「129」 「小沢一郎 対 検察(オール官僚)の闘い」(14) 2月4日の「不起訴決定」の勝利の前の一月後半の、激しい攻防戦。ネット言論の旗手たちが頑張った。 副島隆彦 2010.3.16

副島隆彦です。 2月4日(公訴提起日の期限)で、検察・特捜の伊藤鉄男・最高検の次長(樋渡利明 検事総長の次)が、「そんな証拠では小沢一郎を起訴できない」と、特捜・佐久間、と大鶴(おおつる)に、引導を渡して、この日の深夜に、不起訴が決まった。 小沢一郎の勝利である。

だが、この報道は、私たちには、5日にならなければ、事情がよく分からなくて、「小沢勝利、検察完敗」の報道は、5日の昼ごろの、日刊ゲンダイ紙によるものだった。

しかも、このゲンダイの表紙は、大きく、小沢一郎が、カート・キャンベル米国務次官補と、ジョン・ルース駐日大使を従えて、国会から、二人を会談の後、お見送りに出る時の感じの写真だった。  副島隆彦拝

(転載貼り付け始め)


●「 読売、日経の誤報の取材源はリークか 弁護士阪口徳雄(さかぐちのりお)の自由発言  」

2010 年 1 月 29 日
http://blogs.yahoo.co.jp/abc5def6/61132536.html

読売、日経の誤報の取材源はリークか

1/25日の読売新聞夕刊、日経新聞夕刊の社会面に同じ内容の誤報があった。1/26朝刊で同じように両紙に訂正記事がされた。

 誤報の内容は『検察が押収した石川議員の手帳に、水谷建設幹部が5000万円を支払った日(2004年10月15日)にホテル名が記載されていた。これは石川議員が水谷建設幹部と面談した裏付け』という趣旨の内容である。

 読売新聞も日経新聞も同じ内容の誤報である以上、別々の取材の結果、両紙が同じ間違いをすることは普通はあり得ない。同じ取材源であることはほぼ確実であろう。

 誤報である以上、両紙の記者は、押収された手帳の現物はもちろんそのコピーも見ていない。 誰かの記憶に基づく証言を記事にしたのであろう。 この取材源が民間の私人の記憶に基づく証言なら、おそらく普通の経験のある記者なら記事を書かない。両紙の記者が同じように記事を書くことも普通はあり得ない。

 仮に私人の記憶に基づく証言で記事を書いてもデスクで、ボツにされる。 ところが、両紙の記者が同じ記事を書き、同じく両紙のデスクでも同じようにパスしたということは、かなり≪信頼のおける取材源≫であったのであろう。

≪信頼のおける取材源≫とは、押収された手帳をみることができる立場の人間か、又はその押収手帳の記載内容の報告を受ける公的な立場の人間であったからこそ、両紙の記者が間違いがないと誤信し、記事にしたしか考えられない。同時に両紙のデスクも信用したのであろう。

 しかし、≪信頼のおける取材源≫が実は記憶違いをしていたのである。2005年4月手帳の『ホテル名』の記載事実を、2004年10月手帳と記憶違いをしていたのである。

 読売新聞、日経新聞の夕刊の社会面にデカデカと『2004年10月の手帳にホテル名』と報道した。 ところが、正確に手帳内容を知る者はビックリして、その情報を提供した者か誰かに、両紙の記事が間違いであることを知らせ、その間違いがどのような経過は不明であるが、両記者に伝わった。

 その結果、両紙は翌日の朝刊に『訂正記事』を同じように書いた。 もし取材源が民間の私人なら、記憶に基づき証言している以上、簡単には間違いを認めない。 最大の問題は≪手帳は2005年4月にホテル名が記載されている≫という訂正記事である。この訂正に至っては、押収した手帳を見れる者でしか判らない事実である。 訂正情報の提供者が検察のリーク説が濃厚になる所以である。

 同じ取材源で、≪信頼のおける取材源≫であるから同じ記事を書き、訂正の情報も、≪信頼のおける取材源≫だからこそ、同じように訂正したと推定される。

 読売新聞は『石川議員関係者の取材に基づく』と訂正をしているが、本当かどうか極めて疑わしい。 それなら、何故、石川議員関係者の『口先証言=ガセネタ』を鵜吞みにしたのか、そしてどうして,まもなく『ガセネタ』であることが判明したのか、しかも、私人では判らない、

≪2005年4月手帳にホテル名が記載されている事実≫がどうして判ったのか、を詳細に検証して読者等に報告すべきである。
それをしない以上、上記のような≪信頼のおける取材源=検察の情報説≫を否定できない。

 どちらにしても、誤報であったのであるから、読売新聞も日経新聞も、どのような経過で、同じ間違いを犯したのかキチント検証して、両読者に真実を報告べきであろう。

コメント,

02. 2010年1月29日
 小学生でも素直に読んだら検察がリークしていることはすぐ分かる。読売、日経は報道者としての説明責任をきちんと果せよ。
CIAや財界が創った新聞だからといって、おまえらの好きな
「説明責任」が免除されるとは思うなよ!,

03. 2010年1月29日
 素人探偵の推理ですこれはリーク担当検事と、脚本担当検事の連携ミスです。脚本担当検事は05年4月で立件する積りで、水谷社長・専務ほか3名(水谷関係者)の仕込をしておいた(勿論偽証証人です)。そして石川議員の05年分手帳に4月全日空、ところが、リーク担当検事が04年10月15日、手帳に全日空とメモ、とリークしてしまった。そして本投稿の記事1月26日夕刊、

