「22」 ネット上で拾った、私自身がかつて書いた文章を何本か載せます。
副島隆彦です。ネット上で拾った、私自身がかつて、4、5年前に書いた文章(小論)をいくつか載せます。 副島隆彦拝

(転載貼り付け始め)


●  [95] 浜田和幸氏のグリーンスパン論

投稿者:副島隆彦 投稿日:2000/02/21(Mon) 03:55

副島隆彦です。つづきです。
  「文藝春秋」2000年3月号に載った浜田和幸(はまだかずゆき)氏の評論文について、私の感想を書きます。
浜田氏ともあろうものが、この程度のアメリカ思想理解か、と落胆しました。

 私は、『ヘッジファンド』(文春新書)を書いた浜田氏と、共闘しようと考えていました。 それは、グローバリストたちの動きを彼なりに、向こうの新聞を丹念に読んで解明しようとしていたからです。 とくにジョージ・ソロスをロスチャイルド系と見破ったのは、日本人としては最先端です。

ほかの日本言論人たちは、満足に向こうの新聞を読む力もありませんから。本当のところは。 中西輝政(なかにしてるまさ) 氏あたりでも、どうしようもない。私の本を読んで、後追いでなにか書こうとしているからです。

他の言論人たちも、まったくアメリカ政治分析ができていません。世界で通用している政治思想を、よちよち歩きでいいから、自分の頭で世界基準で知ろうとするところからはじめなからです。 私は、そうやって自力でなんとかしようと苦闘してきた。 正直にやれ、ということです。

浜田氏は、リバータリアニズム という言葉は、ひとつも使っていない。知らないだろう。 このタイトル文を付けたのは、文春の編集者だろう。

まったく馬鹿ですね。この程度の頭で、度量のひろい政治評論理解者のつもりです。 アイン・ランドを、「カルト女流作家」などと書いて、それで当然だと思っている。アメリカの保守思想の大きな流れのかけらも知らない。

 なんにも知らないで、戦後の55年間を、日本の土俗保守派全てが、生きてきた事を、よくよく証拠だてています。
アメリカのニューディーラー(=元祖グローバリスト)が、吉田茂以下のおかしな日本保守指導者層を育てたことに起因します。日本の保守派は、アメリカのリベラル派に育てられたのです。

 私は今書いているこの文章を、あとでファックスで、文春の編集部に送り付けることにします。 私の担当者なる人も文春内にいるのですが、そんな社内事情など、かまっていられません。
すべては、私の書いた『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』(講談社 プラスアルファ文庫)の理解を前提にしか、この国では始まらなくなっているのです。

ほんとうに日本はアメリカの属国です。この理論を苦労して15年かけて築いたのは、私です。

 石原慎太郎や福田和也ら20人ほどが、それを、どれぐらいたくさん、恥しらずにも剽窃・盗文したかを、これから徐々に明らかにしてゆくつもりです。このネット(情報通信)革命のおかげで、こういう表現行動ができるようになりました。当然、反論も、堂々となされなければなりません。

このグリーンスパン論は、浜田氏が、あれこれの種本を使って、(それもだいたい私にはわかります)面白い紹介文になっています。

どうせ大きくは、日本知識人というのは、思想知識学問の密輸業者でしか、ありませんから。 この日本語と言う言語の壁を利用した、原住民のまじない師の集団です。

 いよいよ、私のような人間の出現によって、それらの秘密が、公然と暴き出され始めているのです。 私は、もう決めたのです。もう我慢しない、と。 あらゆる種類全ての言論統制と戦うのだ、と。

グリーンスパンFRB議長が、若い頃から リバータリアンだ、ということは、アメリカの知識人層ならみんな知っていることです。 アイン・ランドの思想の熱烈な信奉者だということも。 ですから、彼が原理的な市場尊重主義者(資本主義の原理的擁護者)であるのは、あたりまえです。

なにを今更、という感じです。私が、いつも書くとおり、日本で一流とか思われている学者知識人たちなど、 欧米の高校生並みの知性なのです。

 はやくこの事実をみんなで認めたほうがいい。 言葉の壁がどうにもならない、の問題についても、私が、10年まえに『欠陥英和辞典の研究』を書いて闘ってきたのです。

浜田氏が、最後のほうで、「しかし、これはあくまで単年度ベースで見た数字に過ぎず貿易赤字ともども累積する双子の赤字は・・・・」以降は、私の本、『悪の経済学』その他から、学んだのだろう。

日本は、文明の周辺属国だから、特に、知識人層が、知識泥棒ぐせがあって、これが2000年間、抜けない。

 浜田氏は優秀なほうである。 彼が、私の本を読んでいることは、編集者たち(廊下ひばり)たちを通して、私は知っています。 やはりたちのこの、日本リバータリアニズム運動(NLM)で、アイン・ランドの本を何冊か翻訳することは、大切なことだ、と、いま、決断しました。明人くん、皆さん、がんばりましょう。

