの主要なメンバーとして参加している。それが1847年です。で、いわゆる『共産党宣言』というのが1848年に出ます。これがまさしく、ヨーロッパ中の大都市を動乱状況に巻き込んだ政治闘争の、パリ二月革命の時代です。

 ウィーンでは三月革命です。ウィーンというのは、オーストリア=ハンガリー帝国ですが、その前は神聖ローマ帝国 であった。そのの都、帝都(ていと)ですからね。 ヨーロッパ最大の、ヨーロッパ全体の都はウィーンだと称していた。しかしそれよりもパリのほうが華やかになってしまっていたわけです。ロンドンなんてまだ、石炭だらけで、すすだらけの田舎の都市だったと思います。しかし、やがてロンドンが、大英帝国の首都ですから、一番お金持ちになっていくのだけれども。

 マルクスもピストルぐらいは買った、というけど、暴動には参加していない。言論人、知識人ですから。それでも政府の側から見れば扇動家、デマゴーグ。アジテーターです。言論活動で人々を扇動はするわけですから、ドイツから追放された。自分の国で裁判にかけられ、しかし無罪になった。

 1849年にはパリを経由してロンドンに渡った。それで、1883年に死ぬまでずっと34年間、政治亡命者としてロンドンにいます。ロンドンで何をやったかというと、少しだけ事務員として働いたりしながら、The International Workingmen's Associationというのをつくって、これが国際労働者協会というやつです。別名、第一インターナショナルという。それを設立したのが1864年ですから、46歳のときです。カール・マルクスは64歳で死んでいる。ヴィクトル・ユゴーが1885年に死んで、カール・マルクスが83年、2年先にマルクスは死んでます。ヴィクトル・ユゴーは83歳まで生きてます。

 だからマルクスの晩年というのは、食い詰め者なんです。敗北した、というか、なかなか勝てないままで終わったヨーロッパ革命の革命家(指導者)だった。『経済学批判』という本とか、経済学の勉強ばかりして、それが1859年です。それから『資本論(Das Kapital ダズ・カピタル )』というのを書いて、ロンドン博物館というか、その一部が図書館なんですけど、私も行ったことがあるけど、そのロンドン図書館(大英博物館図書館)でずっと日がな一日、失業者の男が資料を一生懸自分で命集めながら、、いろいろ引っ張り出しちゃ、本を書いてたんです。

 それが1867年に第1巻目が出された『資本論』です。後のほうは、もう死んだ後、そこらに書き散らかしてたのをかき集めて、フリードリヒ・エンゲルスが残りは出したんです。『剰余価値学説史』をね。『資本論』の2巻目も3巻目も。それはもう1894年ですよ。1900年代になる少し前です。

 1900年になると、物理学者のアインシュタインみたいなのも出てくるし、ウイーンに大きな知識人のサークルが現れる。今では、オーストリア学派とか、ウイーン学派と呼ばれる。それからレーニンが出てきて、ロシア革命か何かわあわあ騒ぎ出すわけです。カール・マルクス自身は、ヴェーラ・ザスーリチだったか、ロシア人の活動家の知識人の女が来て、ロシアでも革命やります、みたいなことを言ったら、やらないほうがいいとマルクスは言ってるんです

 。遅れた国で民衆暴動を組織して権力なんか握ると、民衆(国民)を食わせることができないから、やめたほうがいい、というようなことを言っています。人類の最も豊かなところからしか、次の時代の新しい政治体制は生まれないんだ、というのが、マルクスの、本当に大人の考えなんです。

 ですから、ソーシャリスト(社会主義者)といって、日本でも日本社会党とか日本共産党とかいろいろあるけど、あんなものは、世界の流れの中の一部にすぎない。ヨーロッパの本来の、インテリの知識人の頭のいい連中が、ソーシャリストを名乗った、ということなんですが、まあ、彼らは自分のご飯が食べられない。このご飯が食べられない問題をどう考えるか。つまり、「革命家」という職業なんか、無いんです、そんなもの。

 革命家なんていうのは、暴動扇動家とか、私は、✖「陰謀」という言葉は嫌いだから使わないけど、権力側から見れば、陰謀家とか破壊活動家とかテロリストとか、もうそういう言葉に置きかわるわけです。だから、政治活動がないと本気になれないから生きていられない。ただ、彼らは知識人ですから、本が売れると食べられる。知識人といっても、本が売れるといっても、当時は先進遅滞のヨーロッパであっても、文学作品しか売れなかったと私は思います。