 そして翌27日TBSニュース 裏献金5000万円は手提げ袋に入れられ石川容疑者に手渡された (石川容疑者の印象は?) 「坊やだった。まだ学校出た坊主」 (この証人は場所・日時は言っておらず、ナレーションで10月15日と入っています)。

 証言するのは、水谷建設に近い関係者です。水谷建設側から小沢幹事長側への裏献金の現場に居合わせたといいます。疑惑の舞台は2004年10月15日、都内のホテルの喫茶店。先に水谷建設元幹部2人が座って待っていたということです。そこに現れたのは・・・。http://www.asyura2.com/10/senkyo78/msg/787.html
脚本担当検事は勿論 東京高検検事 大鶴基成その人でしょう,

●「「天皇認証官吏」検察の狙い 電脳空間では「検察に勝ち目なし」」

2010年1月27日 東京新聞 コラム

「本音のコラム 検察の狙い」精神科医 斉藤学(さいとうまなぶ)筆

 任免に天皇の認証を要するポストを認証官というそうだ。大臣と副大臣もこれに当たるが、彼らは選挙で国民に選ばれている。しかし、検察庁には国民の知らぬところで認証された「天皇直轄」の官吏が検事総長以下十名いる。

 今回、検察が政治家・小沢一郎の追い込みを図った動機には、おそらく天皇会見が関与していると思う。中国政府幹部の訪日に際して、小沢氏は「天皇ご自身は必ず、会いましょうとおっしゃると思う」と忖度(そんたく)した。

 これらに敏感に反応するのは右翼、右より報道機関、そして検察。特に検察は民主党政権が検事総長ポストを国会承認人事とすることを恐れ「窮鼠(きゅうそ)猫を噛(か)む」心情だろう。一部世論の小沢叩きを好機とみて「小沢汚し」に踏み切ったと思う

 だからこその強引さだ。今回の捜査は小沢氏の収賄や斡旋(あっせん)利得の証拠など狙っていないと思う。狙いは冤罪(えんざい)承知での小沢逮捕、そのものだ。

 今や「官報複合体」と称されるようになった 「記者クラブ・マスコミ」は、委細承知で、この「小沢汚し」に加担している。だがホリエモン騒動の時とは違う。新聞も週刊誌も一色に染まってはいない。特に週刊誌では週刊朝日が「検察の狂気」と表紙に大書し、週刊ポストもこれを追った。テレビは「小沢汚し」に夢中だが、電脳空間では「検察に勝ち目なし」が衆論だ。


●「特捜部長の出世と引き換えに私は政治生命を絶たれ4人が自殺を図った」

「福島県前知事・佐藤栄佐久(さとうえいさく)氏が語る検察の暴走と恐怖(下)」

日刊ゲンダイ 2010 年 1 月 27日 掲載

「知事は日本にとってよろしくない。抹殺する」 取り調べ中の検事の言葉です

「私の事件では、特捜部の過酷な取り調べによって、弟の会社の総務部長と私の支援者、そして東急建設の支店長2人が自殺を図りました。総務部長は一命を取り留めましたが、今も意識は戻らないまま。ベッドの上で男性の声を聞くと、検事の声を思い出すのか、険しい表情を浮かべ、顔を背けるのです。よほど取り調べがツラかったのでしょう……」

<東京地検に出頭した佐藤氏の後援会の幹部たちは 「栄佐久氏の悪口を何でもいいから言ってくれ」 「15分以内に言え」 「想像でいいから言え」 「もう図は完成していて、変えられないんだ」 と執拗に迫られたという。>

「いま『取り調べ可視化』が取り沙汰されていますが、検察の恫喝には抜け道がある。弟は拘置所に向かう車中で 『中学生の娘が卒業するまで出さない』 と脅されました。相手は今から取り調べを受ける検事ですよ。あまりに卑劣です」

<佐藤氏も約50日間に及んだ拘置中に精神的に追い込まれ、ほぼ全面的に供述してしまった。>  「逮捕後2日間は検事と怒鳴り合っていましたが、次第に『私が自供すれば支持者は解放される』 『早く“火の粉”を消さなければ…』 『検事に身を任せよう…』と思うようになったのです。私は“ストレイシープ(迷える羊)”になっていました」

<一方で検察は有利な証言をした人物を手厚くもてなすようだ。>
「検察に『私から“天の声”を聞いた』と証言した元県幹部は、私の事件に絡み、競争入札妨害罪で特捜部に逮捕されましたが、起訴を免れました。 公判の過程では、この人物の口座に約3000万円の出所不明な入金記録があることが発覚。 特捜部はこのカネの流れを取引材料に県幹部を締め上げ、“天の声”をデッチ上げたのではないかと思っています」

特捜部長の出世と引き換えに私は政治生命を絶たれ、4人が自殺を図った

<東大法卒、参院議員を経て知事5期。「改革派知事」として霞ヶ関と戦ってきた佐藤氏には、今の検察の動きこそ、「霞ヶ関官僚の行動原理の縮図」と映る>

「ダム建設や原子力行政と同じで、一度決めた方針を覆そうとしない。いかにムチャな方針だろうと、保身に走って突っ走ってしまう。完全に 『経路依存症』 に陥り、捜査そのものが自己目的化しています。 検察の正義は国民にとっての正義であるべきなのに、国民不在の捜査が今も続いています。政権交代を選んだ国民の意思を踏みにじってまで、強引に小沢捜査を進める必要はあるのか。はなはだ疑問です」

