「73」 「副島隆彦の国家戦略論の背景」という、私の過去の文章の一部をまとめたものがありましたので、ここに載せます。2008.2.11
副島隆彦です。今日は、2008年2月11日です。

学問道場には、「文庫の倉庫」というページがあって、そこに、以下のような文章が「10年前の昔から、ひっそりと倉(くら)に入れてある」という感じで置かれています。「文書の倉庫」の再利用と、活用を今から考えなければと、思います。
以下の私の本、数冊からのまとめは、丁度10年前の、1998年に、北島智雄(きたじまともお)君が、自分の勉強も兼ねて、やったのだと思います。 副島隆彦拝

(転載貼り付け始め)

「副島隆彦の国家戦略論の背景」

次の文章は、1998年頃までに書かれた、副島隆彦の国家戦略論に関する文章のダイジェスト版である。

 これを読めば、なぜ副島隆彦が日本随一の民間国家戦略家と呼ばれるようになったかが分かる。

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「21世紀の日本を考える」

 序文

 世界は、少なくとも今後100年ぐらいは、民族・宗教・人種の違いを超えることはできない。

だから、21世紀になったからといって、「世界市民主義者(cosmopolitan)による、世界連邦の運営」などという政治体制が実現するとは考えられない。国民国家(nation state ネイション・ステイト)と、主権国家(sovereinity ソブランティ)という考えは、まだ当分は死なないのだ。人類は、当分は、「国家が世界を割拠している」下で生きていくしかない。

 もちろん、日本だけが、勝手に、世界の現実、即ち、国家と国家の利害のぶつかり合いを中心として動いている現在の世界、を廃止に向かわせる、などと考えるのは、相当におかしい。

 あくまで、日本の置かれている現実を前提として、論を進めていくべきである。

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 二十一世紀の日本を考えるにあたっては、まず、この国の現状を精確に見極めなければならない。
 そのためには、今日にまで至った歴史を、冷静に振り返る必要がある。

1.歴史
 日本は、古代以来、1850年代まで、中国の属国であった。

 断っておくが、属国というのは植民地(コロニー)のことではない。歴史上の類推でいえば、紀元前後の世界帝国であったローマの属州(プロヴァンキア)のことである。支那歴代王朝(中華帝国)の用語でいえば、藩国、あるいは冊封国という。

  冊封国の支配者たちは、中国の歴代皇帝に朝見して、臣下の礼をとった。彼ら属国の支配者たちを、皇帝に対して、「王」あるいは「国王」という。

 たとえば、室町時代に、足利幕府の武家政権は、明王朝から「日本国王」の称号を頂戴していた。中国から見れば日本は属国同様であったが、一方で日本はこの事実に激しく反発を感じて抵抗してきた国である。日本の天皇は、古代から一貫して、支那の皇帝の権威を否認し続けてきた。

 1853年の黒船来航によって、米国インド洋艦隊の提督マシュー・カルブレイス・ペリーの砲艦外交(ガンボート・ポリシー)で、無理やり鎖国をこじあけられ開国してからは、米国(もしくは英国)に軍事的、経済的、文化的に服属してきた。

 シー・エムパイア(海洋帝国)としての米国と友好関係を築き続けたことは、日本の近代化にとっては幸運であった。
 ところが、日露戦争から大東亜戦争敗戦までの間に、国家に対する求心力が高まってくると、日本は西欧諸国と米国に対して反抗的になり、東アジアにおける独自の地域覇権(リージョナル・ヘジェモニー)確立を目指し、即ち「大東亜共栄圏」構想を打ち出し、世界の殆どを敵に回して戦いを挑み、そして敗北する。

  その後日本は、米国の、ソビエト・中国の共産主義に対する「反共の防波堤」としての役割を東アジアで担い、東西冷戦の狭間で「吉田ドクトリン」により軍事負担を免れ、上手に行動して、経済的繁栄を勝ち得た。

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  以上が、歴史の概略である。
 次に、日本の現状を述べる。

 2.現状

 私たち日本人は、かつて東欧諸国が、1991年に崩壊する以前はソビエト帝国(ソビエト連邦)の「衛星国(サテライト・ステイツ)」であると学校の教科書でも習い、そのように理解していた。

 だが、では日本はずっと米国の衛星国ではなかったのか、という内心の疑問に対しては、あえて目をつぶり、回答を先送りして生きてきた。

 先の戦争で日本は米国に完膚なきまでに叩きのめされ、おまけに残虐な原子爆弾まで投下されて敗戦した。日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏したとき、世界中の人々は、日本国民が命乞いをしたのだと考えた。頭を下げ、生き延びさせてもらった、と。

