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[49]話をしていておもしろい人
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投稿者:大内なんでかな
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投稿日:2011-08-02 22:51:15 | ||
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おとなの小論文教室。http://www.1101.com/essay/2005-06-29.htmlから無断で貼付けます。
(転載貼り付け始め) Lesson254 話をしていておもしろい人 話をしていて、おもしろい人と、 なんだか、つまらない人、 いったい何がちがうのだろうか? 私が、いま、話していて、おもしろい、 と感じる人には、共通点がある。 たとえば、私が、Aという問題について、 「どう思う?」と投げかけてみると、 私が、いま話していて、おもしろいと感じる人たちからは、 すぐにポン!と直線的な答えが 返ってくるわけではない。 私の投げかけをじっと受けとめて、 言葉を発するまでに、 独特の「間」がある。 この「間(ま)」、 会話にふっと訪れる静けさが私は好きだ。 気持ちを新たにしながら、 つつしんで、いったいどんな言葉が返ってくるのかを待つ。 どきどきもする。 しばしの沈黙ののち、 最初に発せられることばは、 一見、私の投げかけと距離のあるような、 意外な言葉だ。 これが一段階。 そこから、二段階、三段階…、 場合によっては、四段階と、言葉を重ねるようにして、 しだいに、ググッ、ググッ、と、話が核心に近づいていく。 そのようにして、最終的に私に届けられたメッセージは、 胸にじーんと染みて、 わたしは、しばらく返事をするのも忘れ、 その、返された言葉の感慨にひたっていることがある。 一方、話をしていて、 なぜかつまらないと私が感じる人の共通点は、 1つはっきりある。 「予定調和」だ。 もちろん会話は二人で分担するものだから、 相手に予定調和な会話をさせている責任の半分は わたしにある。それを認めたうえで、 そういう予定調和の人は、返答のスピードがはやい。 すぐ、はずれていない言葉を返してくださる。 ためにもなる。 日ごろよく勉強をされていることが感じられるし、 頭の回転もはやそう。 ふいの沈黙もなく、よどみなく、 ポンポン、安心して会話がつづけられる。 でも、それは、「心がやすまる」というのとは、 どこかちがう。 人が、からだの、 どれくらいの深さから言葉を発しているか? というと、この予定調和な感じがする人は、 胸の上のあたりに、 「返答用のファイルボックス」がある感じだ。 日ごろから、仕事のシーンや、世間話や、 会話にこまらないように、 ネタや情報、処世術など、 勉強して、集めて、ストックしている。 どうも、その、胸の上あたりのファイルボックスから、 ネタを出し入れしながら、しゃべっている感じがする。 「Aについて、どう思いますか?」と問うと、 「一般的に、こういう場では、 どのような返答を返すことがいいのだろうか?」 という、検索軸が立つ。 ファイルボックスから、適切な答えをもってきて返す。 それは、はずれてない。 はずれてないんだけど、どっかで聞いたような気がする。 ためにはなるんだけど、胸に染みいるものではない。 一方、私がいま、話しておもしろいと感じる人たちが、 言葉を発するまでに、しばし、黙る。 この沈黙のあいだ、 彼らは、ダイビングしているように思う。 声を発するのどがあって、胸に降りて、 食道も通って、胃があって、腹があって、 腹の底の、もっと人として深い部分に、 その人が、いままで生きてきた、深い深い、 「経験の湖」がある。 そこには、その人の経験の中での たくさんの「想い」「記憶」が、 まだ、言葉を与えられないまま、混沌と浮かんでいる。 「Aについて、どう思いますか?」と私が問うと、 彼らは、沈黙の間に、 迷いなく、まっすぐ、この「経験の湖」に降りていって、 この膨大な湖の中に、いま、私から聞かれたものに こつんと触るものがないか、探す。つかむ。 しかし、それは、まだ、言葉を与えられていない。 この深い経験の湖から、腹、胸、のど、と水をくみあげ、 最終的に言葉にしていく、 「ポンプ」のようなものがある。 これが、「考える筋肉」だと私はおもう。 有効な「問い」と言いかえてもいい。 第1ポンプで、 Aという問題と重なる、まだ言葉にならない 自分の経験・想い・記憶をくみあげ、 第2ポンプで、 その状況をあざやかな言葉にして、くみ上げ、 第3ポンプで、その意味を考え、くみ上げ、 第4ポンプで、核心のキーワードを浮上させる。 