<佐藤氏の事件については、「当時の大鶴基成特捜部長が『これができるかどうかで自分の出世が決まる』 と息巻き、乗り気でない現場を怒鳴りつけていた」と報じられたものだ。>

「特捜部長の出世と引き換えに、私の政治生命は絶たれ、弟の会社は廃業し、100人以上の社員が路頭に迷うハメになった。今後、私の無実が証明できても自殺した人々は戻りません。検察と一体化したマスコミも共犯です。 『知事は日本にとってよろしくない、抹殺する』。 弟の取り調べ中に検事が吐き捨てた言葉です。事件の犠牲となった人を思う、その発言のあまりの軽さに驚かされます。強大な捜査権力は実に気まぐれで、特捜検事にとっての“おもちゃ”に過ぎないのです」

<佐藤氏の裁判は現在上告中だが、検察の強引な筋立てと捜査が、いかに多くの悲劇を招くか。小沢事件を指揮する大鶴最高検検事と佐久間特捜部長は、肝に銘じておいた方がいい。>

小沢捜査~何が目的で誰のためにやっているのか
検察の捜査を見ていると、つくづく、こう感じてしまう。とにかく、その執念のすさまじいこと。政権交代前から、執拗に小沢を追いかけ、まさしく、政治生命を抹殺しようとしているのが歴然だ。

  ターゲットは小沢ひとり、それも狙い撃ちではないか。小沢が角栄のごとく、誰が見ても黒幕、巨悪であるのならば、それも分かる。しかし、政治団体が不動産を買うのはおかしいだとか、岩手ではゼネコンは小沢に逆らえないとか、“この程度”で巨悪か?  (中略)  本来であれば、特捜部が暴走すれば、検事総長がストップをかける。しかし、樋渡利秋検事総長は赤レンガ組の法務官僚で捜査の現場経験がない。それが佐久間の暴走を許している。

「それと、誰が指示したわけではないが、霞ヶ関全体が検察を応援しているという側面もあるでしょうね。小沢幹事長の政治生命を潰せば、永田町は混乱する。政治が混乱すれば、役人の出番になる。そんなアウンの呼吸が検察を後押ししているのです」(政治ジャーナリスト・鈴木哲夫氏)

 よこしまな野心や怨念、権力闘争。さまざまな側面が見え隠れするのだが、少なくともそこに正義はない。これが小沢捜査なのである。

★週刊朝日、検察リーク認める!! (⇒2010/01/26 「日々坦々」)
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ウィキペディアWikipedia
 大鶴 基成(おおつる もとなり、1955年3月3日[1] - )は日本の検察官。東京地検特捜部部長などを務めた。大分県佐伯市出身[1]。 実家の近くには名門の佐伯鶴城高校があるが、大鶴は鹿児島県にあるラ・サール中学校・高等学校に中学受験して進学した[1]。真面目に勉学に励むタイプだったという[2]。

 大鶴は高校時代から検事になることを夢みていたという。1974年に発覚した田中金脈問題や1976年に発覚したロッキード事件の影響も大きかったとされる[2]。 東京大学法学部卒業後、1980年4月に念願の東京地検の検事に任官した[2]。しかし、その後は、1981年に福岡地検、1983年に大阪地検、1985年に釧路地検とそれほど恵まれたコースを歩んでいたとは言い難く、上司からも地方周りで終わるのではないかと危ぶまれていたという[3]。

 そんな大鶴にも転機が訪れ、1992年4月、検事になった者なら誰でも憧れるという東京地検特捜部へ異動[3]。交通部長を経て、2005年春には特捜部長に就任した[4]。 その後、函館地検検事正、最高検察庁検事とキャリアを重ねている。

おもな担当事件
ゼネコン汚職事件
第一勧業銀行総会屋事件[5]
日歯連闇献金事件
ライブドア事件

 大鶴と一緒にゼネコン汚職事件で特捜検事として働いた元同僚は、「あらかじめ決められたストーリー[6]に沿って 『こういう供述を取って来い』 と命じられると必ずやり遂げる男だった」と証言している[7]。 一方、大鶴の元上司だった高検検事長経験者は、自分の内面の弱さを隠すために権力を笠に着て取り調べ、事件を作ってしまう という大鶴の捜査手法を何度もたしなめたと証言している[1]。

 大鶴はゼネコン汚職事件の梶山静六ルートでこのような見込み捜査の失敗を犯したことがある。ゼネコンの元幹部から梶山に現金が渡されたという調書がとられたが、実は梶山には現金は渡っておらず、ゼネコンの元幹部が個人的に着服していただけであった。法務大臣を務めたこともある梶山にたいする捜査としてはあまりにも荒っぽかった。当時の同僚は、大鶴は手柄を焦っていたのではないか、彼の取調室からはいつもすごい怒鳴り声が漏れていたと証言している[8]。

 大鶴は日歯連闇献金事件では後ろめたいことがありそうな人物を重要証人に仕立てて、狙った獲物を撃つという捜査手法を使ったことがあり[9]、ライブドア事件でも 宮内亮治 をライブドア元社長の 堀江貴文 を有罪にするための証人にし、見返りとして宮内の横領疑惑を不問にしたのではないかといわれている[10]。