 私は28歳から、英語の勉強の仕方みたいな本を書いて、知識人というか、プロの物書き、言論人になっていった。40歳 ぐらいからは政治評論とか文芸批評みたいなこともやって、もう今61です。この20年間は「評論家です」と言っても恥ずかしくないぐらいの立場になりました。この20年間、いや、かれこれもう30年間、物書きで私は食べている。この間、13年間は予備校で教えて、12年間は大学教授をやっていました。だから合計25年を教師業で食べている。それを入れて30年間、私は言論人の知識人です、と言っているわけで。

 ですからマルクスが65歳で死んだということは、どんな人も、そんなには人生時間は無いものだ、と、同じ人間としての構え、生き方をしみじみと考えてしまいます。

 ヴィクトル・ユゴーは、晩年は立派な、国民的大文学者です。しかも彼だって1848年の二月革命には、共和主義者(リパブリカン)として議会の中で、わいわい活動してる。貴族院議員のくせに、国王とか貴族、坊主(カトリックの高僧たち)が、大嫌いで、彼らと議会で憎しみ合いのケンカをしながら、新しい憲法の制定議会議員かなったりして、民衆に受けがいい。

 ところがその3年後、何かおかしくなってしまう。ユゴーたち、理想主義で共和主義の立派な国民思いの政治体制は、国民を食わせることができない。

 日本でも 民主党政権ができても、食わせられないものだから、結局、自民党に戻る、というのと同じような感じで、そこでルイ・ボナパルト(ナポレオン3世)が出現して、クーデターをかけてきた。そうするとヴィクトル・ユゴーも、命を狙われるというか危ない状況に陥る。牢屋に入れられるか殺されるかどっちかですから、ブリュッセルに逃げた。

 その後で、ジャージー島とかガーンジー島という、今、タックスヘイブンで有名なところですけど、フランスに近いところにあるイギリス領の島にいる。ユゴーは18年間、ここで亡命生活を送っています。その後、1870年に、前述した普仏戦争で、ルイ・ボナパルト(ナポレオン3世)が負けて、第三共和政が成立した0年にようやく帰ってこれた。

 その年の3月から5月までが、パリ・コミューンという労働者自治政府というのがあったわけで、というだけのことで、そのときに16歳になりかかってたランボーがパリをうろうろしてたわけです。

 フランス第三共和政というのは、アドルフ・ティエール(Louis Adolphe Thiers、1797年4月16日~1877年)というのが、これも文人墨客(ぼっかく)というか、文人、知識人上がりの人間ですが、彼も外国から戻ってきて大統領になって、穏やかな共和主義の体制になります。だが、その実情は、大金持ち(これがブルジョワジー)や工場経営者や貴族――つまりフランス人の場合、大革命後の新しい貴族 ですが ―― と大農場経営者の田舎貴族たちの時代です。やはり金持ちを中心にした政治体制です。

 これが何と1940年まで続く。ナチス・ドイツがフランスに攻め込むまで、ずっと第三共和政です。その後はもう第二次世界大戦ですから、私たちの現在にまでつながっている。戦後、第四共和政というのをフランスは作って、今は第五共和政です。

 ということで、ヴィクトル・ユゴーは18年も亡命生活をしている。帰ってきて、やれやれということで評判が高くなって、もう一回、貴族院議員=上院議員になって、立派な扱いを受けて、静かな晩年を送って、1885年に死んだ。国葬です。パンテオンに葬られています。だから、一番名誉に満ちた立派な生き方をした。カール・マルクスは貧乏して、貧乏のまんまロンドンで死んでます。

 最近、『レ・ミゼラブル』が映画になっています。2年前の2012年に。ものすごく評判が良かった。マルセイユかどこか、あちらのほうで、船をずっと引かされる、船引き奴隷たちの中にジャン・バルジャンがいましてね、非常に悲しい感じで船引きの奴隷をやっていたようです。という様子が描かれているいい映画だそうです。もとはこれはミュージカルのはずです。歌劇から映画化された。ですから『噫無情』の話までつながる。

 これで、何となくわかってもらえたしょうか。文学というのはこういうものなんです。非常に政治と密着している。当たり前のことなんだけど。ここの観点がわからないと、文学というのが何なのかわからない。

 もう少し、マルクスの話に戻すと、マルクスは社会主義経済学理論をつくった人と言われているけど、ロンドンに亡命してからの残りの34年間というのはもうただの貧乏です。労働者の味方をしたまま終わって死んでいった。ロンドンから一生懸命、論文を書き送った。

 だから、1852年に第二共和政がたたき壊される。ナポレオン3世という変な男が出てきて、そいつはナポレオン1世の甥っ子だというけど、本当は血はつながってない私生児の男だということが真実らしい。その悪い男が20年間、フランスを支配した。