そのようにして、出てくる言葉は、 私の投げかけに応じて、たったいま、このためだけに、 つくられ、生まれ出たメッセージだ。 たきたてのごはんのような、 いわば、オーダーメイドの言葉なのだ。 ファイルボックスから出される、既製品の言葉と、 おもしろさに差を感じるのも無理はない。 話ベタである、 ということにコンプレックスを感じる人は多い。 わたしも、自分が「つまんない」とへこむときが多い。 でも、話ベタな人が、 「不勉強なもので」とか、 「無教養だから」という方向に、 逃げをつくってしまうことが、 私には、残念でならない。 たしかに、教養がたくさんあることは素晴らしい。 よく勉強をして話題やネタが豊富な人を、 わたしも好きだ。そこは否定しない。 でも、そうして、ネタを仕込み、勉強をして ファイルをいつも、ぱんぱんにしておかないと、 私たちは、おもしろい話ができないのだろうか? 人がもっている経験や、その中から生まれた さまざまな想い、感覚は、当人からみれば、ふつうで、 なんのおもしろいことではないかもしれない。 でも、自分とはちがう他人から観れば、 自分でおもうより、 よっぽど新鮮で、かけがえないかもしれない。 出して、みなければ、それは、わからない。 「考える力」があれば、 ファイルは、スカスカでも、 いままで生きてきた自分の湖に何度でも潜りながら、 その場で、「考えて」、 「考えて」、あたらしく言葉を、生み出すことはできる。 相手に投げ返すことができる。 話しておもしろい人と、おもしろくないと感じる人の差は、 この「考える筋肉」を、常に常につかって鍛えて、 自分の中から新しいメッセージを浮上させられる人と、 せっかくあるポンプを鍛えておらず、 トレーニング方法も知らされず、 萎えさせている人の差ではないだろうか。 せっかくある筋肉がつかわれていない。 本来、できることを、やれていないという状態を、 わたしは、はっきりと、「不自由」だと思う。 ファイルボックスに仕込んだ、既製品の言葉で やりくりしている人は、 会話は淀みなくすすんでも、 経験の湖にある、想いは、 自分の中で淀んだまま、解放されないままだ。 自分と、表現が一致しないのは苦しい。 表現とは、自分の外に表れ出た、人から観えるものすべて、 肉体も、着るものの、化粧も、たたずまいも、言葉も。 こどものころ、自分の内面はこうなのに、 それと全然違う髪型に切られてしまったときの くやし泣きをいまも思い出す。 あれは、こども心に、「表現と自分の不一致」のつらさだ。 常に常に、自分の湖をくみ上げるポンプ、 つまり、考える筋肉を鍛え、その連携をよくしている人は、 しだいに、自分の想いと、ピタッと言葉が一致してきて、 自由だ。その解放感は、人をも、すがすがしくさせる。 表現とその人の一致、 そのための、「考える力」、それがある人を、 私は、心底、自由で、話のおもしろい人だと思う。 (転載貼り付け終わり) |
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[48]行程表
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投稿者:大内なんでかな
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投稿日:2011-07-30 02:25:19 | ||
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副島先生がどこかで言ってたのか書いてたのか忘れましたけど僕も自分自身の行程表をやりたいです。ステップ1から。
【福島第1原発】 東電、復旧作業の行程表を発表。 冷温停止まで6~9カ月 日経 http://hashigozakura.amplify.com/2011/04/17/%E3%80%90%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%EF%BC%91%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%80%91%E3%80%80%E6%9D%B1%E9%9B%BB%E3%80%81%E5%BE%A9%E6%97%A7%E4%BD%9C%E6%A5%AD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E7%A8%8B%E8%A1%A8%E3%82%92%E7%99%BA/ |
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[47]「不器用な人」こそ、一流になれる