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佐久間 達哉   ウィキペヂア

生誕 神奈川県横浜市
出身校 東京大学法学部卒業
職業 東京地方検察庁 特別捜査部部長
法務省人権擁護局調査救済課課長、法務省刑事局公安課課長、法務省刑事局刑事課課長、東京地方検察庁総務部部長などを歴任した。

任官されるまで
 神奈川県横浜市出身[1]。東京大学では法学部で学ぶとともに、アメリカンフットボール部に在籍しクォーターバックとして汗を流した[2]。このとき、あまりにも熱心に部活動に取り組んだあまり、大学の単位を落とし留年している[3]。

検事として
 大学卒業後、司法修習生を経て1983年に任官した。東京地方検察庁の特別捜査部には通算4回勤務した経験がある[1]。特別捜査部に検事として在籍した際には長銀粉飾決算事件を主任検事として担当し、日本長期信用銀行の頭取経験者ら旧経営陣を次々と逮捕した[4]。

 しかし、この事件は最高裁判所の判決により被告人全員の無罪が確定した。特別捜査部が手がけた大規模な経済事件において無罪が確定するのは極めて異例とされる[5]。

 この事件では決算時に不良債権を旧基準で査定した行為の違法性が争われた。しかし、当時は日本長期信用銀行以外にも都市銀行14行が旧基準で査定していたにもかかわらず、特別捜査部は日本長期信用銀行と日本債券信用銀行の2行のみを立件し、他の銀行は不問に付したことから、当初から捜査の正当性が疑問視されていた[6][7]。

検察庁以外の省庁にて
 また、法務省での勤務経験も豊富であり、刑事局の公安課や刑事課にてそれぞれ課長を務めた。人権擁護局調査救済課の課長在任中には、人権擁護法案の取り纏めに力を注いだ。テレビ朝日の『朝まで生テレビ!』にて個人情報保護法案や人権擁護法案がテーマとして取り上げられると現職課長として出演し、討論に参加した[8]。また、アメリカ合衆国駐箚日本国大使館では一等書記官として勤務した[1]。

検察幹部として
 樋渡利秋ら検察庁幹部からの信頼も厚いとされる。東京地方検察庁の特別捜査部にて副部長に抜擢され、福島県知事汚職事件や防衛施設庁談合事件の捜査を指揮した[2]。

 しかし、福島県知事汚職事件の控訴審では検察側の主張が次々と覆され、収賄容疑での立件にもかかわらず、判決で賄賂として認定された金額はゼロ円という異例の事態となった。 この判決は限りなく無罪に近いと評されており[9]、東京地方検察庁特別捜査部で部長を務めた宗像紀夫(むなかたのりお)は、「検察側の主張の中核が飛び、中身のない収賄事件ということが示された」 と厳しく論評した[4]。

 その後、東京地方検察庁の総務部の部長を経て、特別捜査部の部長に就任した。一般的に特別捜査部の部長には特捜検察に長年在籍し捜査に精通した検事が任命されるが、佐久間は法務省での勤務が長く特別捜査部での在籍歴も僅かなため、近年ではやや異色の人事である[3]。就任時の記者会見では「悔いのないよう、いい事件をやっていきたい」と決意を語った[1]。

主要な業績
 人権擁護法案にて導入を目指した人権委員会制度人権擁護法案の策定
 小泉内閣が人権擁護法の制定を目指した際、佐久間は法務省人権擁護局調査救済課の課長として法案の取り纏めに奔走した。

 2001年5月、法務省の人権擁護推進審議会は『人権救済制度の在り方について』と題した答申を発表した[10]。この答申には人権擁護のための新機関として人権委員会を創設する案などが盛り込まれていた[10]。この答申を踏まえ、佐久間は2001年6月に「今回答申をいただいた内容を踏まえまして、次期通常国会に所要の法案を提出すべく、現在一生懸命努力をしている」[11]と述べ、法案の策定に強い意欲を示した。

 また、新制度では人権救済の申出にあたって国籍は必要要件なのか質問されると、佐久間は「国籍を問題にするというようなことは全く考えられておりません」[11]と述べたうえで、日本国籍のない者や不法滞在者であったとしても人権委員会に対して申出ができると回答している。

  佐久間らが中心となって取り纏めた人権擁護法案は2002年の第154回国会にて閣法として提出された。しかし、継続審議を繰り返されたうえ、第157回国会にて衆議院が解散されたため、それにともない2003年10月に廃案となっている。

立件した人物
  佐久間が主体となって立件した人物のうち、公人など著名人を挙げた。なお、氏名の末尾に附した括弧内の記述は立件当時の肩書きを示している。

「長銀粉飾決算事件」も参照

大野木克信(おおのぎかつのぶ 前・日本長期信用銀行頭取)
長銀粉飾決算事件では佐久間が主任検事として捜査を担当しており、証券取引法違反および商法違反容疑で大野木は逮捕された。しかし、最高裁判所で大野木に無罪判決が下され、冤罪だったことが確定した[12]。

鈴木克治(すずきかつじ 元・日本長期信用銀行副頭取)
長銀粉飾決算事件では佐久間が主任検事として捜査を担当し、証券取引法違反および商法違反容疑で鈴木は逮捕された。しかし、最高裁判所で鈴木に無罪判決が下され、冤罪だったことが確定した[12]。

須田正己(すだまさみ 元・日本長期信用銀行副頭取)
長銀粉飾決算事件では佐久間が主任検事として捜査を担当し、証券取引法違反および商法違反容疑で須田は逮捕された。しかし、最高裁判所で須田に無罪判決が下され、冤罪だったことが確定した[12]。