 古村(ふるむら)くんが、書いていたとおり、アメリカの大学生で知的な人は、みんな、アイン・ランドの本を読むのです。
30年ぐらい前からそうなのです。 アホ・リベラルで終わりたくなかったら、みんな気づくのです。 ランド女史が、ウェストポイント(陸軍仕官学校)で行った講演などは、じつにすばらしいものです。

 アイン・ランドが、アメリカの保守本流(バーキアン)である、大御所保守評論家のウィリアム・バックレー (日本で言えば、小林秀雄に相当する) と激突して、アメリカの保守派知識人たちは二つに割れたのです。1950年代の終わりごろです。

 そしてランドらは、1964年の大統領選挙で、バリー・ゴールドウォーターを支持しようとした。

ところが、奇怪な暗殺で相手方のJFK が1963年の11月に殺されて、ジョンソンが勝ち、以後はロックフェラー家が完全に支配する巧妙なアメリカ政治支配、かつ政界支配の構造ができていったのです。 私の本を本気で細かく読めば、書いてあります。

アイン・ランドを、「カルト女流作家」などと、馬鹿が。 この東アジアの土人の知識人どもめが、いい加減にしろ!!
副島隆彦拝。


● 「今日のぼやき」 2000.3.6 から引用

 宮台真司(みやだいしんじ)君や、その他のまだ、ポストモダンを 言っている人たちがいるようですが、残念ながら、
もう世界規模では捨てられた思想です。

 今の 37歳ぐらいから上の人間が、感染している病気です。
東なんとか君の本など、どうせ何をいいたいのか、なにを、かいているのか、わけがわかりませんから、ご心配なく。
はじめから、この人たちは「読者にわけが分かるようには」書きません。

「 大正デモクラシー」のころの(ロシア・ボルシェビキ革命の世界的、影響です)からの「新カント学派」の影響で、とにかく訳(わけ)が分からないように書く。

 読者より自分の方が頭がよいように思わせるように書く。これが、この手の人たちの本性です。愚劣きわまりない伝統であり、日本知識人の劣勢遺伝子のかたまりです。

 室町・鎌倉期の五山(ござん)の僧侶たちも、こうだったのでしょう。 かれらは、仏教の坊主(僧)だったのに、 何と朱子学(南宋学、儒学)の本をよんで、分かった振りをしていた、おもしろい人たちでした。 これと、今のおフランス思想かぶれの残党たちは、よく似ています。

 じつは、フランスでも一番頭のいいのは、ドゴール主義者(ゴーリスト)の政治知識人たちです。ゴーリストたちは、フーコーらのような、人文(じんぶん)主義の衒学(げんがく)趣味ではなく、本気で「どうやったら自分たちはアメリカの支配から脱出できるのか」を国家戦略研究所に集まって、研究しつづけているのです。

 日本人のような、東アジアのモンゴリアン・インディアンには、フーコーぐらいが、文化輸出するのに、丁度いい、と、考えていたのです。フーコー自身が、来日したとき、「ク、ク、ク」とわらいながら、そういうことを、吐いています。
(引用おわり)

● 副島隆彦です。

 以下の書き込みは、私が『小室ファミリーズ』の『小室・副島何でも掲示板』に、書いたものの続きです。

 そういうわけで、日本のアホ知識人の総体は、翻訳文のむずかしい、なんだかよくわからない文意を無理矢理、 自分勝手に、読み込もうとします。おフランスのポストモダンの連中の、書き方の、責任もあるのです。
分かりやすく、簡単にかくと、自分の偉さが、減少すると、かんがえてしまう。

ところが、世界覇権国アメリカの学者・知識人たちは、そんな書き方はしません。 彼らは、実に鷹揚(おうよう)です。自分たちが、世界の政治知識人の頂点であり、かつ現実の権力も動かせるのですから、当然です。
グローバリストというのは、そういう意味で、強大なのです。 今のヨーロッパの知識人たちが、ぐちゃ、ぐちゃの複雑な心理になるはずです。

 なぜなら50年まえまでは、じぶんたちが、世界の知識・思想・学問の中心だったのですから。ですから、90年代になると、日本の若い学者志望者たちは、アメリカに行くようになったのです。ヨーロッパなんか、行かなくなったでしょう。下等学問である、「人文=文学研究」を除いて。いまは、みんな若い野心家は。みんなアメリカに行きますよね。そういうことです。 わかりましたか。