 そのときの様子は『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』という政治評論本があって、私はこっちも読みました。これは1852年の本です。マルクスが34歳ぐらいのときの本で、それから20年後に、今度は1871年のパリ・コミューンというのがあって、そのことについても『フランスの内乱』という評論文を書いている。

 これらは歴史評論本です。社会主義者の何か宣言文とか、そういうものではない。ヨーロッパ史というものを勉強する上で重要な歴史を描いた、歴史事件を描いたすぐれた作品です。文学とも言ってはいけない、歴史上の事件の評論文なんです。そういうふうに見なきゃいけない。政治活動家であるカール・マルクスが、何か自分の勝手な意見をわあわあ書いてる本だ、と考えてはいけない。

 ずば抜けてすぐれた人間が書いている歴史物の、歴史事件を叙述したものは、それは人類にとっての財産となる。その歴史事件そのものの取り扱いの公式の歴史記録にのちのち、になっていくんです。ずば抜けて優れた頭脳に人間によって書かれたものだけが、あとの世に残るのです。 愚かな人間の文章や本は残らない。わかりますかね。大きな意味ではやはり、リテラチャア、文学なんです。『フィレンツ史』を書いたマキアべッリの本が後世に残ったように。 ルポルタージュと言ってもいいですけどね。ルポルタージュ作品として、その記録文学として残された作品のうち歴史の審判にあったものがあとに残る。読み継がれてゆく。

 ジョン・リード(John "Jack" Silas Reed、1887年~1920年)というアメリカ人の新聞記者が1917年、18年にモスクワに行って、レーニンたちの十月革命のさなかにその現場を目撃して、人がいっぱい集まってわあわあ演説してるところとかを、その様子を書いている。『世界を震撼させた10日間』という本です。そういうルポルタージュ、今となっては記録文学だ。このことを、私たちはをわからなきゃいけない。

 そうやって初めて総合的に、「文学とは何ものか」というのがわかったことになるんです。この考え方を抜きに、文学というのはわかったことにならない。

 だから、文学部の大学教授なんかがランボーやボードレール研究か何かやってる、今も化石みたいなのがいると思いますが。そんなのは、一生懸命、フランス語で読んで、フランス語で学生たちに授業をやって、よかったねというだけのことです。 やっぱり金子光晴(かねこみつはる)という早稲田の仏文出の文学者が詩集翻訳本として出した『ランボー詩集』という本が優れている。今でも。

『酔いどれ船』に関しては、私は、もう『日本のタブー』(KKベストセラーズ社刊)でも書いた。ふらふらと、酩酊船、船そのものが酔っぱらったようにパリのセーヌ川をうろうろしている、というような詩なんだけど、本当はこれは気違い船です。パリのセーヌ川に停(と)めてあった船のことで、老朽船の古い船で、その中に精神病患者たちをたくさん収容していた。檻(おり)みたいにね。それをローマン・カトリックの坊主たちが、この人たちは、神様に一番愛されている、神に最も祝福された人々だ、と言いながら、面倒を見ていたんです。それ自体は偉いことだ。献身そのものだ。

 こことろが、そこには大久の精神障害者を収容しているわけで、その船がある日、忽然と消えるんです。ずっと海のほうまで持っていかれて、どこかで焼いて燃やして沈めたと思います。そのことを私は書いた。

そしてそれは、1980年代に日本でも、フランス最大の知識人としてもてはやされた ミシェル・フーコー(Michel Foucault、1926年~1984年)という、歴史学的手法の人文知識人がいます。哲学者(philosopher)ではない。歴史思想家です。

 このフーコーが『狂気の歴史』と『監獄の誕生』と『性の歴史』いう3冊の分厚い本を書いた。その中に、狂人、要するに気違いたち がどのように近代ヨーロッパ社会で扱われたか、ということをずっと書いている。これらの本の中に書かれたことをヒントにして、私は真実を読み破った。それが、ヨーロッパ近代社会なるものの、真実の姿だ、と。

 だから、ランボーの『酔いどれ船』というものの本当の意味は、精神障害者たちの収容病院のことだ。そして、それをどこかに持っていって捨てた、という真実を、副島隆彦がはっきりと、日本では唯一、書いて暴いた。それをサンボリズム、シンボリズム(symbolisme)、象徴主義の詩であるとか、ロマン派の詩人の詩であるとか、わけのわからないことを言えばいい、というものではない。文学というのは、そういうものをそれらしく、直接的な事実文章ではない形で表明する、ということだ。その背後の、当時の人間たちなら、知って、気付いたことであることが、優れた詩の中に、描かれ、封じ込められているのだ。それが文学だ。

(了)


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