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投稿者:大内なんでかな
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投稿日:2011-07-30 01:48:29 | ||
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http://diamond.jp/articles/-/2163から無断で貼付けます。
(転載貼り付け始め) 「不器用な人」こそ、一流になれる 以前、スポーツジャーナリストの二宮清純さんからとても興味深いお話をうかがったことがありました。 スポーツ選手には 最初から失敗しない「超一流」 失敗をこやしにできる「一流」 同じ失敗を繰り返す「二流」 失敗したことにも気づかない「三流」 失敗を恐れて何もしない「四流」 がいるといいます。 超一流は無理でも一流は目指せると二宮さん。この話、仕事にもあてはまるなと思いました。というのも、新卒教育をしていたときに気づいたことなのですが、仕事覚えの早い器用な新人よりも、ちょっと出来の悪い不器用な新人のほうが後になってみたら成長していたということがあるんです。 営業に配属された新人さん2人を例にとってみましょう。 1人は先輩さながらのトークを携え、アポイントを取るのもお手の物の「器用」さん。すぐに初受注もあげました。 もう1人は先輩や上司から教えられたようには、なかなか仕事を進めることができない「不器用」さん。やる気が空回りして失敗ばかりの自分にいつも悔しい思いをしています。なかなか成績も上がりません。 でも、「不器用」さんは、器用さんよりも努力を始めます。努力、といっても、もともと不器用ですから、そんな難しいことをするわけではありません。「器用」さんよりも、たくさんのアタックリストを作るとか、営業中にさぼらないとか、少し遅くまで会社で作業をするとか、そんなちょっとした違いです。でも、このちょっとした違いがいつしか大きな差になり、気づいたときには「器用」さんより売れるようになりました。 「器用さ」の落とし穴 「器用」さんの落とし穴、それは「こんなもんか」という驕り。すぐにできてしまうので、それ以上の努力をしない人が多いように思います。こんな人のことを「器用貧乏」といいます。 もちろん、「器用」さんで努力をする人は無敵です。超一流のビジネスパーソンはそういった人たちです。大リーガーの松井秀喜選手のような人です。 でも、「不器用」さんも、一流にはなれます。いえ、「不器用」さんのほうが一流に近いポジションにいるのかもしれません。なぜなら、自分の失敗に向きあうチャンスが多いからです。一流選手に必要なのは失敗をこやしにして成長していくこと。失敗が怖くて何もしなければ四流です。 こう見えても表千家、不白流の名取りなんですが、「300万円のお道具の目利きのできる人は300万円失敗している人です」とよく先生がおっしゃっていました。 また、ハッピーキャリアをつかんだ女性に話を聞くと、多くの人が「やらずに後悔するよりも、やって後悔したほうがいい」といいます。ハッピーキャリアをつかんだ女性たちはやって後悔したことをこやしにしてきた人たちです。 さあ、失敗を恐れずに一歩を踏み出しましょう! (転載貼り付け終わり) |
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[46]がんばれ石巻 長渕剛 乾杯
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投稿者:大内なんでかな
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投稿日:2011-07-17 00:02:24 | ||
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がんばれ石巻 長渕剛 乾杯
http://www.youtube.com/watch?v=jjDE2-TOrMU&feature=related がんばれ石巻 長渕剛 とんぼ http://www.youtube.com/watch?v=l6ZOcs72hw0&feature=related |
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[45]【復興へ】 TRY AGAIN for JAPAN 長渕剛
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投稿者:大内なんでかな
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投稿日:2011-07-16 23:22:22 | ||