 それから、ナターシャさん(はじめまして。)の、考えに対しても、私の宮台君へ視点の答えになるように、答えます。
私は、宮台真司君の、『権力の予期理論』も、彼から贈呈された時に、読んでいます。あの本が、彼の、処女論文集であり、
おそらくいまでも、唯一の、かれの、公表している学者としての論文でしょう。 たしか、修士論文である、「ニコラス・ルーマン論」 (先述した、ドイツ文化マルクス主義のユルゲン・ハーバーマスの権威と闘って、
「だって、アメリカの資本主義のほうが、強いじゃないか」と言った学者です。ルーマンは、アメリカ・ グローバリストに寄っていった若手の学者です。ただし、宮台君は、こんなことは、なんにも知りません。) のほうは読んでいません。

宮台くんの、この『権力の予期理論』は、アメリカのグローバリスト学者たちの理数系があつまる、MITの、学者たちの、研究を模倣したものです。MIT は、コンピューター・サイエンスの牙城でもあります。 フォン・ノイマンや、フランツ・シャノンらの世界です。従って、「ゲーム理論」の生まれ故郷です。

 このゲーム理論を様々に使って、MIT系の学者たちは、経済学、社会学、政治学に、80年代に、はびこりました。日本の若い社会学者たちが、訳も分からず、これに、感染しない訳がありません。宮台君もそのひとりです。

 自分が、一体、何を書いているのかよく分からないのです。あの本で、いちばんよくなかったのは、自分が種本にしたアメリカの学者の本を、載せなかったことです。あるいは、故意にごちゃごちゃにしてしまいました。

 ですから、あの本で、全国の若い、いま34歳以下の女性社会学専攻学生は、宮台くんに、ポーッとなった人がたくさんでたようです。ところが、やっぱり、あの、わけがわからない文章です。人間は、どんなにあこがれた振りをしても、よく分からないことは、結局、分かりません。感動と実感を伴わない理解は理解になりません。

 ですから、何年かすると、やっぱり、「わけがわからないや」ということで、人々は、離れて行きます。これが、 日本リベラル派、全体の、致命的な欠点です。 「反権力・反体制」という一語の大きな力にしがみついて、まとまりつづけるしかないのです。

 宮台君の『権力の予期理論』は、アメリカの(ほんとうは、ハンガリー系ユダヤ人の)ゲーム理論ですから、「囚人のジレンマ」理論や、 「互酬性(ごしゅうせい)の戦略」理論を、下位理論として使いながら、ほとんどは、「4象現マトリックス」で、説明しています。

なにを、だらだらと、と言いたくなる本です。そういうことを、わたしは、彼に、そのころ、書いて送っているはずです。
簡単に言えば、「相手が、自分を、こう裏切ったら、こっちは、こう出るぞ」というのを、たくさん、ずーっとシミュレーション(机上演習)風に書いて行く訳です。 これが、いまのメリカ社会学(の影響を受けた日本社会学者たちの一部)の生き方です。

そして、このゲーム理論は、アメリカの軍事理論として使われてゆくのです。アメリカの学者たちは、自分の研究業績が、
現実の政策(応用)として、使われてゆくことを目的に、生きているのです。 それに対して属国の知識人たちは、ただひたすら、
それらを翻訳して、自国に持ち込み自分が、その第一人者になることが目標になります。 哀れな話ですが、これが私たち運命です。

だから、いまのヨーロッパの大学には、もう、残り滓しかないのです。日本とおんなじで、大学は硬直化した古臭い学者たちが、居座って占拠している空間らしいです。

従って、宮台くんの業績は、この、特殊な、アメリカの、戦略思考型の、ゲーム理論の、焼き直し版なのです。ところが、それが、きちんとMIT(マサチューセッツ工科大学)系の社会学者の思想骨格を、日本に、移植していれば、
それだけで大変な業績ということになるのですが、それを、やらない。できない。

だから、私は、学者としての宮台君の学力をあんまり認めていません。むかしから、よく知っていますからね。
ゲーム理論だったら、永田えり子さん(滋賀大教授)が、研究発表していました。彼女は、当然のように、フェミニスト理論家でもありますが、宮台君のゲーム理論理解につき、たくさん、批判したいようです。

私は、彼らと、何年も同じ研究会にいたのですから分からないはずがありません。 もっと、もっと、すべてを、明らかにしてゆくでしょう。

ただし、ゲーム理論が重要なのは。 それは、旧来の理論モデルが、マルクス主義などの、政治デイロギー (すなわち、勝手な宗教)であったことを、強く批判して、冷酷な客観としての権力なるものの、描写をやろうとしたことです。 人間の個々の主観から離れた、法則性の発見を目指したのです。 その試みや、よし、です。