 だが私たち日本人はそうではない。あれはただの普通の「終戦」だと思ってきた。戦後、米国に屈服して生きてきた日本の伝統保守派(日本民族の優等性を信じる)の人々の深く傷ついた自尊心を私は理解できるし、その一方で、日本が、米日同盟を基本にすえて貿易立国、経済大国となって生き延びてきた現実直視型の方向判断も間違っていなかったと明言することができる。

 その代わりに、日本はいろいろな代償を払い続けた。
 米ソ対決の冷戦時代に、米国の世界覇権の一翼を担うべく属国となって諾々と生きてきた。

 日本の現状を一言でいい表すと、世界帝国アメリカの、属国のひとつ、ということになる。これは何も日本だけのことではなく、私の研究では、1970年代を境に、フランスや英国もアメリカの(部分的)属国と化したのである。

 私が属国日本に対して、世界帝国アメリカという時の、世界帝国の「帝国」という概念は、「領域支配」を含まないのだ、ということをここで理解してもらいたい。

 「帝国」というのは、例えば、高校・世界史地図帳の中に、ペルシア帝国の最大領土とか示して、世界地図上に赤色でぺったり塗ってあるが、実際の歴史上の帝国(覇権国)はあのようなものではない。

 属国の服属関係にもいろいろなものがあり、完全に武力制圧された国から、政治的には独立したまま経済交易だけが帝国に従属しているというような場合もある。

 従って、一様に地図を赤色で塗りつぶしたような感覚で帝国というものをとらえてはならないと思う。 即ち、帝国とは領域支配を意味しないのである。

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これで、日本の現状の概略を述べることができた。
 次に、これからの日本の国家像を考えるにあたり、避けては通れない大前提について述べていきたい。

 3.大前提

  我々が今すぐにでもやるべきこととは、(米国という)世界帝国の内部の思想勢力のことを、もっと本気で本格的に研究することである。そして彼らの意図を見抜くことである。孫氏もいっているではないか。「敵(原典では彼)を知り、己を知れば、百戦して始うからず」と。

 とはいえ私は、反米を唱えるつもりは毛頭ない。なぜなら、経済が何より大切であり、政治はそれにつき従うものであると、私は考えるからだ。現在、日本は、輸出と輸入の四割を、米国に頼っている。日本は、経済的に米国に依存しているのである。

経済の生命線である石油の確保を、米国の国際石油資本に握られている。中東からのオイルの輸送ルートも米軍の海洋支配力に守られているのである。経済が何より重要なのだ。

  さて、アメリカでは「政治思想」というものが生きており、最高の知性を備えた者たちが政治権力の座につくことが多い。


(図1)※画像が見にくい時はクリックしてください。

  アメリカ現代思想における、各流派の全体像と対立構図を大雑把に挙げると図1のようになる。これはものすごく大柄な図式だが、世界覇権国家であるアメリカについて、本質的な部分が分かるように私が苦心の末に独力で作ったものである。


  アメリカ政治は、当たり前のことだが、大きく見れば民主党と共和党の二つに区分できる。アメリカの二大政党政権交代システムは、揺らいできたとはいえいまだに健在で、共和党=金持ち層や企業経営者層の保守的な考えを代表する政党。民主党=労働者・移民・黒人・マイノリティーの支持するリベラル派の政党。という基本理解はクリントンの超党派(=中間派)的態度を考慮しても、なお間違ってない。

 だが、このことを前提にしたうえで、共和党と民主党の内部はさらに分かれていることを知らねばならない。つまり、アメリカの政界は、ごく大まかには六つの潮流に分かれており、それらが入り乱れて内部抗争を起こし、権力闘争を行っていることを意味する。

 この六つの「派閥」は、それぞれ現代アメリカ政治思想の各流派として存在するものであり、日本の自民党の派閥とは違って、強固な政治思想を各々その背景に持っている。だから内部抗争といっても、日本の政治のようにカネと実力を持っている政治家の周りに人々が群がるという、東アジア型の伝統的な一族郎党型のそれではない。

 アメリカ人は近代人(モダンマン)であるから、アメリカ政治は、あくまでより優れた政治思想の周りに人々が結集するのである。

 すなわち、日本のような土建屋政治ではなくて、最高の知性と思想を持った知識人たちがそのまま政治家にもなり、時には政治権力を握ったりするのである。例えば優れた学者政治家には、過去にはプリンストン大学の学長を務めたあと大統領になったウッドロー・ウイルソンがいたし、現在でもダニエル・パトリック・モイニハン上院議員のようにハーバード大学政治学教授から連邦議会で尊敬され長老議員として発言力を持っている人物がいる。他にもたくさんいる。