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[44]好き避け
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投稿者:大内なんでかな
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投稿日:2011-07-09 00:43:39 | ||
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好き避けっていうのがあるみたいです。
好き避け…好意を見せるのが嫌で思わず避けてしまう。特に人前で顕著。 避けたと思ったら今度は寄ってきたり、一貫しない行動が特徴。 http://lifehack2ch.livedoor.biz/archives/51034149.html http://news4vip.livedoor.biz/archives/51399843.html http://renai119.blog12.fc2.com/blog-entry-127.html http://www.google.co.jp/hws/search?hl=ja&channel=ssp&client=fenrir-sub&adsafe=off&safe=off&lr=lang_ja&q=%E5%A5%BD%E3%81%8D%E9%81%BF%E3%81%91 |
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[43]おとなしすぎる子
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投稿者:大内なんでかな
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投稿日:2011-06-23 23:01:54 | ||
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群馬県生涯学習センターhttp://genki365.net/gnkg01/pub/sheet.php?id=1805から貼り付けます。
(転載貼り付け始め) 件名 おとなしすぎる子 分類 性格・行動、交友・人間関係 質問内容 上の子がおとなしすぎるので困っています。/ お友達ともなかなかなじめません。元気で活発な子にしたいと思い、甘やかして育てたつもりはないのですが、下の子とは反対です。/ 来春には、小学生ですので、もっとはきはきするように言って聞かせるのですが、効果がありません。(幼稚園年長の男児の母) 対象者 乳幼児 回答内容 「立てば歩めの親心」のように、親はいつでも子供の一歩先を考え、ああしてほしい、こうなってほしいと望むもので、子供の成長に心を配る親の気持ちがよく分かります。 ここで、お尋ねのことについて、お母さんに次の点を知ってほしいと思います。 この子の場合、二つの原因が考えられます。 一つは経験不足で、友達とどう遊んだらよいのか、楽しみ方が分からないのです。特に上の子の場合は、何年間か一人っ子として育ちます。そのため、子供同士の関係に弱いとお考えください。ルールもつかみづらいのです。 二つはその結果として、自信を失っています。それがおとなしすぎる原因を形成しています。そこで勇気づけ、友達と交わる楽しさを教えることがこれを直すポイントです。 そこで、お母さんにしてほしいことを述べてみます。 一つは、体験を重視することです。一つひとつやることを本人にまかせてほしいと思います。 その際、親は親同士の関係を深め、子供が安心してつきあえる環境づくりをすることです。 二つは、子供の気持ちをよく理解してやることです。この子は傷ついているのですから行動を評価してやることです。よい点を一日一つは見つけ具体的にほめてやるのです。 反対にしてはいけないことは、お子さんの欠点や直すべきことを言い聞かすことです。このことは、親の言葉が次のように子供の心に届きます。「どうして、はきはきできないの」は、「はきはきできないダメな子」と伝わり固定します。だから、よい点を伝えるのです。 これを年長さんですから、四週間も続けてみてください。これで自分を「できる子だ」とか「周囲の人に好意的」となり動き出します。 そうなればしめたもので、しっかりと性格も変わってきますから、親の汗に意味が生じます。 (転載貼り付け終わり) |
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[42]コブクロ★あの太陽がこの世界を照らし続けるように。 ピグLIVE
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投稿者:大内なんでかな