でも、ほんとうのところ、ゲーム理論も、駄目だったのです。 大きなところで、駄目でした。

 アメリカ行動科学( behavioral science, ビヘイビアラル・サイエンス)という50年代いらいの壮大な学問運動自体の、大敗北の、最後の、小山程度、でしょう。

アメリカ行動科学(バーラス・スキナー と、タルコット・パーソンズが、最大の代表)は、ソビエト・マルクス主義ぐらいは、打ち壊せたでしょう。

しかし、19世紀ヨーロッパにいたる近代学問の荘厳な成果をうちたおし、その上に学問的、覇権を達成することは、できなかったのです。これが、アメリカ・リベラル派学者たちの、真の悲劇でした。 アメリカは、ソビエトは打ち倒せましたが、学問的には、失敗したのです。

従って、今の日本の社会学というのは、ほかの学問の悲惨ですが、ものすごく不毛です。よくもまあ、これで学者の集まりといえるなあ、という惨状です。ですから、宮台君が、あの、「ブルセラ」とか、「女子高生の売春の肯定」や、
「おやじの、保守の評論家たちの偽善を、糾弾する」に、向かったのでしょう。このへんの、気持ちは、よく分かる。

 私は、3年ほどまえ、そのように、彼に、手紙を書きました。 そういう記録は、すべて、私の手もとにのこっています。
彼は、私の家にも、遊びにきているんだから。 私が、にせものの日本刀を、振り回したので、たいへんいやがっていたことを覚えています。

小室先生が、「社会学者は、大天才か、凡庸か、どちらかしかいない」と、よく言っていました。 小室直樹撰集についてですが、どうかんがえても、宮台君じゃ、どうにもならない。
光文社のカッパ・ビジネスの小室本を並べ直して出すだけでしょう。

橋爪大三郎の、膨大なノートと、私の小室理論の整理がなければ、『全集』は、無理です。だいたい、宮台君は、たまーに、
小室ゼミ に、顔を出しただけでなんにもやってないんだから。あとで弟子だとかなんとか、よくゆうよなあ。

彼の先生の、東大社会学の、エライ先生たちだった、富永何とか、と吉田民人が、小室先生を敬遠していじめた張本人立ちなのだから。 それから、駒場の教養学部に、三田宗介という、社会学者がいて、たしか宮台君は、大澤真幸とともに、この三田宗介の弟子でもあるはずだ。

この三田宗介が、西部すすむを東大教養部から、追い出したときの策略をやったのだった。10年前の古い話だけど、私は、こういうのを、たくさん知っているのです。

 そうか。やっぱり、ネット革命は、すごい。こういう話は、どこの雑誌も、書かせてくれないから、 世の中につたわらないのだ。 それで、みょうな権威すき人間がばれないかとおもって、
頭のちょっと良い読書人の知識人見習いたちを、だましつづけるのに、都合がよかったのだ。 もう、そうはさせない。 このネット革命は私のためにあるようなものだ。

サイバッチやら、まぐまぐ やらに芸能人の私生活暴きの、スキャンダリズム言論を任せておけばいい、というものではない。 私は芸能人になど興味はない。
が、日本の知識社会が、奇妙な言論統制下にあるのは断じて許せない。 全部ぶち壊す。思想家としての全重圧をかけて、この課題を追求することに決めた。

近いうち、宮台真司に会う事があったら、(どこかの出版記念パーティででも)かならず、 彼の長年の失礼な態度について、質問してみる事にする。

 私は、宮台真司の最近の言動は、こういうことだと思う。
「学問なんか、あきちゃったよ。現実を、なんとか、変えなくては」 なのだろう。 それで『噂の真相』の岡留一派にくっついて社民党から、 ラジカルな新左翼のポーズをとって、選挙にでも出てみよう。ということなのだろう。

私という本物のラジカルが出てきたら、この人たちは、どうするのかね。 宮崎学(みやざきまなぶ)だって私にとっては、どうとゆうことはない。

ほんの、きのうも、宝島社の社長の蓮見清一(はすみせいいち)と、あれこれ昔のことを含めて話してきたばかりだ。
呉智英(ごちえい)が、私をどれだけ敬遠しても、もう私がはるかに、仕事の中身で彼を抜いちゃったから、どうにもならないんだ。

ああ、だんだん文章が品がなくなってきましたねえ。 簡単にいうとガラが悪くなってきました。

ですから、宮台君が、現在をどう考えているか、というと。 自分も芸能人になって、美人の女優や、女性司会者たちと、
つきあいたい、ということだと、おもう。 このけんでは、もかしの、宮台君の仲のよかった、女性たちに聞いてみようとおもう。