佐藤栄佐久(さとうえいさく 前・福島県知事)
福島県知事汚職事件では佐久間が特別捜査部の副部長として捜査の指揮を執り、収賄容疑で佐藤は逮捕された。しかし、東京高等裁判所の判決で佐藤が受領した金は賄賂ではなかったと認定され、追徴金も免除された[13]。現在、最高裁判所に対して上告中。

^ a b c d “「いい事件やりたい」 佐久間新特捜部長が会見”. 共同通信社 (47NEWS). (2008-07-14). http://www.47news.jp/CN/200807/CN2008071401000660.html 2010-01-19 閲覧。

^ a b “小沢代表を包囲する「日本“最強”捜査機関」のメンツ”. 夕刊フジ (産経デジタル). (2009-03-14). http://www.zakzak.co.jp/top/200903/t2009031410_all.html 2010-01-19 閲覧。

^ a b 南慎二「「小沢一郎」幹事長に喧嘩を売った「佐久間達哉」特捜部長は「官僚中の官僚」」、『週刊新潮』第55巻第4号、新潮社、東京都、2010年1月、p.20、ISSN 0488-7484。 ,
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●「【速報】発覚!!西松建設に検察大物「天下り」――事件直後に「関西検察のドン」役員就任」

日刊ゲンダイ 2010年1月27日

 天下っていた検察大物とは、逢坂貞夫(おうさかさだお)・元大阪高検検事長(73歳)で、09年3月、大久保秘書が起訴された直後に社外取締役に就いたという。今回の水谷とどこまで関係があるかは不明だが、twitterでは早くも 「西松建設に検察大物が天下りしていたことが発覚。事件は検察の自作自演か?」 との声も上がっている。

 発覚!!西松建設に検察大物「天下り」 これが天下り検事の実態

 西松建設が招き入れた 「関西検察のドン」 事件直後に役員就任 「バッジをあげろ!」――。特捜検事が血道を上げて小沢幹事長を追求する理由には、個人的な打算もある。ズバリ、退職後を見据えた「天下り」ポストの確保だ。大物政治家を立件できるかいなかで、退官後の再就職先や顧問料の桁が違ってくる。昨年の西松事件の直後には、あろうことか大物検察OBが、操作の舞台となった西松建設に天下っていた。

● 「 ニューヨーク・タイムズ東京支局長らが告発 「“カルテル的な利益集団” 記者クラブを放置すれば日本は海外メディアから捨てられる 」

小学館 SAPIO  誌 2010年1月18日 (月)

文=上杉隆 (ジャーナリスト)と本誌取材班

 岡田・亀井両大臣の例外を除き一向に進展を見せない鳩山政権の公約「記者クラブ開放」。これがいま、海外で大変な反響となっていることをご存じだろうか。この問題は、世界から新政権の実力を測る試金石と見られているのだ。 ニューヨーク・タイムズ東京支局長をはじめ、外国特派員記者らを直撃。記者クラブ問題への見解を聞いた。

 日本の新聞、テレビは記者クラブ問題の存在を国民に知られることを恐れるためにほとんど紹介しないが、民主党政権になり、岡田外相、亀井金融相ら一部閣僚が記者会見を開放したことは、実は海外メディアから大きな注目を集めている。

 例えば11月21日付ニューヨーク・タイムズは、国際面のトップに⟨New Leaders in Japan Seek to End Cozy Ties to Press Club⟩(日本の新しい指導者たちは記者クラブとの癒着関係に終止符を打とうとしている)という長文記事を掲載した。

 他にも、「元ニューヨーク・タイムズ東京支局記者(注・筆者のこと)が訴える 日本の官僚は記者クラブを通して全国民を洗脳している」と見出しを打った台湾の中国時報を始め、シンガポール国営放送、イギリスのBBCやエコノミストなど多くのメディアが筆者などを取材し、「キシャクラブ」問題を取り上げている。

 海外メディアでこれほど関心が高いのは、「キシャクラブ」という異様な制度によって、外国特派員たちが実体験として取材の機会を阻まれてきたからでもある。

 例えば、09年7月、麻生首相が衆議院の解散と総選挙の実施を示したあとの記者会見は世界的にも注目された。そこで、イギリスのインディペンデント紙東京特派員のデイヴィット・マクニール氏は、首相官邸に記者会見への出席を申請した。ところが官邸からは、出席はできるが質問はできないというオブザーバーでの参加しか認められなかったのだ。

「私は抗議の意思表明として30分間の記者会見の間、ずっと挙手し続けましたが、結局一度も指名されず、記者クラブの記者たちからも無視され続けました」(マクニール氏)

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http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20100118-01/2.htm

 同年5月に行なわれた鳩山首相の民主党代表就任記者会見を思い出す。私が何度挙手しても一向に指されず、首相が「何で上杉さんを指さない? 最初からずっと挙げているじゃないか」と党広報スタッフを叱責したことで、ようやく記者クラブ問題に関する質問ができ、首相から「オープンにする」との言質を取れたのだ。

 後日、会見を中継していたNHK報道局の幹部に私はこう言われた。「あの会見では絶対に上杉隆にだけは当てないようにクラブ側で事前に取り決めていたんだ」と。

 私が1999年から3年間、ニューヨーク・タイムズ東京支局で記者として働いていた時代にも、記者クラブの壁にぶち当たった経験がある。

 当時の支局長だったニコラス・クリストフ氏が、「君が代・日の丸法案」を国会で通過させようとしていた小渕恵三首相(当時)への単独インタビューを企画したことがあった。そこで、私が議員秘書時代の人脈を使って小渕事務所に取材を申し込んだところ、了承が得られたが、「ただし、新聞の『首相動静』欄のために、内閣記者会にインタビューの日時と場所を知らせておいてほしい」と求められた。