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投稿日:2011-06-07 00:06:19 | ||
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[36]夜這いの話
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投稿者:大内なんでかな
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投稿日:2011-04-24 10:09:05 | ||
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週刊ポストで見て、昔の日本には夜這いというのがあったらしいです。知りませんでした。
ジャックの談話室http://jack4afric.exblog.jp/i15/から無断で貼付けます。 (転載貼り付け始め) http://jack4afric.exblog.jp/2661212 夜這いの話(1) 先日、赤松啓介著「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」(ちくま学芸文庫)を読みました。 夜這いというのは結婚前の若い男が夜中にこっそり女性の家に忍んでいってセックスする古くから日本の農村に伝わる習慣です。 著者の赤松啓介は、明治42年(1909年)、播州(兵庫県西部)に生まれ、戦前、非合法化されていた共産党の活動家になり、治安維持法で検挙され、足掛け6年、正味4年間の刑務所暮らしをします。 その後、特高警察に追われて、故郷の播州に戻るのですが、戦時下の弾圧の中で活動を続けるのは不可能と悟って、生活のために化粧品や雑貨を売る行商を始め、昭和9年(1934)から14年(1939年)まで播州や淡路島、摂津や河内の農村を回ります。 そのとき、元々興味があった民俗学の研究のために農村の風俗、習慣についての聞き取り調査を行なうのですが、彼が特に熱心に調べたのは、柳田國男のような体制派の民俗学者が無視していた夜這いなどの農村の性にまつわる風俗・習慣で、 彼は夜這いの話を村人から訊くだけでなく、知り合いになった農村の若者たちに誘われて、彼らと一緒に夜這いまでするのです。 これぞ本当のフィールドワークといった感じですが、赤松氏がそこまで村の若者たちに溶け込むことができたのは、彼自身、農村の生まれで子供のときから夜這いを経験しながら育っていたからです。 赤松氏の育った播磨の農村では、男の子が13歳になるとオバかそれに近い女性からフンドシを贈られ、それを「フンドシ祝い」と呼んだそうです。 それまではパッチを履いていたのが、フンドシを締めるようになると一人前ということになり、フンドシを贈ってくれた女性を相手にその晩、性交する習慣があったといいます。 ただし、可愛い男の子は「フンドシ祝い」をする前に村の女たちに誘われて「筆下し」を済ませてしまうことも多く、赤松氏も10歳のときに近所のオバハンに誘われて初体験を済ませたそうです。 実際に射精したのは11歳になってからだといいますから、精通が始まる前に女性とセックスしていたことになります。 中には13歳になってもまだ筆下しの相手が見つからない男の子もいて、心配した母親が知り合いの女性に息子の筆下しを頼むこともあったそうです。 女の子の場合は、やはり13歳でコシマキを贈られる「コシマキ祝い」という習慣があり、コシマキを締めるようになると一人前ということになって、親が知り合いの信用できる男に頼んで、娘を「女」にしてもらったそうです。 親に頼まれた男は、女の子に苦痛を与えないように、2、3日かけてゆっくりと処女を破ったといいます。 これでわかるように、戦前の農村では処女性はまったく価値がなかったそうです。 フンドシ祝いをして筆下しを済ませた男の子は15歳(数え年)で「若衆宿」に入り、先輩の指導を受けながら夜這いを始めます。 コシマキ祝いをして初体験を済ませた女の子は13歳で「娘宿」に入り、娘宿のリーダーの娘が女の子の発育状態をみて、夜這いを受け入れられるかどうか判断します。 大体、初潮があればOKということになったそうですが、村によっては陰毛が生えるまではセックスできないというところもあったそうです。 夜這いの相手ができる女性は、結婚前の娘と後家さんに限られるところや、人妻も含めて子供を除く村の女性全員が対象になるところや、村によって様々で、同じ村の若い衆には夜這いを認めても、よその村の若い衆には認めないなどの制限もあったそうです。 夜這いには通常、相手の娘の了解を事前にとってから行ったそうですが、娘の兄弟が連絡役を務めることもあったそうです。 