 彼女らも、何人かは、学者になっている。おそらく、フェミニズム研究かなにか、やっているだろう。 いまの、あの茶髪の宮台君の所業を、彼女らがどう言うか見物だ。自分の性生活まで、暴くように書いて、それでも、お仲間で『噂の真相』一派と仲良く「反権力ごっこ」 をやっている。あの神経が私にはわからない。

あんなにおかしな、女性差別と、各種の暴露言論をやって、私から見たら、このひとたちこそは左翼差別主義者だと思うのだが。

藤原紀香が、少女のころ部落解放同盟のモデル写真になっていた、などということは、いくらサイバッチでも書かない。
やっぱり、『噂の真相』をネット系のスキャンダリズムがこえるのは、まだまだ先の事なのか、と、考えてしまう。

今の日本では、有名人・芸能人・権力者にたいする、反感と、ねたみ、嫉妬の感情をいだくことがすなわち左翼的ということになってしまっている。

 ほんとうに今の、日本の左翼と呼ばれるのは、岡留正則と、佐高信(さたかまこと)と、田中康夫と、筑紫哲也と、宮崎学の、連合が左翼ということになってしまっている。 ほんものの左翼たちは、きっと、泣いているだろう。

 若いひとたちは、だまされやすいから、気をつけてください。私のこの記述についても、 かならず証拠があった時に信じるというぐらいにしてください。 自分が読んで味の不明なことは、「わからない。もっと分かるように書いてくれ」と、
聞き返すようにしたほうがいい。日本の知識人は、根本から、知識の組み立てかたを、考え直したほうが、いい。
そうしないと、どうせ、世界基準で、外国人と話さなければならないときに、恥をかくだけです。

これまでのように、日本国内でだけ通用する学者というのを、認めては、いけません。 学問・知識・思想は、どんなに初歩であってもよいから、世界基準でなければなりません。

これで私の宮台真司論は、一応おわります。もっと、もっと、そのうち書きます。


● 今日のぼやき「341」と「342」のあたり

 ですから、小室直樹先生も、ここで大きく躓(つまづい)いたのです。日本という、おかしな、東アジアの原住民たちの国で、
世界基準の本物の知識人が、理解されずに、悲劇を味わった、だけの話では、ないのです。

 小室先生は、このタルコット・パーソンズに習いに行ったのです。ポール・サミュエルソンに薦められて。 そして、その、
「構造ー機能分析」という学問を、持って帰ってきたのです。この、アメリカ行動科学の最大の武器は、 ・・・結局、使い物に、なりませんでした。本国のアメリカでも、リベラル派学問が、80年代に衰退をはじめ、代わって、
保守派のシンクタンクが延び始めたのです。「祈り」とか、「まじめな生活」とかの保守思想が復権したのです。

 ですから皆さん、わかるでしょう。 小室先生は、この20年間、ずーっとマックス・ウエーバーの理論だけを使いつづけたのです。 ディルケームのアノミー理論以外は。 そうでしょう?

 ですから、いまでもウェーバーだけが真に偉大なのです。ウェーバーだけで社会学は成り立っているのです。
あとは、みんな雑魚です。 ウェーバーの理解を共有することが、世界中(たとえ、あの中国においてさえ)の社会学者の共同性の保証なのです。

 ですから、小室先生が昔、残念そうに私に教えてくれました。
「あのね。経済学だけは、80%学問として、自立できたんだ。ほかのは、 全部,駄目だった。科学(サイエンス)になりきれなかったんだよ。」 と。 先生は、そうやって、こっそりと私に真実を教えてくれました。

ですから、いまでもマネタリスト理論を、組み込みながらのケインジアン理論が生きており、これで、世界中の各国政府の経済政策 (財政政策 と 金融政策から成る)は、曲がりなりにも生きているのです。 これで世界が動いているのですから。
 ところが、このケインズ経済学以外の、ソシアル・サイエンスは、ぜんぶ、失敗したのです。
そのことをアメリカの超一流学者たちは、みんなで白状しています。

●:04/12/13 09:30:36
副島隆彦の今日のぼやきより

(引用開始)

 今のアメリカの露骨な手先に、若いのでは評論家の宮崎哲也(みやざきてつや)がいる。田原総一朗の子分をやって、後釜を狙っているが、 あの気持ちの悪い悪人顔では、長持ちしないだろう。

 昨日、東京駅で彼とすれ違った。この時に私が咄嗟に「宮崎君」と声を掛けたが、恐ろしい形相のまま歩き去っていった。
 この男は、本当に数年前よりももっと悪魔のような顔つきになっていた。竹中平蔵、オリックスの宮内義彦、 孫正義も、同質の悪魔のような雰囲気を外部に放っているだろう。金融ユダヤ人どもの手先になって、日本国民を苦しめ片棒を担ぎ続けることで、 地獄に堕ちるがいい。

(引用終了)