 この哲学・政治思想を軸とした六大流派が分からなければ、アメリカ政治を理解したとはいえない、と私は考える。


(図2) アメリカ政治の6大潮流

共和
(1)伝統保守派(保守本流)=エドマンド・バーク主義(バーキアン)=「自然法」(ナチュラル・ロー)派

共和 (2)現実保守派=ジョン・ロック主義(ロッキアン)=「自然権」(ナチュラル・ライツ)派

民主(3)現代リベラル派=「人権」(ヒューマン・ライツ)派、福祉推進派

民主(4) 急進リベラル派=アニマル・ライツ派、環境保護派、反資本主義、反体制派

共和(5) リバータリアン派=ジェレミー・ベンサム主義(ベンサマイト)=「人定法」(ポジティブ・ロー)

共和(6) ネオ・コン派=新保守主義、外交・軍事問題におけるグローバリスト

限られた紙数でアメリカ政界のすべて(図1)を説明するのはとても無理なので、代表的な六つの勢力を図2のように並べ直してみた(詳しくは拙著『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』講談社をお読みいただきたい)。

  それでは、ここからこのアメリカ政界の六大潮流をひとつずつ解説してゆく。

(1)伝統保守派(保守本流)。これはバーキアンBurkean(エドマンド・バーク主義者)=「自然法」派である。

  彼らは「人間社会には、社会を成り立たせている自然の決まり、掟(natural law)がある」と考える。この伝統保守派の代表は、長年『ナショナル・レビュー』という政治評論誌の編集長を務めているウィリアム・バックレーという老大家の評論家である。

 彼こそは”アメリカ保守の守護神”と呼ばれて、歴代共和党大統領から尊敬されている人物である。日本でいえば小林秀雄や福田存にあたる。その後継者はABCのコメンテイターのジョージ・ウィルである。

 アメリカの正当保守派はほかに、レオ・シュトラウス(シカゴ派哲学の大御所)や、フリードリヒ・ハイエクのような日本でも知られた古典保守思想家も含まれるが、同じ保守思想でも、アメリカ土着の保守であるラッセル・カークらのフィジオクラット(重農派)や後述するリバータリアン保守派とは区別される。このウィリアム・バックレー派の知識人の大部分は共和党の本流として保守勢力の中心を支えている人々である。

 バーキアンの標語は人類の歴史をとうとうと貫く普遍の真理を暗示する永遠の相の下に”という言葉である。だから彼らは本来あまり泥臭い現実政治には関わりたくないと思っている。

 この(1)のバーキアンとともに保守二大思想でありながら、バーキアンと激しく対立するのが、(2)のロッキアンLockean(ジョン・ロック主義者)である。これが「自然権」(ナチュラル・ライツ)派である。

 彼らは自然法の存在そのものは認めながらも、ジョン・ロック(およびジャン=ジャック・ルソー)が唱えた「すべて人間は、決して奪うことのできない固有の権利 inalienable rightsとして生命・身体・財産の自由を持つ」という言葉に基づく自然権のほうを重視するロッキアンもバーキアンと同じく自然法(人間社会を貫く自然の掟)を認めるのだが、それよりもこの自然権の方をより重要なものと考える。

 ロッキアンは具体的にはアメリカのエリート層である実務官僚や法律家や現実的な政治家たちの集団であって、彼らロッキアンは、「法や思想が何を語っているかを問うよりも、自分たちは個々の法律を解釈運用し実際に社会を運営するのだ」と考えるきわめて現実的な保守思想である。

 この自然権派の現在の代表は、ロバート・ボーク(イエール大学法学部教授、連邦高等裁判所裁判官もしていた)であり格調高く、かつ激しくリベラル派批判をする人物である。

 (1)のバーキアンはこのロッキアンに対して、「そんなに憲法典を高く持ち上げてどうするのか。憲法が各種の人権を保障したからといっても、それはどうせ紙キレだろう」と強い疑いの念を持っている。このバーキアン(自然法派)とロッキアン(自然権派)の巨大な対立軸のことが、この百年間、日本の政治知識人層には全く分からないのである。