男色もけっこう行なわれていて、男の家へ夜這いすることもあったそうです! 娘の家に忍んで行って娘とヤッたあと、ついでに隣の部屋で寝ている娘の母親とヤったりすることもあったといいます。 そういうとき、隣に寝ている亭主は気がつかないフリをしたそうです。自分も若い頃、夜這いをしているので、お互い様ということだったらしいです。 村の若者たちが集ると「お前、ゆうべ、俺の母ちゃんとヤッたやろ、味はどうやった?」とか、「うちの姉ちゃんがいっぺん来てくれいうてたで」とか大っぴらに夜這いの話をして盛り上がったそうです。 女房が夜這いに来た男の子供を身ごもることも当然、あったそうですが、亭主はそうして生まれてきた子供を黙って育てたといいます。 当時の農民には、子供は村の共有物という観念があったそうで、「この子供、俺にちっとも似てへんやろ」などと笑っていたそうです。 昭和の初めまでは農村や一般庶民の間では一夫一婦制も完全に浸透しておらず、夫婦になっても籍など入れず、別れるのも簡単で、生涯に3度も4度も結婚する女性はザラにいたそうです。 赤松氏によると、筆下しをしてくれた親戚の女性や、夜這いの相手をしてくれた村の後家さんたちは、売春婦なんかとは較べものにならないくらいに懇切丁寧に性の手ほどきをしてくれたとのことです。 赤松氏は91歳まで長生きして2000年に亡くなるのですが、彼にいわせると、神戸の酒鬼薔薇事件のようなオカシナ事件を少年が起こすのは、性教育と称して子供たちに性の知識だけを与え、実際にセックスするのを禁じるからだそうです。 男の子も女の子も11歳か12歳になったら、ちゃんとしたオトナが「本物の性教育」を行なってセックスのやり方を教え、子供たちが存分にセックスを楽しめるようにしたら、ああいう事件は起らないというのですが、これって相当、過激な意見ですよね(笑) http://jack4afric.exblog.jp/2700279 夜這いの話(2) 前回に続いて、民族学者の赤松啓介氏の話です。 農村の地主、豪農クラスになると、娘を知り合いの家に「行儀見習い」に出したそうですが、この「行儀見習い」は性教育を兼ねていたそうです。 つまり、行儀見習いに住み込んだ家の主人に性の手ほどきをしてもらうのだそうです。 男の子の場合は中学に行くようになると、よその家の奥さんに茶の湯、生け花、習字などを習いに行かされて、やはり奥さんから性の手ほどきを受けたといいます。 この性教育は、双方の親の了解の下に行なわれたそうで、母親同士が相談して「あんたのムスコはうちがオトコにするから、うちのムスコはあんたがオトコにしてやって」というような具合に話が決まることもあったそうです。 また女性が33歳の厄年になると神社仏閣にお参りして、参詣客相手に売春し、男から受け取った金を賽銭として納めて厄払いをするという習慣もあったそうです。 こういう女性には当然、夫も子供もいるのですが、厄払いをしないで、夫や子供が病気になったりしたら困るということでやったそうです。 もちろん、厄払いを口実に自分もちゃっかり楽しんだでしょうが。 大阪方面では摂津、丹波、播磨の三国の国境にある清水寺が厄落としのために参詣する寺として有名で、この清水寺の名月会式には、摂津、丹波、播磨の三国からの老若男女が集り、各国ごとの盆踊り大会が開かれたそうです。 盆踊りで意気投合した男女は近くの山林に入ってアオカンしたそうで、この清水寺の名月会式は、三国の盆踊りが見られて、三国の女が味わえると評判だったそうです。 この清水寺は山の上にあって、お参りするためには参道を登っていかなければならないのですが、若者たちが参道を行く娘を襲ってレイプする習慣もあって、これを「娘かつぎ」と呼んだそうです。 娘を「かつぐ」ために、若い男3人くらいでグループを組んで、やはり2、3人のグループで歩いている娘たちを見つけて近づいていって「一緒に登ろう」と誘うのだそうです。 娘たちは、「イヤッ」とかいって逃げるので、それを追いかけて行って、逃げ遅れた娘を一人、捕まえて、2人が娘の上半身を抱え、もう1人が下半身を抱えて山林の中まで運んでいってレイプしたそうですが、最初のうちは暴れていても胸や下半身を触られると大抵、おとなしくなったといいます。 娘を輪姦したあとは、先に逃げた娘たちが待っているところまで送ってやったそうですが、よくあることなので、逃げた娘たちも派手に騒ぎ立てることはなかったそうです。 このほかに若者たちが集団で少年をもてあそぶ「稚児かつぎ」というのもあったそうですが、これは大正時代までは盛んに行なわれていたものの、昭和に入ってからはほとんど見られなくなったそうです。 赤松氏自身は男色の体験はなかったそうですが、「稚児かつぎ」は3度か4度、目撃したことがあるといっています。 