●  (以下は、2001年 ぐらいの文だろう。副島隆彦注記)

 バイリンガル系の中には、(特に女性が向いているが) ゴールドマンサックス在日支店あたりにはいって、
日本金融乗っ取り、破壊攻撃の尖兵(せんぺい)をやって、それで年収2億円とかをもらって、30歳で、汐留(しおどめ)地区の一億円高層マンションを現金で買ったりしているのだろう。みんな今では、 私の主著の「覇権アメ」を読んでいるはずだ。しかし、副島隆彦の名前は死んでも口にはしない。
 もうジョゼフ・ナイも副島隆彦という名前を知ってるだろう。自分が管理している日本で、自分たちに楯突く雑草のようなやつ、ということで。

それで、最近、東大教授をしている藤原何とか、という40歳ぐらいの若い学者が、 テレビに出て、「ネオコンとは」とか、「レリジャス・ライトが」とか 偉そうに解説しているそうだ。

 宮台真司と宮崎哲弥の馬鹿ふたり組も、例によって「ネオコンの中のこの人たちが リバータリアンで」などと馬鹿な嘘八百を「朝生」でしゃべっているそうだ。 私はあきれてしまう。

副島隆彦です。この「日本リバータリアン掲示板」は管理人の明人君にすっかり任せきりで、申しわけなく思っています。 私は、最近は政治家の後援会での講演会や、地方経済界での講演会に行く事が多くて それで忙しいのです。

私の年齢でさえ、最早、静かに本を読むと言う事はできなくなりつつあります。元々、現世を捨てて落ちこぼれていいから、自分の好きなように生きると決めた人間なのですが、なんだか、このごろ私のアメリカ政治分析を聞きたいと言う人が、増えてきました。

まず、はじめて、この私たちの website に来られた方々に、ご挨拶を申し上げ、敬意を表 します。明人君が、すべて厳しくかつやさしく、 入門gateway を示されるので、仲良くかつ 冷酷にこの場で自分の思想力を磨き会いましょう。

まず、Ayn Rand 女史についてですが、 アイン・ランド と表記する事に決めます。

 その理由は、すでに3年前に、私は宇都宮に住む久世基文(くぜもとふみ)さんとこの件で合意 しました。久世さんが、ランド女史の伝記を、詳しくお読みでした。その中にランド自身 が発音(本当は、発声だろう)記号つきで「自分の名は、アイン・ランドと読む」と、 語ったくだりがありました。 その本も、やがて私たちで翻訳しましょう。

 そういうわけで、アイン・ランド に決定します。以後、日本国では、そのように表記します。 久世さんは優秀な方です。理科系の人で隠者のようにお暮らしです。50歳を超されたでしょう。
私はこの日本リバータリアニズム運動 に参加するよう誘いました。しかし彼は「自分はもうインターネットをやる元気もお金もない」とおっしゃいました。残念です。

久世さんは、かって、日本ハイエキアンの代表である西山千明(にしやまちあき)先生らと、真の自由主義運動をされていましたが、西山先生も、高齢で、フーバー研に行かれたようで、運動も立ち切れたのではないか。

 私たちが、新しい波となって、引き継いで行きましょう。 この、思想後進国・日本で、この日本語というオンボロ言語で、なにかを本気で考え、書くということはいまだに大変なことです。

 しかも当時は世界水準だと、勝手にいれあげたマルクス主義その他の左翼思想が、歴史のごみ箱に入ってしまっても、それにとりつかれた自分を、愚か者だったとして、きちんと 表明して前進して行けばいいのに、それができない人が多い。ですから、いわゆる日本 的リベラル の人たち( 欧米のリベラルからは、相手にされない。 世界基準の Social Democrats 社会民主主義者 に入れてもらえない。)は、もうどうしようもないでしょう。

若いひとたちはまじめに本を読む力がある人なら、今は、かならず、私たちのほうへ 来てくれるでしょう。これは、時代の波なのであって、個人が、逆らえることではないのです。

しかし、このサイトは、リベラル派ですが悩んでいる人たちが、つっかかってくるのを歓迎しましょう。ずばりと世界にながれる大きな真実を教えてあげましょう。

Libertaranism は、どのように、カタカナ表記しようか、私自身が、悩みました。そのことは、『リバータリアニズム入門』のあとがきで私が書きました。

最低、この本だけは、読んでから。あるいは、読む事を表明してから、何か、書き込んできてください。
あまりにも勉強の足りない人は、論外です。 考えが足りなすぎるというより、本を きちんと読むという習慣のできていない人は、日本アホ・リベラルのまま自己善意のひととして生きて死んでゆかれれば、それで、よろしい。 l