 そこで内閣記者会に連絡したところ、「インタビューは認められない」と拒否された。記者クラブになぜそんな権限があるのかと質問すると、「もし首相を単独インタビューしたいなら、内閣記者会に加入申請してくれ」と言われ、なんと申請の条件から、加入が認められてから首相への単独インタビューを実現するまでの手順を説明された。これでは、実現まで一体何年かかるかわかったものではない。

 こうした事情は、鳩山首相が記者クラブの開放を公約に掲げた今も、全く変わっていない。

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http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20100118-01/3.htm

「カルテルに似た最も強力な利益集団」

 今回、先のニューヨーク・タイムズの記事を書いた現在の東京支局長、マーティン・ファクラー氏にインタビューした。海外メディアの記者の生の声を聞いていただきたい。

 記事の中で私は、記者クラブのことを「1世紀続く、カルテルに似た最も強力な利益集団の一つ」と書きました。記者クラブは官僚機構と一体となり、情報に関して独占的で、排他的な利益集団を形成しています。

 官僚機構に奉仕し、その意向を無批判に伝え、国民をコントロールする役割を担ってきたのです。これは、個々のメディアの政治的立場が保守かリベラルかに関係ありません。そのことをあらためて実感したのが、西松建設事件を巡る報道です。

 記者クラブによるほとんどの報道が検察のリーク情報に乗るだけで、検察の立場とは明確に一線を画し、なぜこの時期に検察は民主党代表の小沢氏をターゲットにしているのか、自民党の政治家は法律上問題のある献金を受けていないのか、といった視点から独自の取材、分析を行なうメディアはなかったように思います。

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http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20100118-01/4.htm

 西松建設事件の時、私も東京地検に取材を申し込みました。しかし、「記者クラブに加盟していないメディアの取材は受けられない」と拒否されました。以前ウォールストリート・ジャーナル東京支局の記者だった時には、日銀総裁の記者会見に出席しようと思い、日銀に許可を申請したところ、記者クラブに申請するよう求められました。

 記者会見への出席をメディアがメディアに依頼しなければならない、というのは異常なことです。仕方なく日銀の記者クラブに連絡したところ、当時の幹事社だった日本経済新聞社から「出席は認めるが、質問はできない」と言われました。

 私は今回記者クラブに関する記事を書くため、金融庁記者クラブの幹事社である毎日新聞の記者に、開放を拒否する理由を聞きました。彼は「記者会見に出席した誰かが焼身自殺をしようとしたらどうするのか。誰がそのことに責任を取るのか」と言いました。彼自身は、記者クラブの問題を理解しているように見え、立場上仕方なくそう言ったのかもしれません。

 記者クラブがカルテル状態にある限り、権力との間に適正な緊張関係を保ち、建設的な批判を行なうことはできず、必ず権力との間に馴れ合いが生まれます。最大の被害者は我々海外メディアではありません。日本の民主主義と日本国民なのです。

 このニューヨーク・タイムズ東京支局には、私が在籍していた当時10人以上いたスタッフがいまは3人しかいない。ワシントン・ポストは東京支局の機能を支局長の自宅に移し、ロサンゼルス・タイムズにいたっては日本から完全撤退。

 いまや「民主党が記者クラブを開放しても外国人記者の数は減っているので、手遅れ」(アメリカ人の元在日ジャーナリスト)と言われる有り様なのだ。日本は記者クラブの壁に阻まれて取材がしにくいというのが、大きな理由のひとつだ。記者クラブ制度が日本からの情報発信を妨げている。

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http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20100118-01/5.htm

世界に記者クラブがあるのはガボンとジンバブエと日本だけ
 海外に「キシャクラブ」は存在するのか。

 アメリカの場合、ホワイトハウスでの会見は、日本のように記者クラブが仕切ることはなく政府主導。参加も基本的にオープンで、事前に申請して許可を得れば、どの国のどのメディアでも参加できる。「ホワイトハウス記者協会」なる団体があるが、日本の記者クラブとは違い、単なる親睦団体だ。

 フランス、ドイツなど欧州各国も同様だが、イギリスには、英国議会にだけ記者クラブに類似したロビー記者と呼ばれる存在がある。ロビーパスにより議会への出入りを許された一部記者だけがオフレコ会見などで情報を得ていたのだが、97年に誕生したブレア政権によって、会見の一部が外国メディアなどにも開放された。ただし、議会を除けば省庁への取材はオープンである。

 韓国でもかつては日本に倣って記者クラブが存在したが、03年に誕生した盧武鉉政権が記者クラブ廃止を宣言、影響力の強いネットメディア・オーマイニュースなどに門戸を開き、省庁の記者室を全廃し会見を合同ブリーフィングセンターに集約するなどした結果、記者クラブの解体が進んだ。