「娘かつぎ」の場合は、殆ど処女がいないので強姦も楽だったそうですが、「稚児かつぎ」の場合は、強姦される少年にアナル・セックスの経験がないと随分と痛い思いをして泣き叫ぶので、犯す方も大変だったそうです。 あと中年の女性たちが若い男を誘ってセックスする「若い衆かつぎ」というのもあったそうです。 なんか、相手かまわず手当たり次第、ヤリまくってるって感じですが・・・ http://jack4afric.exblog.jp/2729269 夜這いの話(3) 赤松啓介氏の夜這いの話を続けます。 明治42年(1909年)播州(兵庫県西部)の農村に生まれた赤松氏は、大正の終わりから昭和の初めにかけて大阪で丁稚奉公をするのですが、 当時、大阪の商店で丁稚や女中として働いていた若者や娘はみんな地方の農村出身で、彼らは田舎の夜這いの習慣をそのまま都会に持ち込んだといいます。 当時の商家では丁稚や女中は住み込みで働くのが普通で、主人一家と同じ屋根の下に寝起きしていて、店の主人はあたり前のように女中に手を出したそうです。 おかみさんの方も丁稚とよろしくやっていたそうで、また丁稚が女中に夜這いをかけることも日常茶飯事だったそうです。 赤松氏が最初に丁稚奉公した大阪九条の果物屋では、店のオヤジがバクチ好きでしょっちゅう家を空けるので、先輩の丁稚がおかみさんのところに夜這いに行って慰めていたそうです。 その店には女中もいたそうですが、先輩の丁稚は女中とヤルとおかみさんに叱られるということで、女中の方は後輩の丁稚である赤松氏が夜這いしてヤッていたそうです。 赤松氏は色白で可愛い少年だったそうで、近所の商店のおかみさんや、店に来る女性客にもよく誘われたそうで、中には商店の女房に頼まれた亭主が「うちのカカァ、どないや?」と声をかけてくることもあったといいます。 客の女性の方は、御用聞きに行ったり、商品を届けに行ったときに、「まぁお茶でも飲んでいき」と誘われて座敷に上がり、そこで関係したそうです。 商店でも大店(おおだな)と呼ばれる豪商では、丁稚小僧だけで10人近く、住み込みの女中も6人くらいいて、そういう店では、夜這いを行なう優先順位が番頭、手代、古参の丁稚の順になるので、 あぶれた新米の丁稚は一人でマスをかくか、新米の丁稚同士、おかま(男色)をするしかなかったそうです。 奉公人の間では男色もけっこう行なわれていたそうで、夜中に目が覚めて隣の布団を見ると、男同士が重なっていることもあったといいます。 こういう大店では奉公人たちが店の金に手を出したりすると厳しく罰せられたそうですが、イロゴトについてはおおようで、あまり派手にやらない限り、大目に見られたそうです。 店の旦那はもちろん、自分の店の女中にも手をつけますが、外でも芸者遊びをしたり、妾を囲ったりしていたそうで、御寮人さんと呼ばれるおかみさん、お家さんと呼ばれる先代のおかみさんも番頭や丁稚を相手に遊んでいたそうです。 御寮人さんやお家さんの中には役者買いをする女性もいたそうですが、役者など外部の男との関係はとかくトラブルに発展しがちで、賢い御寮人さんやお家さんは気心のしれた番頭や丁稚を選んで相手にしたといいます。 商家では年に3回くらい、大掃除の習慣があって、大きな商店では、大掃除のあとは近所の料理旅館に使用人が集って慰労会が開かれたそうですが、酒が入ると乱交になって、これを「ボボ掃除」と呼んだそうです。 夜這いや乱交の結果、妊娠する女中も当然、出てくるのですが、主人や複数の奉公人の男と関係をもっているので、だれが子供の父親かわからず、 そういう場合は一番、父親である可能性の高い男が10円出し、それ以外の男で彼女と関係を持ったことがある男が5円ずつ出し合って女に渡し、女はその金で中絶するか、産まれた子供を里子に出したそうです。 この都会の商家での夜這いの習慣は、百貨店などを皮切りに丁稚を「店員」と言い換えて月給制にして、住み込みではなく通いにする習慣が普及するにつれて無くなっていったそうです。 農村での夜這いの習慣は、資本主義の発達とともに村の娘たちが都会に出て働くようになって、夜這いできる娘たちの数が減ったことと、 戦後の農業の機械化によって、昔は村中総出の共同作業であった田植えなども機械で簡単にできるようになって、村の共同体意識が希薄になったことで、徐々に消えていったそうです。 あと戦前の農村では男の客が家に泊まると自分の女房や娘を客の夜伽に差し出す習慣があったそうです。 自分の女房を客に提供する場合は、亭主は寝室を明け渡し、納屋で寝たそうですが、山間の僻地の村なんかではどうしても近親婚が多くなるので、よその土地からきた男は歓迎されたそうです。 つまり、よその男に女房や娘に種付けしてもらい、そうして生まれた子供を自分たち夫婦の子として育てたということらしいです。 (転載貼り付け終わり) |
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