故に、このNLM の権威によって、Libertarianism は、リバータリアニズム と、表記する
と、決断します。 隠れ日本共産党員系の若い学者たちが、いかにリバータリアニズムをゆがめて解釈し、変な論文を書こうが、すべて、世界基準で流れる理解幅を前提にして粉砕します。

このことは、私の近著『アメリカの大嘘 』(講談社、1999年12月刊)の初めの方で名指しで説明してあります。 このつづきをすぐ書きます。 取り急ぎ。 日本リバータリ
アニズム運動万歳!  副島隆彦拝。


● [15]  リベラル派的リバータリアンも参加してほしい

投稿者:副島隆彦 投稿日:2000/01/29(Sat) 15:42

副島隆彦です。 アメリカのリバータリアンには、ACLU (エイ・シーエル・ユー 、America Civil Liberties Union アメリカ市民自由連合) という、大きな政治団体があって、 これはリベラル派の団体に数えられるのですが、その主張は、徹底した市場重視で、明らかにリバータリアン的です。
彼らは、「シビル・リバータリアン」(Civil Lbertarian ) と総称されます。

 全米リバータリアン党(Liberarian Party) のような真性の保守派のリバータリアンとどれぐらい違うのか、そのうち調べに行かねばなりません。
日本には、まだ、そのようなリベラル派のリバータリアニズムを理解する人がいるとは思えませんが、やがて現れるでしょう。
その人たちのために、このサイトが、同じ研究仲間として迎え入れる広い土壌を作っておきたいですね。

 たしかに、明人君が、言うとおり、日本的リベラル派は、人格崩壊をきたした人が多いです。自分自身の信念の体系がひどく揺らいでいるからでしょう。

 ですから、もし何かリバータリアニズムについて語ろうというリベラル派のひとには、 最低限度、あの『入門』本だけは、読んでからこのサイトに来てもらいたいですね。 そのときは、みんなで、歓迎しましょう。
副島隆彦拝


● [111] ランド女史の objectivism について 投稿者:副島隆彦 投稿日:2000/02/28(Mon) 04:40

副島隆彦です。
アイン・ランドが、自分の思想を指して、 objectivism ( 客観主義) と名乗ったのはなぜか、と言う質問につき必要と考えましたので、私の知る限りで、答えます。

ここでの客観主義 、オブジェクティビズム とは、objective thinking のことで、「自分の脳の中で生まれた思考を、基にした、思考をしないで、外側の世界の 冷酷な進行を、認める」 と言う事です。 これに対し、subjective thinking とは、
「自分の脳のなかで生まれた思考 idea を基にして、それを外側に出す」 ということのようです。

すなわち、ランドもまた、ノミナリスト系に属し、 プラトン=アリストテレス系の idearism と、闘う覚悟を若い時にきめたらしい。 ですから、「本質 と現象」 と言うような考えかた をしません。 「本質(エッセンス)」を否定します。

したがって、この、ランドの objectivism は、ほんとうは、ベンサマイト Benthamyte (ベンサム主義) を、名乗りたかったのでしょうが、時代的に、あまりに早くて危険だと思ったので、一歩、退いたのでしょう。

ベンサム主義の、過激な怖さについては、ここでは、触れません。 おそらく日本人ではまだこのことの理解は無理でしょう。    副島隆彦拝。

● 「財産権こそは諸人権の土台である」論文
投稿者:副島隆彦 投稿日:2000/04/14(Fri) 15:57

こんにちは、副島隆彦です。
「財産権(こそ)は人権である」 というヤン・ナーバソンの言葉を引用している『リバータリアニズム入門』からの、
重要な抜粋が、この website  の頭のほうに載せられた事は、大変、重要な事だとおもいます。

財産権(所有権)は、日本では、憲法29条で、「財産権は侵してはならない。
②財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれをさだめる。
③私的財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」

このように定めてあります。この29条は、今でも猶お、共産党系が圧倒的である日本の
憲法学者たちによって、不当に、無視されてきた条文です。

言論・表現・出版の自由などの、いわゆる「精神的自由権」のほうを無闇と、たかく持ち上げて、
この財産権(営業活動の自由を含む)の規定を、ものすごく低く扱ってきました。

明人さんが、以前に、掲示板で、人権と自由(権)ーーーー各種の自由とは、各種の自由権のことです。
このことを知らない人が多いですーーーーについて、簡潔にすばらしい定義を与えていました。
今、過去ログを捜したのですが、見つかりませんでした。

財産権が、その他のあれこれの人権(これを、「人権カタログ論」と言います)の
土台であり基礎となる人権です。
ですから、人権論を云々するのであれば、それを保証する財産権をまず、言わなければならないのです。
財産権とは、財産「への」人権である、と。