 この近代憲法典(フランス人権宣言やアメリカ憲法)が定めたジョン・ロック主義の「生命・身体および財産の、国家からの自由・独立・不可侵」という自然権を二十世紀に入ってから、更に勝手に拡張して、「憲法はすべての人間の生活と生存を保障している(つまり社会福祉を保証している)」と言い出したのが、(3)の「人権(ヒューマン・ライツ)派」たる現代リベラル派である。 この人権派は(2)の自然権という古典保守思想から派生したものだが、今や世界中で最大勢力である。

 日本では、本来(2)の自然権派であった福沢諭吉や、「民本主義」の吉野作造の思想が、(3)のリベラル人権派のなかに飲み込まれて行方不明になってしまい、リベラル人権派との区別がつかないまま今日に至っている。

 この人権派は、実際には、社会主義(マルクス主義)思想の影響を受けつづけた人々の思想である。この人権派は、当然のことながら保守思想ではなくて、左翼的であり、文字通りリベラル派である。あくまで(2)のロッキアンの自然権派と区別をつけなければならない。このことが日本知識人層にはわからないのだ。

 この人権派は、現在も世界中で大勢力であり、「世界人権宣言」や日本でも日本国憲法に定めがあることを根拠にして、この福祉推進・弱者救済の人権派が主流・多数派なのである。アメリカ民主党はこのリベラル派の政党である。それはニューヨーク・タイムズ紙やワシントン・ポスト紙に代表される言論である。

 そしてこの、(3)の人権派の立場をさらに極端にしたものが、(4)の「動物の権利」派で、いわゆる環境保護派、女性解放、ゲイ保護、少数者の権利保護を唱える過激な立場の人々である。日本にもこの急進リベラル派は今でも残存しているので、理解は容易だろう。

 実はもうひとつ巨大な思想勢力がいる。

 アメリカの保守思想には、(1)(2)の外に、同じくイギリス近代政治思想からの源流を持つ(5)のジェレミー・ベンサム主義(ベンサマイト Benthamite) という特異な勢力が存在する。このベンサマイトは、近年アメリカで隠然たる大勢力になりつつある思想派閥である。このベンサマイトのアメリカ的展開を、”リバータリアン”という。

 十九世紀中ごろのイギリスの奇妙な思想家、ジェレミー・ベンサムは、エドマンド・バークやジョン・ロックの思想に激しく反対した。「その自然法や自然権というものが在るのなら、私に見せてみろ」と言い放ったのである。したがって、この立場からは、人権派などはさらに木っ端微塵である。ベンサムは「憲法典に書いてあるからといって人権が無条件に至上のものとはならない」と主張する。

 このベンサム主義の立場を、”ポジティブ・ロー”(Positive law)という。日本の法学者たちは、これを「実定法」と訳しつづけて、彼ら自身にもこのポジティブ・ローという法思想の核心点は全く理解できず、意味不明のままである。

 このポジティブ・ローは、本来は「人定法」と訳すべきだ。
 ポジティビズムとは、「社会のキマリは、神が決めるのではなくて、この地上の人間たちが決めるのである」という考え方である。「人間たちが人為的に、現実世界のルールを作るのである」即ち、「自然の法」ではなく「人定」の思想なのである。

 だからポジティブ・ローとは、「神や自然が、法を人間に与えるのではなく、法は人間たちが決める」という政治思想かつ法思想なのである。

 当然、この立場は「何が正しくて、何が公平で、何が善であるかも、我々人間が決める」という、恐るべき、神、自然法の否定の思想となる。ベンサマイト(ベンサム主義)は、徹底的な社会工学的な思想であり、ヨーロッパ近代思想の最後に登場した、巨大な星である。

 リベラル派の人々から見れば、悪魔の思想として憎しみの対象となる。現に、社会主義思想を大成したカール・マルクスは、同時代人ベンサムを「最悪の俗物ベンサム」と呼び、ジョン・メイナード・ケインズは、「蛆虫ベンサム」とののしった。

 ところが、このベンサム主義は、海を渡っアメリカにも出現し、現在のアメリカ思想界にひとつの大きな華を咲かせた。それを、「リバータリアニズム」という。

 この表の(5)のリバータリアニズムは、アメリカ開拓農民の伝統の中から生まれたものである。リバータリアニズムは、アメリカ共和党の中の強硬な保守派である。これは、簡単に定義すると「市場原理=経済法則を全てに優先する」思想であり、「強固な個人主義を貫く自由主義」ということになる。このリバータリアニズム(Libertarianism)は、あえて短くいえば「反福祉、反ヒューマニズム、反官僚制、反税金、反国家」という恐るべき思想である。