 現在、日本に似た記者クラブ制度が残っているのはガボンとジンバブエ。先進国では日本だけという特殊な制度である。


●「石川知裕議員逮捕は違法逮捕だった! 」

週刊朝日の記事の内容を報告 2010年1月26日
http://d.hatena.ne.jp/Tony_Shikaku/20100126/1264512919

(全文転載)
 非公式情報だけれど先週最も売り上げのあった週刊誌は「週刊朝日」だったらしい。 どの週刊誌もトップ記事は 「小沢一郎対東京地検特捜部」 関連だったのだが、週刊朝日を除く他の全てが検察側から記事を書いているのに対し、週刊朝日だけが検察の捜査手法や検察べったりの報道のあり方に疑問を呈していたのが特徴だった。

 特にジャーナリストの上杉隆氏(うえすぎたかし) の「検察の狂気」と題された記事は特集のトップに置かれ、 厳しく東京地検特捜部の捜査のあり方と記者クラブメディアの報道を批判していて、twitter等ではフリーランスのジャーナリスト達の多くがこれを読むように勧めていた。

 そして今週になると週刊ポストやサンデー毎日などが視点を検察一辺倒から中立或いは小沢一郎側へとシフトし始めた。 週刊朝日の売れ行きを見て気が変わったのか、或いは本当に検察に対する疑問が一週間で湧き上がったのかはよくわからないけれど、兎に角週刊誌ジャーナリズムが少しづつ動き始めたようである。

 小沢一郎は確かに権力者でありジャーナリズムはその権力を監視しなければならない。しかし一方の検察も権力である。それなのに今のジャーナリズムは検察の持つ国家権力を放置し、一方の小沢一郎を叩くことだけに懸命になっている。これを好意的に言うと片手落ちといい、正直に言うと権力の走狗(そうく)という。

 さてその週刊朝日を買ってきた。今回の特集もやはり「小沢一郎対東京地検特捜部」の特集なのだが、ここでの注目記事はジャーナリスト上杉隆氏の取材で明らかになった新事実である。タイトルは勇ましくも「検察の卑劣」である。重要な部分を一部抜粋する。

(引用はじめ)

 (2010年)1月13日午後4時45分、突如、議員会館の石川事務所に見知らぬ人物が押しかけた。衆議院事務局議員会館課の女性職員に案内されてきたのは東京地検特捜部の事務官ら7人である。

 石川の部屋の前の廊下には記者たちが取材機会を求めて待機していた。その目の前での出来事だった。 捜査は極めて強引であったようだ。まずドアをノックすることもせず、会館の職員が東京地検の事務官を部屋に引き入れると、捜索令状も見せずに、内側から勝手に鍵を閉めたのだ。

 その間、捜査事務官たちは、部屋のモノには手を触れないように秘書たちの行動を制限している。約30分後、石川本人が検事と共に部屋に戻ってくるまで無断で占拠し続けたのだ。 つまり、少なくとも30分近くの間、令状もなく国会議員の部屋が無断で東京地検に“差し押さえ”られたのだ。これは違法行為ではないのか。(P25)

(引用終わり)

 上杉氏が特捜部関係者のひとりに確かめると「令状なしの家宅捜査は聞いたことがない」との答えが返ってきた。また土本武志(つちもとたけし) 元最高検検事は明確に 「それは脱法行為である」 と断定した。 つまり石川議員逮捕は手続きに不備がある違法逮捕だった可能性が高い。

 さらには翌朝石川議員の秘書がその部屋に出勤すると、押収されているはずの石川氏の携帯電話が机の上に忘れられていて、弁護士を通じて検察に電話すると 「じゃあ、持って来てもらえますか?」 などとのんきに曰ったというのである。勿論この携帯電話は押収物リストに記載されていたのである。

 この上杉氏の記事の前半部では検察が体調を理由に聴取日程を日曜日の党大会の日に延期して欲しい という石川氏に対して、 検察が恐喝した行為も明らかにされている。 それは石川市の女性秘書が赤ちゃんを連れて出勤しており、石川氏の部屋にベビーベッドを置いていることによりそのことを知った検察が言った言葉である。

「あの女の秘書、小さな子供がいるんだろう。(事情聴取に)呼ばれたら、困るんじゃないか?」(P24)

 このような人の弱みにつけ込むのは検察の常套手段のようで、鈴木宗男議員も証言している。

(引用始め)

「私にもね、経験がありますよ。検察はこうも言いましたよ。 『捜査に協力しないと事務所の女性秘書を逮捕するぞ』 って。 でもね、彼女は、当時、重い病気だったんですよ。それを、結局、私がいっさい調書に応じないからって、本当に逮捕したんです。 許せんですよ、本当に。結局、彼女は亡くなってしまったんです」(P24-25)

(引用終わり)

 記事にはないが付け加えると、この鈴木宗男議員の女性秘書は重度の癌を患っていて、頻繁に病院での治療が必要な状態だった。そして逮捕されるとその治療さえも制限されたという。また公職選挙法違反で (事後買収) で失職した出口晴三元葛飾区長も証言する。

(引用はじめ)

 出口が(調書にサインを)拒んでいると「じゃあ、女房を呼ぶぞ」という例の脅しが始まった。 「それでも応じないでいると、許せないことに、当時中学3年生の長男を呼んだんです。未成年ですよ、まだ14歳の。そこで検事はこう聞いたそうです。『おまえも父親のような政治家になりたいのか』って」(P25)