   私は、20余年まえに、大学の卒論でそのことを、書いた記憶があります。
ソビエトの知識人たちは、なぜ、諾々と殺され、収容所に送られて行ったか。それは、
じつは、スターリンの凶暴な性格、以前に、知識人たちが、勝手な理想主義に自らだまされて、
「私有財産の否定」とか、「私有財産の国有化(公有化)」を、みずから実践したからです。

 もし私有財産権が守られていたら、裁判で財産を食いつぶすまで2年ぐらいは争えたでしょう。

 ところが、自宅まで国有財産であることを、認めてしまったものだから、政府と争うとすぐ追い出されました。
これでは、国家と闘うどころの騒ぎではありません。すぐに飢えて死ぬしかありませんから。 そのようにしてロシアの知識人たちは、自業自得でひどい目に遭っていったのです。

 ですから、財産権が諸人権の土台であり基礎なのです。宗教のように、各種の人権を、ただ至上の権利としてたてまつっても仕方がないのです。日本共産党系を含めた、日本的 リベラル派というのは、馬鹿だねえ、といつも思うのは、こういう事を考える力が無いからです。

 生来知恵が足りないから隠れ党員をずーっとやっているのでしょうが。 このように私は、すでに20歳すこしの頃から、リバータリアニズムを自力でなんとなく体得出来ていた人間です。左翼思想にかぶれてひどい目にあったという青年期をもっているからです。

 余談ですが、あの日本レヴェルでの碩学・丸山真男(まるやままさお)も、どうやらやっぱり日本共産党員だったのではないか、 という説が最近ちらほら学者たちの間で、語られています。そう言えばそうですね。 丸山は共産党の悪口を書いた事がないですから。

 言論の自由を至上のように言いますが、一体、誰が人の意見にそれほど耳を傾けますか。 言論のほとんどは商業言論なのであり、売り物として市場で売られているものです。

 この見方は、日本では、山本夏彦(やまもとなつひこ)氏という希有の作家・コラムニストが、書いてきました。 私は、山本夏彦が、数少ない日本リバータリアニズム的な人物だと考えています。

 こういう見方をに出来るようになることが、日本人の成長なのでしょう。 「地獄への道は善意で敷きつめられている」と、書いたレーニン自身もその後の左翼たちもこの格言を、たびたび引用しながら、やっぱり、自分たち自身が「地獄への道」を突き進みました。

ですから、リバータリアニズムは、決して、理想主義ではありません。 慎重に慎重に自分の頭の中身を吟味します。もしかしたら、今このとき、何かの計画主義に自分がだまされていないだろうか、と。

 リバータリアニズムは、寛容の思想ですから、他の人たちが、どんな思想を信じるのも認めます。集団運動も認めます。ただし、それを、人に押し付けるな、と言います。ここが大事なのでしょう。

ですから、財産権こそは、各種の人権の土台なのです。
空論でしかない特殊日本的人権論を、神棚に飾っているような人々は、考え直した方がいいですよ。

それから、「人権にも本当はそれぞれ 価格(値段) があるのだ」 というドキッとするようなことを最後に書いておきます。 副島隆彦拝


● 05/01/18 18:23:52
 元阪大助手の小林和之(こばやしかずゆき)は、自分のホームページ上で 、 「どうして日本の法哲学界はこんなにも知的に貧困なんだろう。論文を読んで、 "他人の書いたものの切り貼りがほとんどで、 まるでいやいや書かされた小学生の夏休み感想文のようだ"と思うことは珍しくない。」

(私は)「(日本の)法哲学界の頂点にいるという自覚はあって、そういう立場におかれた人間としての責任を果たそうとしてはいるのだけれど。」

「挑発の意味もこめて「業界トップ宣言」をしてみようかとも思ったけれど、なんだかハズカシイからとりあえずはやめておこう。 だって、(日本の)法哲学界の第一人者、なんて、「三丁目でイチバンかけっこが速い」とか言っているようなものだからね。」 的なことを書いています。

 他にも、 日本法哲学会は知的に貧困である。
日本法哲学会には一流の研究者が一人も居ない。
日本には、法哲学会界の進歩に貢献したと言える者が一人も居ない。そもそも法哲学界において日本人研究者は全く存在感がない。 貢献どころか島国を一歩出れば、個人的な知り合い以外に名前を知られている者すら一人も居ないのではないだろうか。

さらに、 書いてる論文については、周知のとおり、
外国の研究者の引き写し 外国と日本の状況の違いを考える事なく無批判に引き写す 「発展途上国型輸入学問」
「他人の書いたものの単なる感想文は哲学ではない。」と言っております。

http://thinker.jp/tls/works.htm

副島隆彦と言ってる事が同じだね。副島よりも説得力はありそうだ。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦拝

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