 最後に、外交・国際問題における「世界の警察官」理論を推進しているのが表の(6)の「ネオ・コン」派という特異な知識人集団である。ネオ・コンサバティズムNeo-Conservatives、つまり「新保守主義者」である。

 このネオ・コン派こそは「アメリカの力によってこれからも世界を管理・支配・指導してゆこう」という頭脳集団であり、別名グローバリストともいう。

 このネオ・コン派の理論的指導者で代表は、ジーン・カークパトリック女史である。この女性はレーガン政権の国連大使(閣僚待遇)を務めた女傑である。

 彼らは学生時代は民主党急進派の左翼学生だったのだが、「社会主義の理想を裏切って醜い収容所国家と化したソビエトへの憎しみ」をつのらせて、保守派に転じて、やがて超高学歴の政治学者に成長し、レーガン共和党政権に登用され対ソビエト軍事強硬路線を敷いた人々である。

 そして、91年にものの見事にソビエトを崩壊させたのは、まさしくこのネオ・コン派の人々の世界戦略なのである。

  以上で、六つの拮抗するアメリカの思想潮流をごくごく大ざっぱに概観した。アメリカの政治を観察するときに、大きく彼らの政策や言動の背景に流れているこれらの政治思想の全体像を読みとらなければ、何も分かったことにはならない。

 これらの六大思想派閥は一見複雑に見えるが、みな背景にヨーロッパ近代の大政治思想を源流に持ち、この200年来の大柄な思想的対立軸で動いている。

  実はヨーロッパ各国の最高の政治研究所の類も、これと同じ理論構造でできている。フランスやドイツの本物の最高の知識人たちは、「どうやったら、自分たちが、アメリカの支配から脱却できるか」を本気で考えている人々である。


4.日本がこれからやるべきこと

  国家の正しいあり方は、やはり指導者たちが、国民の賢い層500万人ぐらいに、直接、本気で正直に真実を打ち明けて相談し、指導者と国民が団結することである。その上で、自力で生きてゆける国家を目指すことである。

 そのためには、真に賢明な国家戦略を立てることのできる人材数万人を、これから意識的に育ててゆくことが大切である。

  日本は、敗戦後55年間の間、国家戦略研究所(インスティテュート・フォー・ナショナル・ストラテジィ)を持たされないままやってきた。「国家戦略」という言葉を使うと、このストラテジィ(戦略)という言葉が、すぐに軍事的な響きを持つので、「平和国家・戦争放棄国家」日本の根本理念に反するとされて、この言葉の使用がはばかられてきた。

 しかし、ナショナル・ストラテジィというのは、私たちのこの国が、国際社会の中で、この先、どのように生きてゆくかをあれこれ考える知識と学問のことである。決して、単に軍事的なものではない。

  国家戦略研究とは、近い将来に起こるあらゆる不測の事態に備えて、それらに対応できるように、想定的に何百個もの理論と対策を予め作っておくことである。だから国家戦略研究所とは、このための国家レベルでの理論センターのことである。

 日本に現在あるのは、大企業や財界が持っている各企業ごとの経営・経済戦略、あるいは技術戦略である。その他には、防衛庁の幹部たちがアメリカ軍幹部に手取り足取りで教え込まれている防衛戦略である。

  そしてこのレベルでとまっているのである。今の日本にないこのレベルを一段上に突き抜けた国家戦略を立案する人材も頭脳も、皆無である。これは国家としての危機である。

 私たちは、だから、やはり、今こそ、自分たちの運命を自分の手に握るべく本気で自分の頭で考えて、あれこれ予測できるようになるべきだ。

  そのために、ワシントンのシンクタンクに似た、国家戦略研究所群を作らなければならないのである。

 ただし、各省官僚OBたちからなる研究所であってはならない。役人・公務員は、官僚機構の中で、自己保身に走るから、利害関係がからんで研究内容の公正さと客観性が保てない。これらの国家戦略(政策)研究所は、日本にもたくさんある。

 アメリカにあるのは、世界戦略研究所だが、日本に必要なのは、本物の国家戦略研究所である。台湾や韓国でさえ、独自の国家戦略研究所を持ち、ワシントンにその支所を置いている。
  そこでは、アメリカの政治思想や政治勢力の分析も細かく行っている。台湾や韓国の戦略学者は、アメリカの役人と互角に渡り合っている。

 (なお、この文章は、『属国・日本論』『日本の秘密』『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』他に収録された文章を加筆・再構成したものである。)

 (転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

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