 そして上杉氏は続ける。 小沢事件でも同様だ。新聞はこう書いている。

<小沢の妻も事情聴取へ>

 そして、小沢自身が任意の事情聴取に応じるとした途端、次のような記事が出た。
<妻の聴取、見送りへ>

 上記は上杉氏の記事からの一部抜粋であり、興味ある方は是非週刊朝日をご自分で手に取ることをお勧めしたい。新聞やテレビなどの記者クラブ依存型ジャーナリズムとは違った視点をみることが出来るだろう。そしてこの「小沢一郎対東京地検特捜部」の最も焦臭い部分、つまり、検察側の一方的な情報だけが報道されることの恐ろしさを皆が共有するべきだと思う。

 検察も権力であり、その暴走に報道が荷担していることは、戦前の軍部に当時の報道が追従した結果、戦禍を広げ莫大な犠牲者を出した歴史から何も学んでいない証拠である。


● 「申入書(もうしいれしょ)」
2010年1月16日
http://uonome.jp/article/yasuda/814

法務大臣殿 千葉景子殿
検事総長殿
東京高等検察庁検事長殿
東京地方検察庁検事正殿
被 疑 者  石  川  知  裕
弁 護 人  安  田  好  弘(やすだよしひろ)
同      岩  井     信 (いわいまこと)

 政治資金規正法違反被疑事件における上記被疑者に対する取調について、公正な取調を確保し、自白強要を防止するため、直ちに以下の事項を実施するよう申し入れます。これらが履践されないとき、被疑者の当該調書に「任意にされたものでない重大な疑い」が生じることを、予め御承知おき下さい。


第1 申し入れ事項
 公正な取調を確保し、自白強要を防止するため、
1 すべての取調を可視化(一部ではなく、取調全過程のテープ録音ないしビデオ録画)すること。
2 1日の取調時間は合計4時間以内にとどめ、その間に、少なくとも30分以上の休憩(取調官と隔絶した場所における休憩)を確保すること。
3 1週間に少なくとも2日の割合で、取調のない日をおくこと。
4 黙秘権を十分に尊重し、被疑者が黙秘権を行使した場合には、その手段の如何を問わず、黙秘を止めさせるための一切の働きかけを行わないこと。
5 弁護人の接見の回数と時間を確保し、十分な弁護を受ける機会を保障すること。
6 調書を作成するに当たっては、本人が弁護人に対し、事前に調書の内容について相談し、その助言を得る機会を確保すること。

第2 取調の全面可視化について

1 取調の全面可視化要求は、憲法13条の自己情報支配権にもとづく自らの供述を正確に保持する権利として、憲法38条1項の自己負罪拒否特権を手続的に担保するための必要最少限の保護措置として、憲法31条、法1条の適正手続と実体的真実主義を全うする趣旨において、憲法38条2項、法319条1項、32 2条1項から導かれるというべき「任意性」を あらかじめ担保・設定することが出来る被疑者の権利の最少限度の担保措置として、憲法34条・憲法37条3項の弁護人依頼権から当然導かれる権利として、各条文上の根拠にもとづき要求するものである。

2 足利事件をはじめとして、取調の可視化は、捜査機関の自白強要やえん罪を防止し、刑事司法の適正化を確保する上で、不可欠であることが、広く社会一般で確認され、要請されている。

3 しかも、すでに、法務省においても取調の可視化導入の検討に入っている。

4 本件における任意の事情聴取においてさえ、検察官は被疑者に対して、「容疑を認めないと帰さない」等の脅迫的な取調による自白強要を行っている。

5 したがって、上記事項を申し入れるものである。

以上

 

●「小沢定例会見の貧しい追及内容」

日刊ゲンダイ2010年1月26日 掲載

同じ質問ばかりに幹事長は涼しい顔

 毎週月曜日、民主党本部では小沢幹事長の定例会見が開かれる。土曜の東京地検の事情聴取を受けて、25日の会見は、土地取引に関する質問一色だったのだが、どうも大マスコミの記者たちの質問は精彩を欠くというか、同じ話の繰り返し。小沢を攻めあぐねているのが明らかなのだ。

 小沢を“容疑者”と誤って呼んだ全国紙があったように、大新聞の社会面は、連日、小沢がいかに「グレー」かを伝える記事のオンパレード。25日も、読売が4億円の原資に「家族名義」の現金が億単位であったことを疑惑として伝え、読売の記者が定例会見で小沢に問いただした。

 しかし、小沢は顔色ひとつ変えずにこう答えた。 「私は平成3年に心臓病で入院した。人生とか命とか、万が一の時に、という意識があって家族名義にしたのではないか」   大病を患った際に財産を家族名義にすることは、一般によくある。大騒ぎするような話なのか?

 現金で保管されていたという個人資産と政治資金の管理態勢についての質問では、「いったいどういう金庫だったのか」という理解不能な問いかけが飛んだ。質問の趣旨はまさか金庫の形状?

 これには小沢も「どういう金庫かどうか、ここで説明するあれはないですけど……」と苦笑だった。
「監督責任は?」「幹事長職はどうするのか?」など、なんとかして“言質”を取ろうという質問も目立った。小沢定例会見に継続して出席している日本インターネット新聞の田中龍作氏がこう言う。 「幼稚というか、耳にタコというか、前にしたような質問ばかりですね。検察のリークに乗って、みな同じ方向を向いているから、同じような質問しか出てこないのでしょう」

 会見は15分強で終了。小沢は、「それでは、また。定例会見はまだ行いますので、(追加の質問は)その時に。ありがとう」と朗らかに挨拶して去っていった。 大マスコミは「説明責任を果たしていない」と小沢を叩いてきたが、記者たちも少しは「質問責任」を勉強した方がいいんじゃない。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝


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